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月曜日の図書館33 フレデリックを引き受けて生きていくということ

今ならわかる。
あれは、フレデリックがすごいのではないのだ。

その倉庫は地下にあって、ふだんは使わないイベント用の什器やら小物やらが雑然と押しこんである。そこで長時間作業(何の?)をしていた人が、ひじの裏からカビが生えたという噂を聞いて、それ以来、そこに入るときにはなるたけ大急ぎで、息をちょっとしか吸わないようにしている。
そこにフレデリックを閉じこめたのはわたしだ。
フレデリックは最初、事務室の作業台の上にころんと転がされていた。分館のひとつが運営を民間企業に委託することになり、それまで使用していた物品を引き上げなければならず、その中にフレデリックはいた。
絵本のキャラクターとはいえ、特定のアイデンティティーを持ったぬいぐるみは、おはなし会などでは使われない。こんにちはー、と呼びかけるのは、個性のないクマであり、性別のないウサギであって、空想が好きなネズミではないのだ。引き上げられたものの活躍の場がないフレデリックは、責任の所在があいまいなものが流れ着く作業台で、長い間見て見ぬふりされていた。

フレデリックよ、おまえはこのまま世界が終わる日まで、ころんと余生を過ごすのか。

特定の職員としかしゃべらないお客さんが、最近になってわたしがカウンターに座っているときに、置き手紙をしていくようになった。文字通り手紙をカウンターに置くだけで、会話もなく、すぐさま去っていく。それでも周りの職員たちは、やりとりがあるだけ進歩だ、ようやく認められたのだ(何に?)、とうなずき合う。手紙には今日一日にあったできごとが書いてある。以前は○○さんへ、とお気に入りの職員に宛ててあったが、彼が異動してしまったので、今では誰に宛てられるでもなく書きつづられている。

この文章のように。

手紙はいらないから、貸出くらいわたしが相手でも任せてくれるようになってほしい。コンビニとか歯医者さんに行くときもこんな態度を取っているのだろうか。図書館には、図書館以外の場所でどんなふうに生きのびているのか想像しがたい人がたくさんいる。T野さんは、いつも来る男の子から「まる子のおばあちゃんに似てる」と言われたらしい。お母さんじゃなくて?と二度確認したがはっきりおばあちゃん、と答えたそうだ。わたしたちのこの会話を通りすがりに聞いていた係長は、わざわざ戻ってきて、全然似てない、と言った。T野さんは別に気にしてないし、そうやって真剣に否定される方が傷つくし、と言った。

フレデリックはねずみである。夏の間、せっせと食料をためこむ仲間に対して、フレデリックだけは何もしていないように見えるが、冬が来て、食べ物が底を尽きたとき、今度は彼がためこんでいた夏の色や、においや、にぎわいに、他のみんなは救われるのだった。アリとキリギリス(本家のイソップ童話のほう)ではなまけものとして扱われるだけのキリギリスに対して、フレデリックは組織の中でちゃんと存在意義を発揮している。誰にでもその人なりの能力や役割がある、という話にまで発展させたところに、作者の偉大さがあると言ってよいだろう。

だけど、本当にフレデリックがただぼんやりしてるだけだったら、物語はどうなっただろうか。

捨ててはいけないことはすでに学んでいた。以前、同じように転がされていたぬいぐるみをこっそりごみ箱に入れたときは見つかって死ぬほど怒られた(何で?)。県や市が力を入れて取り組んだ事業のメインキャラクターの全然かわいくないぬいぐるみだった。
かといってわたしが引き取るほどの余裕はない。すでに机の上は他の雑貨で埋まっている。
ならば。
倉庫の中はすでにたくさんのものであふれていたが、かろうじてよく分からない書類の分厚いファイル群のとなりにすきまがあった。そっとフレデリックを置いてみる。
使いたい人は誰でも使ってください。
そうメモした紙を胴体に貼りつけておいた。フレデリックは相変わらず、とろんとした目つきでこっちを見ていた。

置き手紙の君は言いつけ魔でもある。新聞を新聞コーナー以外の場所で読んでいる人がいたり、トイレットペーパーが切れていたりすると、すかさずカウンターにそのことを報告してくる。そしてなぜかこのときばかりは職員を選ばないのだ。今日はパソコンを使ってはいけない場所で使っている人がいる、と言うので、しぶしぶ注意しに行った。ここはパソコン使えないです、今は感染対策で長時間滞在してもらえないので、パソコンを使える場所はないです、と伝えるも無反応なので、留学生かな?と思い、ここ、パソコン、ノーノーとジェスチャーつき(どんな?)でもう一度伝えると、留学生風の彼はややあってとても流暢な日本語で「わかってるっす」と眠そうに言った。
しばらくするとまた言いつけたい気持ちを満々にしながらカウンターに近づいてくる。今度は「特定の職員」のひとり、K川さんに、電話帳が机の上にずっと置きっぱなしになっている、と訴える。K川さんは使っている人がいないか確認した後、電話帳を棚に戻し、手紙の君に「気づいてくれてありがとう」と言った。彼女はにこにこしながら去って行った。
明日もきっと、やってくるだろう。

もしもフレデリックがただのぼんやりさんでも、やっぱり仲間は許すだろう、と思った。もしくはフレデリックの話が「なんか思ってたのと違う」できばえだったとしても、やっぱり「ありがとう」「元気が出たよ」と言うのではないだろうか、そうだったらいい、と思う。
能力があるから、役に立っているから、そこにいられるのではない。たまたま居合わせた人たちが、みんなでそこそこ楽しく過ごせる空間を、協力して作っていく、本当はそれが何より大事なのかもしれない。今日一日を笑顔で送れたら、笑顔になるきっかけを与え合えたら、その場にいる全員がまとめて花丸をもらっていい。反対に、誰かのことを厄介者扱いして切り捨ててしまうようなら、どんなにすてきな業績をあげても、もっとよくがんばりましょう止まりだろう。

地下のフレデリックはカビも生えず元気にやっているようだった。ときどき様子を見に行くと、前と向きが変わっていることがある。入ってきて発見した人が、束の間もふもふして生きる力を充電しているのかもしれない。


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