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月曜日の図書館13 幸せな人生を手に入れるための方法へのささやかな抵抗

分類番号159〈自己啓発〉の本は図書館職員の頭を悩ませてやまない。これらの本はおせっかいにも、こうしたら幸せになれるよ、お金持ちになれるよ、もっと愛されるよ、とわたしたちを脅迫してくる。そう、脅迫。言うとおりにしなければ、あなたの人生は不幸になるぞ、と迫ってくる。
この手の新刊が出るたびに、図書館にはリクエストが殺到する。世の中には、救われたい人がこんなにもいるのだ。

人事異動発表の日、思いがけずDが異動を告げられて、事務室が騒然となる。激混みのカウンターを終えてよれよれになって戻ってきた直後のことであった。知ってたらカウンターで泣いちゃったかもしれないから、このタイミングでよかった、とDは言った。わたしは本人よりも動揺して、室内を無意味にうろうろした挙句、持っていた蔵書印をどこかに置き忘れてしまう。みんなで大捜索した結果、無事に見つかった上に、2年前に行方不明になっていたお気に入りのボールペンの先っちょの金具も出てきた。

昼休み、外に出た途端に春の嵐。強風で頭がもげそうになる。
このまま胴体だけになっても、生きていけそうな気もするし、考えることをやめたら、生きていけないような気もする。

スズメバチはエサがとれなくなったら、育てている幼虫を殺して肉団子にして、他の幼虫に与えるらしい。成虫になった後はひたすらファミリーの存続のために働き、あっけなく死ぬ。わたしらしく働ける仕事を求めて転職することもないし、がんばったごほうびに都路里の抹茶パフェを食べることもない。まことに自分を甘やかさない一生である。
ということを「おどろきのスズメバチ」を読んで考えた。ついでに実家のわたしの部屋の窓の上にはスズメバチの巣があったが、親に訴えても、業者を呼んだり部屋を片づけたり「なんかいろいろめんどくさい」という理由で結局撤去してもらえなかったことを思い出した。
本を読めば昆虫の生態がわかったり、生きる意味について考えさせられたりするが、答えそのものには、なかなかたどりつかない。

強風で髪の毛が総立ちになったまま事務室に戻ってきたら、Dが冗談みたいな髪型、と言って笑う。
胴体だけで生きている妖怪の名前を、どうしても思い出せない。

前にライブラリーオブザイヤーを受賞した図書館に見学に行ったとき、案内された闘病記のコーナーには159の本も置いてあった。どの本も似たようなことが書いてあるって思っても、人それぞれに心の支えとしている一冊はちがう。だから、簡単に切り捨てたり、雑にくくったりはできないのよ、と美人な館長さんは言った。スカートがきのこ柄であった。

子ども向けの本のリストに「おどろきのスズメバチ」を熱く推した(人生とは何かを考える良いきっかけを与えてくれる名著)が、わたし以外に票を入れる者はおらず、即効で落選した。

N本さんに「日本の騎馬像」をすすめられる。全国の騎馬像の馬の方にフォーカスした本だ。馬の性別やポーズ、表情(落ち着いたまなざし)など、馬視点ならではの調査項目が面白い。性別の根拠となる部位もしっかり激写されている(図書館の近所にある騎馬像の馬は牡であった)。
この本には、きっとこの先もずっと、全米が泣いたり、全国から感動の声が続々と届くことはないのだろう。騎馬像の馬について知りたくてたまらない人が、一体世の中にどれくらいいるというのか。マーケティング理論を軽々と超越した一冊である。
ここに書いてあることを覚えたからといって、新しいわたしに生まれ変われるわけでもないし、何かの試験に合格するわけでもないし、みんなに愛される技術を身につけられるわけでもない。読前・読後ですぐ目に見えるプラスの変化は1ミリもないだろう。
N本さんに、わたしも旅先で銅像の写真を撮りためてると言うと、先を越されたね、と笑った。そして「ガンバレ。みんないつかは異動するんだから」と言った。

異動にともない、デボン紀の地層のようになっていたDの机はきれいに片づいた。わたしは常連の郷土史家のおじいさんがくれたという「寺社仏閣に立っている石碑の拓本をきれいにとることができる道具一式」を引き継ぐことになった。

でも、すぐにプラスの変化はなくても、5年、10年、それ以上の時間をかけて、あなたの中にじわじわとしみこむものが、確かにある。

いつも「恋愛が絶対に上手くいく方法」について書かれた本を何冊も借りに来ていたかわいい女の子の姿を、ここ数週間見ていない。
脱したのだ、と思った。

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