見出し画像

月曜日の図書館 片付けと厄除け

図書館で働く人は極端な人が多い。事務室を見渡しても、ものすごく潔癖な人か、片付けという概念を知らない人かの2択に分かれる。

K川さんの机の上は、無印で買ってきたファイルボックスに書類が整然と分類され、あいまいに投げ出されたものはひとつもなく、清浄な空気が流れている。

一方向かいの席のI元さんの机の上は積載量の限界を軽く超える高さまでありとあらゆるものが積み上がっている。のみならず、机の横にはこれまたいろんなものが詰め込まれたブックトラックがあり、それだけにあきたらず、となりの部屋の棚や机にまで第二、第三の山を築き上げている。他の人たちはその部屋を使う度、だんだんと侵食されていく不自由さに少し顔をしかめながら、特に不平を言わない。

植民地支配とは、こんなふうに広がっていくのかもしれない。

図書館の本は分類法に基づいて分けられ、棚に並べられている。調べものの相談を受けるときも、まず使える本はどの分類の本だろうと考えるところから始まる。だから図書館で働く人は分類するのが好きだろう、むしろあるべき場所にすべてのものがきっちり収まっていないと我慢ならない人ばかりだろう、と思われがちだが、そうでない人もいるところがこの世界の不思議、豊かさ。

わたしの机はどうかといえば、お気に入りの石や木や人形がちゃんと目につく範囲に配置されている。殺伐とした職場では、自分に属するものに囲まれている安心感が必要なのだ。以前、柄の悪いおじさん数人に立て続けにからまれるという災難に遭ったときは、厄除けの意味も兼ねて大小のだるまを何個か置いていた。

お掃除のおばちゃんが、ここを掃除にくるたびにあなたの机を見て癒されてるよ、と言う。

片付けという観点では真逆のK川さんとI元さんだが、ふたりは案外仲が良く、ときどきおいしいレストランの情報など交換している。

となり同士の机が汚・汚だと、書類の山は拮抗して倒れないが、汚・きれいだとバランスを崩して大惨事になる。毎年の人事異動で、それまではうまくもたれ合っていたのに、つっかえを外されて悲しく崩れていく机を、これまでに何度も見た。

S村さんの机の上には1年ほど前から紙風船が乗っていて、誰の仕業かわからないまま放置されている。

館内整理の休館日に、業を煮やした係長が、これから1時間は各自の机の整理をしましょう、と言ったとき、I元さんは自分のことじゃないみたいにニコニコしながら他の仕事をしていた。となりの部屋に構築された彼女のサテライトマウンテンがこれ以上広がらないように、係長は机の配置を変えた。

仕事のできるK川さんにあこがれて、わたしもファイルボックスに書類を分類しながらしまってみたが、どんな分類法でしまったか忘れて取り出せなくなってしまった。仕方がないのでもう一度全部の書類を引っ張り出し、締め切りを確認する。ボックスの上に飾ってある、牛乳パックで作ったガイコツがカタタタ、と歯を鳴らした。工作の先生が見本で作ったのをもらったのだった。

牛乳パックの側面には「2割引」のシールが貼られたままだ。

昼休憩、どこで食べようかぼんやり歩いていたわたしを、後ろからやってきたI元さんが急かして、ふたりで徒競走のように走った。

K川さんに教えてもらったというそのお店は、パスタが夢のようにおいしく、しかし遠くにあるので急がないと間に合わない。I元さんは息を切らしながら空いててよかったねと笑った。マスクのせいでめがねが真っ白になっていた。

ひとりでは、昼ごはんのために全力疾走できない意志の弱いわたしを、I元さんはぐいぐい引っ張っていく。そして雑談が苦手なわたしのことなどおかまいなしに、ここのトマトパスタは絶品だよ、人生で一番、あーあ走ったら汗かいちゃった、とにぎやかにしている。

vol.57 了

この記事が参加している募集

#最近の学び

180,916件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?