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告白

髪を無性に切りたくなる衝動に駆られる。でももちろん、実際に切ることはない。理由は簡単、私はベリーダンサーだからだ。ベリーダンスを踊る上で髪を切ろうもんなら、踊っているときにテンションが上がらなくなる。10年前くらいには、髪を切る=仕事を失う、ということだったが今はショートヘアのダンサーも増えたし必ずしもそうとは言えない。それでも例えば、頭を下げて振り上げるアクションをする時、髪が長くないと、私はテンションが全く上がらない。あの髪の重みで地上に吸い付くような感覚、そしてその重力を振り払って天に頭を突き刺す感覚は一種のエクスタシーに近いものともいえよう。ベリーダンスをするなら、ぜひあの感覚を多くの人に味わってほしいと思う自分がいる。髪は体の一部と感じるのは時に難しいが、それでも歴とした器官の一部なのだと思う。

私がこのダンスに惹かれ、長い年月をかけて学び、踊り、そして今は指導する立場にいる。不思議だと思う。そんな人生を送るなど、昔は微塵も思っていなかった。しかしながら、ベリーダンスほど『自分自身と性』を結びつけることのできるツールは他にないと思っている。今日はこの部分について掘り下げていきたいと思ってこの日記を書いている。

私は幼い頃から、おそらくだが、性自認と体の性が一致していない。それはうっすら感じる日もあれば激しく感じる日もある。『女の子らしくしなさい。』『女の子なんだから。』『女の子らしい言葉遣いをしないといけない。』と言われるのが何よりも苦痛でその度に死にたくなった。スカートを履くのが苦痛で、フリフリがついた服も、ピンクも淡い色もそれらしきものが全て嫌でたまらなかった。父親にこの類のことで注意された時のこと、あれはおそらく5歳くらいだったと思うが、『自分の性別は自分で決めるんだ!!!!!』と怒りを爆発させ、手のつけられないほどわめき散らして大変だったという話を聞いたことがある。それ以来、父はこの類のことは言わなくなり、母は私の発言を聞いて、『この子はもしかしたら女の子ではないのかもしれない。』とどこかで思うようになったそうだ。この事件があってから、弟は私のことを『お姉ちゃん』と呼ばなくなり、母や父は私が着る服にユニセックスのものを買い与えるようになった。性の話はこれ以降、うちではタブーになり、学校に関して言えば心配が爆発したのか、それが起因してかはわからないが、親は私を『女子校』にどうしても入れたがった。小学校受験は失敗したので公立校だったが、中学受験は成功し、都内では有名なお嬢様学校に入学することになった。

言っておくが私は不幸自慢がしたいわけでも、自分をカテゴライズしたいわけでもない。ただ、自分の中にある真実の気持ちを述べることによって何か渦巻くものを乗り越えたい、もしくはそれとともに生きていきたいと思っている。そのために赤裸々にいろんなことを書くと決め、最近ではこの日記を書いている。今日は初めて、誰にも話していないことをここで書く。心療内科の先生には話したことがあるが、この内容は、親にも親友にも話していない。

私は小学校低学年のとき、厳密に言えば1年から3年生の間、担任から性的な虐待を受けていた。その教師は今はもう行方知らずとのことを聞いたので、書いてもいいだろうと思い書いている。そしてもっと言えば、虐待を受けていたのは私だけでなく、他にも何人かいた。私は担任から、休み時間にキスをされたり、体を弄られたりしていた。あの時はまだ小さかったので何もわかっていなかった。それでも、『何かまずいことをされているな』ということは頭ではわかってはいたし、正直気持ち悪かった。手の感触や唇の感触など、今でも覚えている。そしてそれと同時に、私は『今この感触を味わっているのは自分とは別の人間だ』と思うことでおそらく心の均衡を保っていた。これがいわゆる、本当の私の中の、『セビーチェ』との出会いだ。
※セビーチェとは、心が分断されている状態を面白がって私がつけているあだ名である。南米の魚のぶつ切り料理が名前の由来だ。
言っておくと、当時の私にはあまりにもショッキングな記憶のため、心療内科に行くまでずっと封印していたものだ。おそらく、この虐待が原因となって私は自分の体をより『憎む』ようになり、そして『女』という生き物について考えざるを得なくなったのだ。よく中世のヨーロッパやインドなどで児童婚だったり、子供は『小さな大人』として扱われる事例が出てくると本当に心からシンパシーを感じ、辛くなっていた。今では整理がつけられるので大丈夫だが、それでもやはり、こうして書いていると少し動悸がしてくるのは事実である。幼少期の頃に、健全な状態でいられなかったのは確実に自分の容姿が原因だと思っている。私は小さい頃、背が高かった。発育も早く、生理がくるのも早かった。だから、大人の男にとっては仕方のないことだったのかもしれない。それでも、やはり今思うのは、『健全な幼少期を奪われた』という怒りと、屈辱、侮蔑、そう言ったどろどろした気持ちに他ならないのであった。しかしそれでも救いがあった。親に話すことはできなかったが、私には、教会という逃げ場があった。神様、イエス様にだけはこのことを話せると思っていた。だからいつも、ミサの後やお御堂にいるときは心の中でこのことを話していた。すがるように、話し込んでいた。きっと聞いてもらえると信じ、ずっと、話しかけていた。そしてある時、こう願った。『もし、本当にイエス様がいらっしゃるなら、この苦しみを終わらせてください。私を殺すか、あいつを殺すか、どちらかによってこの苦しみを終わらせてください。親には知らせないでください。親には、私が苦しんでいることを知らせないでください。人の死を望む私の汚い心を許してください。』
そう願い続けて3年、ようやくその教師は他の学校へ行くことになった。私はホッとした。ようやく解放されたんだと思って、学校のトイレで1ヶ月、隠れて毎日泣いていたことを覚えている。そしてそのトイレの鏡を見て、こう誓った。『もう終わったのだから、このことはずっとずっと秘密にして封印しておこう。あいつと私はもう、この世で会うことはない。だからこそ、もう、二度と私の記憶に蘇ってこないように封印しよう。』そして顔を洗って、私は日常を取り戻していった。

心療内科には何度かいったことがあるが、その度に『分裂症』だの『統合失調症』だの『双極性障害』だのと言われる。原因は掘り起こしていったところ、この幼少期のことが大きいと言われた。治療をしたほうがいい、というのは前々から言われており、薬も飲んだほうがいい、とも言われている。しばらくこの感覚は忘れていたのだが、昨今でストーカーにあった時爆発し、そしてPTSDを患った。周りを見れば精神病だらけだが、それでも芸術家はそんなもんだろうと思っている楽観的な自分もいる。だが、傷ついてきた自分を無視する気もない。結局私は、『自分の容姿を憎むことなく好きになりたい』というのが人生での一つの目標であると感じる。

容姿の話について掘り下げていくと、それでも胸が受け入れられない日もあるし、なぜペニスが生えていないのだろう、と小さい時には思っていたこともある。今でもたまにあるがそれは大した問題ではない。胸に関してはナベシャツがあれば解決できることだし、ペニスについてはまあ、どうにもすることはできないがそれでも空手をやっていれば暴れまわる男の子は満足するので最近では落ち着いている。そしてもっと言えば性は自由に行き来できるものであり、ダンサーになれば特に、ずっとずっと自由に行き来できるものだし、自由自在に操れるものだと感じることがある。だからこそ、ダンスはすごいし、ベリーダンスは特にいいなあと思う。幼少期の経験から、男性に対してあまりいいイメージを持っていないことは言わずもがなだが、それでも総ての人がそうではないということはわかっているし、美しい人もたくさんいる。そういった人がいっぱいいるのは救いだ。せっかくの人生だ、誰かを憎むより、自分を憎むより、愛して生きていきたい。単純かもしれないが、そう思う。そう思える心があってよかった、というのは私の真実の思い
かもしれない。

長くなってしまったが、私は今、生きるフィールドやフェーズが変わった。それは私なりのパンドラの箱を開けまくった結果だと思っているし、そのおかげで本当の自分に気づけたとも思っている。おそらく私が恋愛する相手は男性ではないし、自分の性別は決められないけれどもそれはとてもイカしてると心底思っている。ベリーダンスを踊っている時のおかまちゃんの自分をとてつもなく愛しているし、セビーチェとは相変わらず仲良しだ。それでもひまわりを育てている時の自分には、何かを愛する気持ちがある。人間でいることを忘れずにいられる。そして今、やはり私は頭を刈り上げたい。(長い部分を残して)管理がめんどくさく、そして大変だとも聞いたがそれでもやってみたいなと思っている。自分の思うように生きていくことが人生でどれだけ大切なことか、もっともっと体感していきたいと思ってる。

だからここで言いたいのは、過去に例えば性暴力やDVを受けて苦しんでいる人は男女限らず、希望を失わないでほしい。辛いのはわかってる。誰にも話せず、苦しく、死にたくなるのもわかる。そういう毎日がずっと続き、それでも死なずに生きていること、そんな自分を意気地なしだと感じることもわかる。(私はどこかで自分のことをずっと、死に損ないだと感じてきた。)プロを頼るのももちろんいいと思う。解決すれば正直なんでもいいと思っている。セクマイについては、世の中のシステムがマジョリティに合わせているから、なかなか理解してもらうことが難しいと思う。だいぶオープンになったといっても、どうしても消えない差別だったり、疎外感を感じることもあると思う。それでも忘れないでほしい。いろんなことを乗り越えるために闘っている人たちがいることを。表現している人たちがいることを。私は芸術家だ、だから私もその一人だ。芸術家はこういったことを糧にして表現していくべきだと思っている。大切なのは、本当の自分を生きることだ。総てを失っても、本当の真実の自分から逃げないことだ。その勇気をどうか忘れないでほしい。それだけはこの人生でずっとずっと、伝えていきたいと思っている。

私のこの日記が、誰かの助けになれば、というとおこがましいが必要な人に届けばいいなと思っている。



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