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月曜日の図書館36 チアユー

乾杯が苦手である。乾杯はいわばグラス同士の頭突きである。ただし全力を出してはいけない。そんなことをしたらその後の惨劇は火を見るより明らかだ。あくまでやさしく、穏やかに、相手を割らず、中身をこぼさず、それでいておよび腰にならず、陽気に、無邪気に、カツン、とやるのがよいのだ。
実にむつかしい。
どれくらいの強度でどついたらいいのか全く分からない。しかも相手のグラスはビールで満たされていることが多い。あの今にもあふれ出さんばかりにもこもこになっている泡が、こちらのグラスに引っ越してこないか非常に心配である。こちらは烏龍茶だけで間に合っており、決して同居人を募集してはいない。
もうひとつ、乾杯の恐怖は「どこに座っている人とまでカツンとやったら終わりかが分からない」ところにもある。通常の射程範囲ならせいぜい目の前、左右、ななめ、くらいのものだが、ときとして隣の人間を透過してその先にいる人間とまでカツンとやらねばならない。中には通路を挟んだ向かいの席の人間とまでカツンとやりはじめ、そのまま二度と帰ってこなくなる者までいる。はじまりの合図が永遠に終わらないなんて恐怖以外の何者でもない。
乾杯は苦手である。乾杯はいわばグラス同士の頭突きである。グラスに意識を集中しすぎるあまり、笑顔が崩れ、本心がむきだしになる。

事務室のお菓子の品薄状態がつづいている。第一の要因は単に「みんながたくさん食べすぎるから」だ。コピー機で本を全ページコピーできない理由についておじさんから一時間にわたって苦情を言われた後などはついつい手が伸びてしまうし、そういう小競り合いは毎日のように起きるので、常に手はびよんびよんと伸びっぱなしだ。残業も追い討ちをかける。遅い時間に糖分や脂質を摂らないほうがよいことは重々承知の上、調査報告書がなかなかできあがらずに行き詰まっていると、手はキーボードをたたかずにチョコレートをつまんでいる。糖分で脳みそが活性化する気もする。
第二の要因は、菓子係の職務怠慢だ。親睦会の世話を仰せつかった者が、日々の菓子の補充も担うことになっているのだが、今年の担当者はそれが非常に遅い。みんなが呼吸するがごとく菓子を胃におさめることを知らぬ身ではなかろうに、棚が空になってから、しかも業務用ではない、全員で食べたらアッという間になくなってしまうような小袋を、ちょっとだけ補充するのである。食べたいときにお菓子がない。この絶望的な状況を回避しようと、マイお菓子を持参する者もちらほら現れている。このままでは金銭的かけ引きによって、そのお菓子を手に入れようとする者まで現れかねない。図書館施行規則に「お菓子の転売禁止」の文言を追加した方がいいかもしれない。
それでも、やさしいわたしたちは菓子係を責めない。仕事上でも未解決の案件を複数抱え、精神が崩壊寸前の菓子係に、これ以上何か言ったら本当に追い詰めてしまう。といって仕事(や菓子の補充)を肩代わりすることもできない。菓子係にしかできない仕事、という意味ではなく、こじれたプライドを傷つけてしまう、という話である。この世には複雑な自我を形成して生きている人間もいる。図書館にはそうした実にめんどくさい人間が多い。そしてまた、図書館には、めんどくさい人間に一歩踏みこんで対峙するほどのやさしさはない。来る者は拒まないが休職しそうな人間のために「励ます会」を開いたりもしない、それが図書館の流儀である。

励ます会ならいざ知らず、例年なら開かれるはずの数々の会が、今年は開かれないままだ。新年会。忘年会。新人のための歓迎会。にこじつけたただの飲み会。を開きたいと思っている人間は、実はわずかである。
大多数の者は感染防止をこれ幸いと、浮き沈みのないそこそこ平穏な生活を謳歌している。オンライン飲み会なんてとんでもない。そんなものを開くくらいなら、好きな本を読んでいたいのである。
乾杯する機会もめっきり減った。最後に乾杯したのはたぶん、当時は仲が良くて今は喧嘩したまま口をきいていない職場の先輩(つかず離れずが信条のわたしたちだが、一度衝突するととことんまでぶつかり合うのもまた図書館人のスタイルである)と飲みに行ったときだ。あのときは数人だったからカツン、が永遠につづくことはなかったし、ごつい琉球グラスだったので割れる心配もなかった。わたしはそのとき初めてシャーリーテンプルを飲んでうっとりし、先輩の飲んでいた湿布の味がする飲み物を試してみて案外いけるなと思った。別の先輩が若いころ気功の先生と遠距離恋愛していた話で笑いころげた。
喧嘩の理由については触れないでおこう。わたしにはわたしの、先輩には先輩の言い分があり、一方から見れば他方が完全に悪く、そのまた逆もしかり、意見を主張し合えば怒りがたちまち再燃して図書館を火の海にしかねない。
つまりグラスを割らなかった代わりに、友情にヒビが入ったわけである。

ならば取るべき行動はひとつ。グラスを割ればよいのだ。

乾杯とは、生身の人間の代わりに、グラス同士をどつき合わせる代理戦争のことだったのだ。不和が生じる度に頭突きをしていては身が持たない。だから子どもが紙相撲で勝負をつけるように、大人は飲み会というXデーにグラスを思う存分戦わせるのである。おつかれさまでした。日ごろから迷惑かけまくりやがって。もっとじゃんじゃん菓子買ってこいや。ガチーン。ゴチーン。力の加減など必要ない。気兼ねなくぶつけ合えばよい。むしろ嫌いな相手ほど宴会場の果てまでも追いかけて乾杯したいものである。

オンライン飲み会なんてとんでもない。

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