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自分以外の『何か』



始まりは、子供の空想。

両親の喧嘩から逃げる様に
頭の中で物語の続きを描きはじめた。

彼らの世界は、私がいない時間も進んでいて
私は眠る前の少しの時間、遊びに行かせてもらう。
世界と世界は扉のようなもので繋がっていて
私は自由にそこを行き来する事が出来た。

それは、好きになったアニメの世界だったり
いつの間にか頭の中に住み着いた人達だったり
こんな所があればいいなって理想だったり

やがて大きくなって、絵が描けるようになると
脳内のイメージをノートに描くようになった。
パソコンが使えるようになると
取り憑かれたように拙い物語を描き上げた。

そしていつしか
空想を共有する友達ができた。
同じように絵を描き、物語を作るのが好きな子。
私なその子と、秘密の創作活動をはじめた。

誰にも見せない、私達だけの世界。

夢見がちでファンタジーが好きな私とは違い
彼女の世界は現実的で情報量が多い。

一人ではない世界は、想像できない事の連続で
嬉しい事も悲しい事も数えきれない程経験をした。
登場人物に声を当ててみたりね。

でも絵や文字に残らないものも多く
今では忘れてしまっている事も沢山ある。
残念ながら記憶は少しずつ損なわれていく。

その子と作る物語は
『二人だけの世界』なので作品には残せない。

私はせめて、自分が作った物語だけでも
作品に残したいと思った。

そこに彼らがいるという事を伝えたい。
私が描きさえすれば、たとえ最後には忘れられても
彼らは私から離れて自由に世界を渡り歩けるのだ。

『子供の頃の遊びだ』と忘れていくのもいい。
でも私が描かなければ、彼らは忘れられるだけ。
それが寂しい。

独占していたい気持ちもある。
手を離れる時は、嬉しさと同時に不安もある。
でもやっぱり、嬉しさのが上回るよね。
やっと描けたって安堵する気持ちも。

絵や小説、台本を描くこと。
映画や漫画、本を読むこと、声を当てる事も。
自分以外の『何か』を表現したり感じる事は
私にとって、無くてはならないもの。

でもいつか、そんな事ができなくなる日がくる。
……かもしれない。

描ける世界は少しずつ変わっていく。
昔かけたものは、今はもう描けない。
逆もある、だから楽しい。

子供の頃、ひとりで描いた空想が
根を張るように、広がっていく。

その先にどんな花が咲くのか
どんな実が成るのか

私は見てみたいのだ。

自分以外の『何か』を通じて。



この文章を書いたその後に
「プーと大人になった僕」をみて
想像されなくなった創作物は
こんな気持ちなのかなと、涙で溢れました。。

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