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森茉莉(鷗外長女)も評した映画【モンパルナスの灯】

「ジェラール・フィリップ生誕100年映画祭」で、森茉莉(作家、鷗外の長女)が「モジリアニの生涯」として紹介し、以前から気になっていた「モンパルナスの灯」を見た。

茉莉が「感嘆詞を上げながら、画面に見入った」ように、どこか哀愁が漂っているが、根が繊細でピュア、自分の絵が理解されない苦々しさを滲ませながらも、周りの人々(おもに女)が放っておかない、えも言われぬ魅力のある画家・モディリーアニを、ジェラール・フィリップは画面に大映しになった表情だけで表現している。今の時代の監督に、あんな単純明快で大胆なカットと用いる人はいない気がするし、それに応えるだけの力量のある役者もすぐには浮かんでこない。私はジェラールの映画を見るのが初めてであるが、きっと彼自身、役柄と共通する魅力を備えていたのではないかと思う。

冒頭、うだつが上がらず金もないモディリアーニは、金持ちの年上の恋人や、その前の恋人である酒場の女主人の辺りをうろついて、ただ酒をくらってくすぶっている。戸外のテーブル席で飲んでいると、通りの向こうからアヌーク・エメ演じるジャンヌがさっそうと歩いてくる。ウェストをベルトできゅっと絞ったトレンチコートにベレー帽姿のジャンヌが、すぐそばで切手を買う姿にさっそく釘づけになっている。エメは目鼻立ちがはっきりし、顔の造作がたいそう美しいが、その華やかさがひきたつのは、引き画面ですらりとした全身が映し出された時である。トレンチコートや、ジャケット、室内では胸元が美しく開いた黒のセーター姿など、ミニマルでシックな装いに生来のエレガントさが際立っている。

間もなく二人は恋に落ちる。「立っていてする二人の抱擁は、どのような優雅なラヴ・シインよりも美しい」と茉莉も書いたように、欲望への導火線としてでなく、お互いへの思いが溢れた抱擁のための抱擁は、見ていて清々しい感動を受ける。お互いの体に埋れてしまって、二人の表情は見えないが、腕の回し方、二人の長く美しい指先が溢れる愛を物語っている。オードリー・ヘップバーンの映画にも、湧き上がる喜びで相手に抱きつくシーンがいくつかあるが、エメの胸の中にもヘップバーンと同様ダイヤモンドのきらめきに満ちている。

ほどなくして二人は一緒に暮らし始めるが、絵が売れない現実は生活の苦しさとなって現れる。夜中、セーヌ川のほとりをぶらつき、やけになったモディリアーニはぐだをまいたり、なけなしの生活費を川に投げ込んだり、ジャンヌに無茶なことをふっかけて困らせたりする。そこにいたのが、愛する男に対して同じように自分を愛することを求め、安定した生活を望むありふれた女であったら、みるに絶えない修羅場が展開されていたであろう。しかし、ジャンヌの静かでまっすぐな心は、愛する人の表層に現れるにごりの奥底にある、深い哀しみを見抜いている。見抜いて、そっと寄り添っている。だからモディリアーニも我に返り、ジャンヌをぞんないに扱うことをしなくなる。一緒に映画を見た友人は「古いタイプの女性像だ」と感じたそうだが、ジャンヌの根底にあるのは献身の美徳でなく、一点の曇りもない相手への愛情で、それが私の心を激しく打つのである。

日本の映画やドラマでは恋に落ちるまでのプロセスを重視して、そこに到までの過程が長いものが多い。対するラテンは、恋に落ちるのは一瞬で、そこからドラマが展開される。相手の素性や背景を顧みず、たとえ最後に悲劇が待っていようとも、自分の抱いた恋心に一切の疑いを持たずひた走る(その分醒める時は実に早く、あっさりしている)。今日我々は愛情を抱く前に十分用心するよう、散々警告をうけている。人間的、社会的に信用に足る相手なのか、この相手で本当に幸せになれるのかetc…だから、愛することが自分にとっての幸せなのだと、損得抜きの愛を見せられた時、私はいつも脱帽してしまう。

「巴里の土にしか咲かない花」と茉莉に例えられたエメのジャンヌは、言葉数こそ少ないが、心根の優しさ、愛らしさが全編を通じて現れている。友人の画商が絵を売るチャンスだと二人のアパートへ乗り込んできて、三人は絵を担いでタクシーに乗り込む。車内で気乗りしないモディリアー二と画商との会話を心配そうに、だけど嬉しそうに眺める。アメリカ人の富豪をホテル・リッツに訪ね、アルコールを勧められると、飲めないと言って丁寧に断る。では何か他のものをと言われて、気恥ずかしそうにココアをお願いする。チョコレートを遠慮する姿もとても可愛らしかった。

そうかと思えば、厳格な両親に対してモディリアーニへの愛をきっぱりと表明し、家を出ていく。良家の子女であったのに、ポストカードを作成して生活苦を支えるような芯の強さを持っている。

映画のラスト、夫が外出先で倒れ、そのまま病院でなくなったことを知らないジャンヌは、久々に絵が売れて、うれしさのあまり涙を流す。「お金よりも励ましが、主人には必要なのです」と愛する人の才能が認められて喜ぶ。若い頃の綾瀬はるかがやったら似合いそうな役だ。

こういう優しい真心を持っているというのは、芸術や学問と同じく一種の生まれついての才能で、他の人が頭で真似ようとしても、なかなかそうはなれない。だからジャンヌのように美しく、優しい気性に生まれついたことは素晴らしいことであるし、そういう女性に愛されたジェラールのモディリアーニも幸せであったと思う。

参考文献:森茉莉「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」(ちくま文庫)


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