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『ふたりの平成』(橋本治・中野翠)       -予言の書-

部屋を片付けようと散らかった本をまとめていて、なんの気なしにページをめくると、片づけを忘れて読んでしまうことが有る。

ちょっと前、物置になっている部屋を空けるために、積み上げてあった段ボールを整理していたら懐かしい本が出て来た。
橋本治と中野翠の対談本『ふたりの平成』。
奥付見ると平成三年七月一七日出版になってる。

『ふたりの平成』橋本治・中野翠

時代の変化

1989年1月7日昭和天皇が崩御されて、元号が平成になる。
同じころに手塚治虫、美空ひばりが亡くなって「一つの時代の終り」と言われた。
世界では、ベルリンの壁が崩壊して旧ソ連が解体して冷戦が終わる。
天安門事件があり、中東で湾岸戦争が起こって、という世界中が激動だった時代。
そういう大きな変革期に橋本治と中野翠が、「今の時代状況」について語り合っている対談集、だった筈、と思っていたのだけど、読み返してみると、当時のそういう世界情勢とか、日本の政治状況に対する発言は殆どない。
むしろ、えのきどいちろう中森明夫いとうせいこうが、天安門事件に抗議したことを、今まで政治に関心無かったくせにと、二人で批判的に語っている。
確かに、それまでの自分も、政治や社会問題には興味が無かった、自分には関係のない問題だった。

昭和の終わりころというか、1980年代までは、”いまどき”の「女性」や「若者」、「芸能人」や「作家」その他に代表される、社会の流行や風俗、特に「文化」を語る事が、「世の中」を語る事だった。
いろいろな属性の人の、時代や環境によって作られる、性格や人間心理そして、その個人同士が作り出す人間関係の分析をすることに、意味があった気がした時代。
橋本治は、当時それを最も上手く説得力を持って語っている人だったな。
「世の中、人間社会」という、難しくて自分の頭では分からないものを、自分に代わって観察して、分かり易く組み立て直して見せてくれてる。
橋本治の文章読むと、自分にも世の中が分かった気がした。

ただ、そこには、政治とか社会の制度、共同体としての日本という考え方は無い、又世界の中での日本の位置、日本と外国との関係と言うような視点も無かった。
あくまでも、個人のキャラクター、そしてその個人同士の人間関係の分析。
それに価値がある、それが判れば世の中が分かると思っていたのが昭和の時代。

昭和が終わって平成に、80年代が終わって90年代になる。
そうしたら、急に自分の興味関心が、日本の政治や国際情勢になってしまった。
それは日本を含めて、世界中に激動があったからではあるけど。
バラエティ番組歌番組を見てそれを語る、マンガやアニメについて考えることに、意味が有るように思えたのに、そうではなくなった。

昨日までたけしやタモリとんねるず、松田聖子や中森明菜に興味があったのに、何故今は国際情勢や、国内の政治、例えば小沢一郎が政治改革と言って自民党を出て細川政権を作った、に関心が有るのか
「時代が変わったから」だとしか言いようが無いけど、それは自分だけではない、世の中全体の空気の変わりようだった。いま考えても、その急な変化にちょっと驚く。

問題は、それまでのビートたけしや松田聖子を、つまり文化や流行を分析する言葉で時代や日本社会を語れていたのが、その同じやり方で世の中を説明出来なくなったということ。
ゴルバチョフ書記長のパーソナリティーの分析が正確だったら、ソビエト連邦の解体を説明できるか、小沢一郎の行動が分かったら、細川政権から村山(自民党社会党連立)政権に至る日本政治の変化が分かるか、というと全然出来ない。

80年代に、「世の中を説明することが出来る」と思えたから好きだった人たちに、それを感じられなくなった。
その代表が橋本治、女性だと中野翠だったワケで、徐々に気持ちが冷めて行く感じが有った。

『ふたりの平成』と『89』は、昭和と平成、80年代と90年代、そのちょうど端境期の本なのだ。


 『89』橋本治

天皇やめたい

ページを捲りながら、当時は、なんであんなに熱心に読んでたのだろうと言う気持ちになった。今ではピンと来ないことばかりを語り合っているな、というのが全体の感想だった。
しかし、一か所だけアッ!と思ったところがある。それが

橋本…「天皇だって人間なんだから、”天皇をやめる”っていう権利はあるはずだ」ぐらいのことを言いだせば面白いのになって思うんだ。
中野 いうはず無いじゃない。
橋本 ないけど。でも、わかんないよ。

1 ぼくたちの「近代」の大団円 『二人の平成』

天皇陛下が自ら”やめる”と言い出したら面白い、と言っている。その時点では荒唐無稽で現実味がない発言で、中野翠も「いうはず無い」と否定している。
しかし現実には、2016年(平成28年)8月の「おことば」で、

「加齢による体力の低下から、象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあり、そのため、生前退位の意向をにじませる」

Wikiより

と報道される。

天皇陛下自ら「譲位したい(天皇やめたい)」と言い出したのだった。
そして2019年(平成31年)天皇を退位され、約200年ぶりに上皇になった。

この対談自体は、平成元年4月1日に行われてる。
その時点で、その後平成28年に起こる事を予測している。
橋本治は、そう予測した理由を、(明仁)天皇陛下が「普通の市民である以上に普通の市民であることを望んでいる」「自発的にものを考えるってことを徹底してうけさせられちゃった」などと、色々語っている。
その分析が正しいかはともかく、天皇陛下のパーソナリティー(もちろんメディアで報道されるものだけ)からそれを導き出し、結果としてそれが当たった。
これってちょっとスゴイ事ではないか。
自分が知るかぎり、他にこんなことを予測した人はいなかった。
それは当然で、皇室典範で天皇は終生在位するものと決まっている(というのは今回知ったのだけど)。

そもそもそう決まっているのだし、明治以来、当代の天皇陛下が崩御されたら、次の天皇が即位してきた。それが当たり前だった。
だから、普通はそんなこと思い付くわけない。
「今までそうだった」「そう決まっている」ので、皆がそこで立ち止まって、その先に行かなかった。
その時、橋本治だけが「天皇が自ら退位したいと言い出す」という可能性を予測した。自分の頭で「その先」を考えた。

1991年旧ソ連が解体した時、小室直樹が1980年に出版した『ソビエト帝国の崩壊』の中で、”ソ連邦が解体する可能性がある”と指摘していたので、「未来を予言した」と言われた。

『ソビエト帝国の崩壊』小室直樹

平成元年に、”天皇陛下が、みずから退位を言い出す可能性”を予測した『ふたりの平成』のなかの橋本治の発言も、それに匹敵する「予言」なのではないだろうか。
そこはスゴイ、今回読み返してそう思った。
                            終わり




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