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日々のあわわ #2【forever with you】

 私の部屋に同期のK君が駆け込んできた。
 今しがた『ラーメンでも食べに行こうよ』という彼のメールに同意したばかりだったので、その訪問自体に驚きはない。そのとき私がたじろいだのはK君自身の様子であった。ドアを開けた彼は、いきおいバタッと玄関に倒れ込むなり、怒りなのか悔しさなのか悲しさなのか判別しがたい、落ち着きを欠いた口調で叫んだのだ。

「ちょっと聞いてよ!」

 このK君というのは年がら年中「とにかく彼女が欲しい」と口にしている男で、酒を飲めば今まで女性と交際した経験が無いことを嘆き、外でカップルを見かければ悔しがり落ちこみ、一方で女性の容姿のジャッジには異様に厳しく、容姿端麗な相手でなければ鼻にもかけないと、友人の自分から見てもなかなか難儀に感じる性格ではあった。しかしまあ、こちらも女性にモテモテの学生生活を送っていたわけでもなく、彼の気持ちが理解できぬこともない。私は友人として彼の愚痴をよく聞いていたのだ。

 そんなK君が涙ながらに声を荒げているとなると、これは狙っていた可愛い女の子に恋人がいたとかそういう類の話なのかとも一瞬思ったが、そうなると先ほどのメールの落ち着いた調子ともそぐわない気もする。
 どうしたのかと訊く私に、K君は返した。
「いま……」


 その数日前のほぼ同時刻のこと。喉が渇いた私は、飲み物を買いに行こうと炬燵から抜け出し、外套を羽織りながら玄関へ向かった。
 大学当時、貧困を極めていた私が住んでいたそのアパートは屋根裏をハクビシンの家族が跋扈する築ウン十年のおんぼろで、玄関の扉はフレームが折れ曲がって隙間が空いており、冬になると台所や風呂などはほとんど外気と変わらぬ気温となるのが常だった。
 雪を押しのけて扉を開き、外の廊下へ出る。暦のうえでは春が近づいているとはいえ、東北の空気はまだまだ冷たい。廊下に積もる雪の上をギュッギュッと音を立てて歩いていく。
 廊下の端にある二、三段の小さな階段を降りると、そこは駐輪場になっており、目的の自動販売機は階段の脇にあった。普段は雪の積もった数台の自転車が佇むだけの駐輪場だが、その日は階段まで出てみると、帰宅途中であろう中学生たちが集まって何やらワイワイと盛り上がっている。そういえばそろそろ卒業式の季節か。そんなことをふと考えると、お世辞にも目ざましくない自分の単位の取得具合が脳裏をよぎった。来年の今ごろ、自分はちゃんと進級しているのだろうか……ハァッというタメ息が白いもやとなって消えていく。私はトボトボと自販機の前まで歩き、ポケットから財布を取り出した。
 その時だ。突然背後で大きな歓声と拍手が鳴り響いた。思わず振り向き、声の主である中学生たちをよく見る。七、八人……いや、十人はいるだろうか。皆、こちらに背を向けていて私には気づいていないようだ。背を向けていると言っても、一列に並んでいるのではない。全員が内側に顔を向けた一つの円となって集まっているのだ。
(誰かを取り囲んでいる……???)
 そのとき私の頭の中に浮かんだのは”イジメ”の三文字であった。大勢で一人を取り囲み、周囲から内を見えない状態にして、辱めや危害を加える。考えられない話ではない。もしそうであるなら、大人としてこれを見逃して良いのだろうか。目撃者である自分が何かアクションを起こさなければならないのではないか。無論、イジメと決まったわけではない。考えすぎかもしれない。なにせこちらから中はよく見えないのだ。
 急に降って湧いたこの状況にどう対処すべきか悩んだ末、私は視線を前に戻して再度自販機と向き合った。そうだ飲み物が取り出し口に落ちる音で、ここに人がいることを知らせてみよう。イジメであれば、ひょっとするとそこで解散するかもしれないし、そうでなくても傍に人がいるとわかれば警戒して大きな行動には出られまい。そう考えた私は財布を取り出し、投入口へと硬貨を滑らせはじめた。百円、十円、十円……。

 と、その刹那、いきなり「キャーッ!」という嬌声が私の冷えた耳に突き刺さった。そして、いざ押さんとボタンに手をかけた私の横を大勢の女子中学生たちがドタドタと音を立てて駆けていく。何が起こった?振り向いてみると、円の中身がそこにあった。

 寒い冷気の中、熱い接吻を交わす中学生男女のシルエットが見えた。

 私は唖然としながらも目が離せなかった。
「ああああそうかさっきの拍手は告白成功の拍手だったのかああもうすぐ卒業式だしなあああ今のうちに告白してと考えたのかなああそれとも周囲の女子たちが囃し立てたのかにしても随分展開が早いんじゃないのかなああいやいや言っても昔の自分のことを考えると批判もできんわなああ」
 怒涛の如く湧いてくる思考が、そのまま急流に乗って脳内ジェットスライダーを駆け抜けていく。
 そしてその勢いに任せるかのように、大塚食品・MATCH500mlが音を立てて静寂の中へと落ちてきた。鳴り響くガコンという大きな音にハッと覚醒した私は、サッと取り出し、ダダダと廊下を走り抜け、バタンとドアを閉めたのであった。


 私立きらめき高校。
 そう。ゲーム『ときめきメモリアル』の舞台である。その学校には、”卒業式の日に校庭のはずれにある樹の下で愛の告白をしたカップルは永遠に幸せになれる”という伝説があるという。

「いま……そこで中学生がキスして……」

 言葉を詰まらせたK君の悔し涙が頬を伝い、私は我がオンボロアパートが今や伝説の樹と化していることを悟った。

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