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月曜日の図書館21 ご賞味

見切り品のモロヘイヤを買ってきて、味噌汁の実にした。飲むとカビの味がした。
本当にカビが生えていたのか、カビ風の味がするだけなのか、悩むところだった。里芋もカビの味がするけれど、あれはカビではない。書道に使う墨汁もカビのにおいがするけれど、あれも違う。モロヘイヤも味噌とかけ合わせると、カビっぽい味になるのかもしれない。結局は迷っているうちに全部たいらげてしまう。寝る時間になって、お腹がしんしんと痛み出し、うなりながらいつのまにか眠って朝になった。お腹は痛み疲れてだるいような感覚があった。薬を飲んで家を出た。

地下鉄の中は、構内も電車も、これが自分の部屋だったら絶対こんなふうにしないものであふれている。通路の端っこをなぜかいつも水のようなものが流れていて、それに沿うように周囲の壁や床が白濁している。どこかの企業が寄贈したベンチに、汚れでも錆でもない怖い模様がついている。やぶれてめくれたまま何年も放置されている痴漢の貼り紙。
電車が入ってくると、後ろからすかさずおじいさんが割り込んでくる。駅の名前をえんえんとしゃべりながら車両を移動する男の子がいる。まっすぐにしか歩けないらしく、ときどき立っている人にぶつかりながら進む。その顔を、初めて人間を見る人のように見つめているおばさん。体が当たったのに気づかないふりをして、スマートフォンから顔を上げないおじさん。暗い窓に映っている自分の顔が、人を殺しそうな表情に見える。
みんなで出したお金で実行するのは最低限のことだけでいい、と思ってしまったらこんなふうになるのだ、と思った。

点検する。発注する。掃除する。廃棄する。
開館したら、利用者からの第一声は「長いこと休んどったのに、なんも変わっとらんなあ」だろう。
それでいいのだ。突如として館内に巨大な銅像とか最新の設備が登場していたら、接し方が分からなくて混乱するばかりである。そういう体験は、ちゃんと身構えているときに、他の場所でいくらでもすればよい。化粧もせず、風呂にも入らず、無防備な状態で訪れられる場所には「なんも変わっとらん」使い勝手が一番大切。
いつもの棚に行って、ちょっと新しくて面白そうな本が増えていることに気づき、各自が小さく感動する、それくらいの変化があればいい。「最低限」にほんの少し、わくわくを上乗せすれば、そこは誰もが訪れたい居場所になる。大きな反響や称賛はなくても(くれるならもらうにやぶさかでない)、おのおのが心の中で静かに好きでいてくれる場所を、変わらず維持していきたい、そう思って、休館中もこつこつ働いてきたのだ。
今年の業者さんは、すみずみまで丁寧に掃除をしてくれるので、古くてくたびれていた館内も「レトロで味わいがある」という視点で見られなくもないと言えなくもない感じになった。玄関には館長ご自慢の花がかわいく咲いている。砂漠と化している場所は、すずめが砂浴びにくるところ以外にはなくなった。きれいな酸素がどんどん作られている。

開館の日は近い。

休憩中、3年前に賞味期限の切れたしるこサンドを食べたら、口に入れた瞬間に体の全部の毛が総立ちになった。九相図の、一番グロテスクな場面みたいな味がした。トイレで少し吐いた。
もったいない気持ちをこじらせると、一番もったいない結果に終わってしまう。
台湾に旅行に行ったとき、食べものだけではなく、物にも消費期限が書かれていた。捨てずに持ち帰ったプラスチックのれんげやら、ダサいキーホルダーやら、手放す時が分からなくなったら、その期限に従うといいのかもしれない。

N本さんは自分で作ったヨーグルトに雑菌が繁殖してお腹をこわしたそうだ。健康に良いはずの発酵食品に裏切られるなんて無念きわまりない。

昔いっしょに働いていた嘱託のおじいちゃんに「一生懸命やっても報われないのが仕事」と謎の名言をもらっことがある。実際日頃から文句を言われることの方が多い職場だが、今回の非常事態には、意外にも感謝や労いの言葉をかけてくれる人がちらほらいた。
早く開館しろ。まだ開館するな。知る権利の侵害だ。感染がぶり返したらどうするんだ。ずっと立ちっぱなしで大変ね。予約の本だけでも借りられてうれしいよ。がんばってね。ありがとうね。
いろんな人間がいるのだ。同じ「図書館を利用する」人間だけでも、こんなに違う考えを持って生きているのだ。
ひとくくりになんて、とてもできやしない。心をひとつには、しなくていい。

4月から採用されたのに休館で業務の体験ができない新人さんが分館からやってきて、書庫の中やらマイクロフィルムの機械やらを見学していく。
輝きが誰かに似てるなあともやもやしていたら、後からDが「リカちゃんのパパみたい」とつぶやいた。

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