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散歩 #鴨川~下鴨神社

橋の上に立った時、
いつも心洗われるような気持ちになる
体の巡りが川の流れと一体化して
全てが洗い流されていくような
そしてその水鏡の清浄さに
ハッとさせられる

静かな時の流れの中で
私たちは何度も繰り返す
そして少しずつ変わっていく

何度も洗われ続けるデニムのように
きれいになる度、少しずつ色あせながら
だけど次第に手に馴染んで
だんだんと心地よくなっていく

私たちは少しずつ学んでいく
世界を知らず
ただただ不安を抱えていた日々のことを思うと
何だか泣きたいような気持ちになる
だけどそれは我知らず輝きを放っていた時期でもある

***
時間のある時はよく散歩した。

家を出て、川の方へ歩いていくと、すぐに川沿いの車道へでる。
視界が開け、街を取り囲む山並みが連なっているのが見える。
それは春霞の中で淡く漂っていることもあれば、梅雨時分、グレーの曇天に濃いグリーンのコントラストをくっきりと描き出していることもある。

橋の半ばでしばし歩を止め、水の流れを眺めることもある。
全てを洗い流してしまうような、川の流れる音。
世界の希望をそのまま反射させたような、水面のきらめき。
雨上がりのあとの、たっぷりとした水量…

橋を渡り住宅街を直進していくと、下鴨神社の裏口へ行き当たる。
まっすぐいくと本殿へ通じている。

本殿へお参りしてから御手洗池を回って、森の遊歩道へ入る。
境内はいつも観光客や修学旅行生でごった返しているが、ここまで人が入ってくることはごく稀だ。

散歩できる森の範囲はごく限られている。どんなにゆっくりと歩いても十分とかからない。

ここで私が目を見張るものといえば、頭上の高い高い木々の葉の間から落とされる、日の光。

多くの葉を通って届く光は複雑で、脳がとても処理しきれないほどの、緑の情報を弾ませ、遊んでいる。

たまに朝の早い時間にいくと、森の一角にだけ、朝日がまっすぐ差し込んでいる。その光景は、どうやって描写したらいいのかわからないほど、神秘的で目を見張る。そこは昔、祭祀の場だったという。

南仏の陽光とそれが描く緑のコントラストを描写する時、私はここの、頭上の木々を眺める。

光の遊びを、陰影の法則を、少しでも自分の中へ取り込もうとする。だけど、それが成功した試しはない。ゴッホやモネなら、きっと何度も筆をとっただろう。捕らえようとしてもうまくいかない、光の影のコントラスト。鮮やかな緑の遊び(Jeux)。


道を進んでいくと、小さな小川が流れ、小さな橋がかけられている。
チロチロと絶えず流るる水は、いつも心の奥底を覗かれているのでは、と思うくらい透明で、清らかで、しばし足を止めて見入ってしまう。

森はいつもひっそりとした清涼さを宿していて、学生の頃、夏の盛りの夕方、神社の敷地に接した小道を通っている時、森からひんやりとした冷気が漂ってきたことは今でも忘れられない。土用の頃のみたらし祭で、はじめて池に足をつけた時の冷たさも。地中から湧き出る水は瞬時に体の熱を取り去って、暑さで参った肉体も、精神をも、瞬時にリセットしてしまった。

川は敷地の東の淵にそって流れ、散歩の終わる頃、もう一つの橋が現れる。それは外と神社との渡しとなっている。橋はあちらとこちらをつないでいる。住宅街の方から自転車にのった人々が、欄干のない石橋を渡って、さっそうと敷地内を通り抜けていく。

そうして森の散歩は終わる。

T/R/A/N/S/I/T/I/O/N #散歩 (2019)より抜粋




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