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私の自己紹介

私が生まれた1956年は、経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われた年。高度成長期の直前で、家の前の土の道が舗装されたり、家にテレビなどの電化製品が増えたり、日本が急速に豊かになっていくところを目の当たりにして育ちました。

社会に出た1970年代は、まさにモーレツサラリーマンの時代。ただ、日本経済は踊り場に来ていて、二度のオイルショックを経て、入社後はしばらく低成長が続きました。就いた仕事は自動車の営業企画。印象に残っているのは、先輩たちが企画を何度も練り直し、試行錯誤する姿。

試みは成功することも、失敗することもありますが、失敗が次のチャレンジの種になります。苦しい時期にキャリアをスタートし、経験を積んだことは、私の仕事観を形成する上でよいことだったと思います。

実は私は、これまで何度か仕事が大きく変わっています。職場を転じる際は、今までの経験や人間関係が無駄になるのではないかと葛藤するものですが、現在のようなマネジメントの仕事をするようになると、むしろ異分野の人とのつながりが活かされることが多いと感じます。また、未知の分野では素直に人の話を聞く必要があり、自分の限られた経験に固執する姿勢からは比較的自由になれると思います。私の座右の銘である「人間到る処青山あり」、つまり、どこに行っても、その場所を自分の生きる場所、死に場所にできるという自信になっています。

様々な業界を見て気づいたことは、良い事業は「笑顔が連鎖する」ということです。住宅事業でも、本心から「こんな家に住めば楽しいだろうな」と思えるような住まいを提供しなければ、お客様に見透かされます。営業担当やデザイナー、サプライヤー、販売店、そしてお客様に、笑顔がバトンタッチされることで初めて物が売れ、かつ人を幸せにすることができるのです。

日本は豊かで幸せな国として発展してきました。そして今後、人々が今まで以上に幸せになることも、十分可能だと思っています。若い人に期待するのは、自分のために働きながらも、心のどこかに、日本人、また人類を幸せにするという気持ちを持つことです。その気持ちを忘れずにいれば、がむしゃらに突き進む毎日の中で、ふと自分の隣に、あなた向けの小さな「幸せさん」がニコッと笑って座っていることに気づくでしょう。                     自動車専門商社→自動車メーカー本社労務課→アメリカ工場工務部長→本社技術部→中国工場(成都)→中国本社(北京)→本社技術部→ハウスメーカー(名古屋栄、東京新宿、青山骨董通り)→ようやくスローライフ@東海道の地方都市新幹線駅そば

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