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小説 夜 の 駅  いち

【あらすじ】

皆橋駅は深夜一時を過ぎると無料開放する。常連客の少女ハツは夜を愛し昼を厭う。ある晩ハツはクラスメートの左記子に遭遇し──。
『隣町銀河』の登場人物、梅渓ハツ視点の物語です。

いち




夜、に特別な気持を抱いている。





かつて吉田兼好はこう書いた。
〈徒然なるままに、日暮らし、硯にむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ〉
怪しうこそ、もの

狂ほしけれ• • • • •

狂おしいと、兼好は書いた。
兼好は夜に文章を書いたのではないかと古文の酒田先生は云う。
夜は人を狂わせる作用を持っている、そんな風にも云う。
夜は神秘で妖しく、謎めいている。
深呼吸が似合うし溜め息が似合う。

夜が昼のようだったらいいのにと思う。










梅渓うめたにハツは空中を飛んでいるような錯覚をおぼえて目瞬きを二度続けざまにした。

──ああ。

そうではない、と起動させたばかりの頭をさすって座り直す。いつの間にかうとうとしてしまった。窓の外から見える夜景が緩やかに揺れていた。
深夜の電車内である。乗客はハツ独りだった。
皆橋みなはし駅は深夜一時を過ぎると無料開放する。どういう仕組みか見当がつかぬが無人で電車が運行する。もしかすると自動運転システムのようなものが搭載されているのかも知れない。

ハツはよく家をこっそり抜け出して、深夜の皆橋駅を利用する。別に出掛ける必要のある場所なんてないし、田舎だから開いている店や遊べる場所は全くないのだけれど。だいいち深夜一時なんて皆眠っている。
ハツの目的は、ただ電車に乗ることである。
草臥れたブルーの長い座席に座って揺られていると、なぜか時間の流れ方が変わるような、もうひとつの世界に侵入出来るような不思議な、それでいて落ち着いた感覚が味わえるので好きなのだ。大抵他の乗客はいない。乗っていても一人か二人だ。
高校が夏休みに入ってからこの無料開放電車に乗るのが日課になっている。駅員もいないので学生だ未成年だと咎められることもない。勝手にホームまで出て、勝手に電車に乗るのである。
夜の皆橋駅の話は特に誰かに話したことはなかった。
話題にする事でもないと思ったし、昼間のうちはあまり意識に上らなかったのだ。無料開放というなら町の図書館だって同じことをやっている。けれども皆こぞって図書館へ来る訳ではない。一度も利用したことのない者だって居るだろう。当たり前のように知っているのだから今更騒ぐまでもない──皆橋駅に就いても同じように思っていた。





「梅渓さん?」

突然自分の名字を呼ばれた。
予期していなかったので跳び上がりそうになった。
顔を上げて前方を見ると、同じクラスに在籍している久貝左記子くがいさきこがハツをまじまじと見つめていた。元々大きな目を更に見開いて、近くの手すりに掴まっている。
吃驚びっくりしたあ、と左記子は人懐こい笑顔をつくった。
「私しか乗ってないかと思ってたから」
それはハツも同感だった。だからこそ突然声を掛けられてあんなに驚いてしまったのだ。すこしきまりが悪い。

「あのね、」

左記子はぴょんと跳ねるように移動して、それが当然であるかのようにハツの隣に座った。

「時々乗るの、私。 電車とか好きで」
「そ」

敢えて左記子の顔を見ずに短く応える。
冷たいのではない。ハツはいつもこうなのだ。
ハツは群れたくない。ハツは媚びたくない。必要以上に周りに協調して、個性を埋没させるような事はしたくない。左記子もクラスメートなら解っているんだろうに。

「梅渓さんも電車、好きなの?」
「理由とか必要?」
「そういう訳じゃないけど──」

左記子は云い淀んで、俯いた。すこし可哀想だったかと後悔する。彼女は何も悪い事なんかしていないのに。
左記子は、かわいい。
何の捻りもない云い方しか思い浮かばないことに腹が立つけれど、その表現が適切だと思う。
小柄で華奢で幼い顔立ち。柔らかにカールした色素の薄い髪。
今着ているパステルカラーのワンピースだってよく似合っている。性格も人懐こいし明るいし、ちょっと抜けているところもいい。頭は悪そうだけれど。いずれにしても周りとうまくやっていけるタイプだ。

ハツは真逆。
全くの真逆。

単独行動を好むし、愛想笑いなんかはした事がない。
いや、いざしようと思っても出来るかどうかさえ怪しい。
黒髪のショートカット。ジーンズにTシャツ。成績は良い方だと思う。
共通項のないそんな二人が、真夜中の電車内に隣り合わせで座っているという状況はかなり妙な感じだった。何故こんな処で会うのだろう。

──夜の所為だろうか。

窓の外から見える月は、薄ぼんやりとしていて割と黄色い。
街灯は真っ黒い夜をバックに電車の揺れに合わせてゆらゆらうごめいている。

──力が。

夜には力があると、ハツは信じている。
子供みたいにあからさまな力があると信じている訳ではない。でも、少なくとも夜はハツの気持を変える能力を持っている。
昼は絶対に持っていない、夜の力。
そう、酒田先生のいつかの言葉を信じているのだ。

夜は狂う• • • •

夜は人を狂わせる能力を持っている。
左記子も──。
左記子も今、ちょっと狂っているのかも知れない。夜だから。

「親は」

左記子はへっと奇妙な声を発してこちらを向いた。

「だから、久貝さんの親は久貝さんがこういう事してるの知ってるの」
「梅渓さんは? 」

左記子の目元と口元がまあるくカーヴした。
がたん、
と 電車がひときわ揺れた。



夜が気体状になってハツの深部まで侵入して来た。



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