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誰がエゴイストだったのか?┃映画「エゴイスト」感想

2/14に、予告を観てからずっと気になっていた映画を観に行った。
鈴木亮平・宮沢氷魚主演「エゴイスト」

あらすじ
自分を守る鎧のようにハイブランドの服に身を包み、気ままながらもどこか虚勢を張って生きている浩輔と、最初は戸惑いながらも浩輔から差し伸べられた救いの手をとった、自分の美しさに無頓着で健気な龍太。惹かれ合った2人は、時に龍太の⺟も交えながら満ち⾜りた時間を重ねていく。亡き⺟への想いを抱えた浩輔にとって、⺟に寄り添う龍太をサポートし、愛し合う時間は幸せなものだった。しかし彼らの前に突然、思いもよらない運命が押し寄せる――。
https://egoist-movie.com/

IQ0で観る前半

ひたすらに浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)のラブシーンが良かった。マジで前半見てるとき「あーこの二人のイチャイチャに1500円払って良かった」とずっと考えていた。何を隠そう私は予告のキスシーンで観に行くことを即決したわけで。期待を裏切らない、むしろ期待以上すぎて前半に関してはIQ0で楽しみました。


(ここからネタバレ有りです)

愛は全てエゴでできているのか?


浩輔が龍太にお金を渡したり、車を買ってあげようとしたり、何かをしてあげようとするたびに、普通は「愛」だと思うようなことでさえも、すべて浩輔のエゴだと感じてしまった。映画後半の龍太の母親に対する浩輔の行為は、気持ち悪さすら覚えた

話は変わるが、この日はバレンタインだったため、映画を観に行く前にデパ地下で彼にあげるチョコを選んでいた。選んだチョコは彼が好きな柴犬がモチーフのもので、「喜んでくれるかな」とウキウキしながら買った。
これは、別の言い方をすれば「彼に喜んでほしい」で、これこそエゴなのだ。きっと、そこにいた女の子たちも、みんな自分の大切な人に「喜んでほしい」からチョコを選んでいる。

私のしていることだって、「いらない、大丈夫」と言われても龍太に与え続け、「気持ち悪い」とさえ感じてしまった浩輔のエゴとなんら変わらない。とすれば、恋人たち、ひいては人間関係は全部エゴのぶつけ合いなんだよな


浩輔は「愛を与える事自体が目的だったのか」、それとも「自分を欲してほしくて与え続けていたのか」


これは映画を観終わって一番最初に考えたことだった。
つまり、浩輔のエゴである「人に何かを与える」ことは、目的なのか手段なのか?ということ。

たぶん、「与えること自体が目的の浩輔の行動の根源には、自分を欲してほしくて与え続けていたことがある」が正解かな、と思う。

「愛が何なのか分からない」という浩輔に、龍太の母は「与えられた側が愛だと感じればそれが愛だ」と話していた。これを聞いた時、浩輔は混乱しただろうな〜と思った。
自分は人に何かを与え続け、それ自体が愛だと思っていたのだと思う。だからそれを龍太にもしていた。つまり、自分のエゴこそが愛だと考えていたんじゃないか?と「受け取る側が感じる」のが愛だとすれば、自分はどうすればいいのかわからなくなっていたんじゃないか?と。

最後に龍太の母に「まだ側にいて」と言われ、自分が誰かに必要とされたことがゴールであり、映画のエンドなのかなと思った。


「エゴイスト」

結局、この映画の誰がエゴイストだったのか?…答えは浩輔だけじゃなく、全員だ。
龍太が死んだ後も「この家に住み続けたい」と言った龍太の母もエゴイスト。浩輔と付き合って売春が辛くなったから別れを切り出した龍太もエゴイスト。病気が理由で旦那に別れを切り出した浩輔の母もエゴイスト。


人間関係は、全部自分のエゴのぶつけ合いだ。帰宅して、彼にチョコを渡す直前、何故かはわからないが「喜んでほしい」という気持ちをほんの少しだけ飲み込んだ。

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