私は私が嫌いだ。


私は私が嫌いだ。
歳追うごとに嫌いなものが増え、肥大化していく「嫌い」を、もう自分でも止められない。



私は私が嫌いだ。

容姿も嫌い、性格も嫌い。
何より、嫌いなものが多いところが一番嫌いだ。

歳追うごとに嫌いなものが増え、肥大していくの「嫌い」という感情を、もう自分でも止められない。


「母親」が嫌いだ。

社会に出て働き、生活をする為のお金を稼ぐだけで疲弊して毎日が終わる、
それでも精一杯生きている自分のことを認めない母親が嫌いだ。

独身だということだけで親不孝者扱い、親になっていないことで半人前だとの言われは不当過ぎる・・・が、そんな母親の期待に応えられない自分が嫌いだ。


周りの「一般的な幸せ」が嫌いだ。

仲の良かった友人がみんな結婚し子供を産む。子供どころか、独身で彼氏もできない負け犬だと思われている、と感じる自分が嫌いだ。
妬みなのか淋しさからなのか・・・
同時に、新しい生活や大切なものができたことで、昔の縁が簡単に置き去りにされてしまう時の流れも、
その流れに乗っていない私に、自分たちと同じところへ来いと諭されることも嫌いだ。

だってそうでしょ。
旦那への嫌悪、家政婦状態の毎日を散々愚痴った後で、結婚していない私のことを疑問視されても困る。こちらの方がなんで結婚したのか疑問しかないのに。
ああ、そうか。
愚痴っていうのはある程度の環境がある上でしか出ないものだからね、結局は悩みではあるけど手放すつもりもないし、ないよりある方が良い、という判断だからか。

つまり、結婚して苦労している自分より、私の方が可哀相だということか・・・なんてしか思えない自分が嫌いだ。


「男性を斜めにしか見れない自分」が嫌いだ。

褒められても素直に喜べない自分、
自分を好きだと言ってくる男性を好きになれない自分。
そして、自分のことを好きでもなんでもなく雑に扱う男性を好きな自分が嫌いだ。

自分が嫌いだから、こんな自分を良く言う意味が解らず拒絶反応がでる。
それなのに、そんな自分を好んで欲しいと、自分に振り向いてくれない男性に愛を求める。
ただ、どんなに好かれようと自分が好かない相手とは結ばれたくないし、どんなに相手にされなくとも、自分が好く相手を諦められない。それで独りだとしてもいい、とさえ思っている。

・・・のに、独りは辛いと嘆く夜がある「自分の弱さ」が嫌いだ。


「女性をバカにする社会」が嫌いだ。

会社、政治、どこもかしこも未だ男社会だ。
学力があっても不合格にされる、同じ学歴であっても給料が違う、結婚の予定も辞める予定もないのにそれだけを理由に昇進すらできない社会が嫌いだ。
女というだけで立ち入れない場所がある。穢れた扱いをされる。
その穢れた存在から自分たちは生まれてきているのに。
そんな考えや社会が嫌いで、自分がその「女」で在ることが嫌いだ。

社会に敵意と嫌悪を感じ、女であることに嫌気がさしているのに、女である自分を認めて欲しいという強く願う・・・

そんな「女に固執した自分」が嫌いだ。


友人との溝を感じる自分、好きな人に好きになってもらえない自分、何も成し遂げられていない自分、自分を嫌う自分の存在・・・

嫌いだ、全部。

私は、私が嫌いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?