見出し画像

知識という栄養

一昔前は「ググれカス」と言う言葉があったが、

何かをしようとする時に、そこに対する知識があると無いとではゴールに辿り着くまでの道のりがはるかに違うと思う。

最近だと、「軽自動車だから軽ってあるから軽油だよねー」と、ガソリン車に軽油を入れる人とか。

自身が何かの変化が必要だと思う時に、
ただ闇雲に変化の方向を定めて突き進み、

「あら間違ってたかしら?」と

再度振り出しに戻る。
これをやり続けてやっと100回目で正解を続け出す。

この工程も、自身の糧にはなるとは思う。

ただ世の中の変化のスピードが早いこの時勢、
100回目で見つけた正解に進もうとした際にもう違う場合もある。

多少なりとも何かしらのヒントや知恵があれば
、100回が50回に絞り込める事もあるのでは無いだろうか?

そういう理由と、自身の好奇心から色んな本を読む。

物の見え方や、考え方が凝り固まらない様に。

思わぬ本からなるほどねぇ、、、とか
雑誌のコラムから「ムムム、、、」というのも結構あるので、いい趣味(実用)になっている。

ただ、現在お付き合いのある同業者の人々は、
本を読む習慣がないらしい。

我輩が「こういう捉え方もあるよ。この本読んで目からウロコだったよ」と話してみても、
面倒くさそうに「本は読まないんですよねー」と言ってくる。

本は読まないと言ってくる人々は、
決まって新しいアイデアや取り組み方を取り入れることはなく、10何年も同じことを繰り返している。

既に市場にて価値のない物を「これ高いんですよねー」なんて言ってくる。

彼らは一体何を判断基準にして行動してるのだろうか?

過去の栄光か??

考え方や発想の栄養が無い状態で考えても出ないものは出ない。

子供達がたまに突拍子もないアイデアを捻り出してくることがあるが、あれは物事を知らなさすぎる純真無垢だからこそ出来る技であって、ある程度の常識を持った大人は無理である。

ソフトバンクの孫さんが、単語帳を2個使って、
上の句下の句を繋げてアイデアを捻り出してたという話があるが、孫さん自身もきっと大人の凝り固まった脳からは出ないと思っていたのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?