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レディメイドじゃない


初めて電話で話したAさんは私の予想していた三倍はおしゃべりな人で、ちょっとびっくりした。あれこれ質問攻めにされたっけ。

以降Aさんは「気持ちを受け入れて欲しくて」「話を聞いて欲しくて」「大丈夫って言って欲しいな」と、自分の弱っている気持ちをさらけ出してメンタル面で私を頼ってくれた。
ただ、ストレス源が仕事だったこともあり、時折話の方向が職場や上司への不満に傾くことがあった。何回か応じているうちに、あ、これは駄目だと感じる瞬間があった。

私、お母さんとこういう関係になって潰れてしまったんだった。

母が父への不満を私に漏らす。それからご近所さんの不満。共通の知り合いの。義母の。実母の。社会構造の。自分がされた仕打ちへの。
後に母は軽い気持ちでそれらをやっていたのだと発覚したのだけれど、当時の私は馬鹿みたいに一生懸命聴いていた。母を守りたくて。
そもそも私は批判話にひどく耐性がない。長年いじめられていて常に中傷される側のポジションだったから、自分がそうされたときの辛さがフラッシュバックして、まるで攻撃されているのが自分でもあるかのようにダメージを受けてしまうのだ。でも、ずっと目を逸らし続けていた。それらが蓄積して最終的に耐え切れなくなった。
このままでは繰り返してしまう。
こういうやり取りが固定化したら、私は大好きなAさんのことも無理になってしまうと思った。そうはなりたくなかった。

「こういうのをやめて欲しい」と伝えようとするとき、私はとても気を遣うたちだ。自分がもし改善点を指摘される立場だったら、恥ずかしさと自己嫌悪と言い訳したい気持ちと、複雑に入り交じるだろうと思うから。モットーは平和。相手の心と尊厳を傷付けないように、敬意を払いつつ、でも言いたいことは明確に伝わるように、巧みに、例証を用いて、質問を用いて、Iアイメッセージを心掛けて……と考えて考えて、書き出したものを短くまとめる。物凄くエネルギーが要る。
実際母に伝えるにはそれくらいの労力が必要だった。母はなかなか自分の考えを曲げない人だし、率直な伝え方をすると「そういうつもりじゃなかったのに」と不機嫌な顔をされてしまうから。でも、幾ら伝え方を工夫しても納得してもらえたと感じたことはない。だから更に伝え方を工夫しなければ──というループを繰り返した。

という前例があったので、Aさんに話を切り出したとき、ちょっとした勇気と勢いが必要だった。

「私ね、Aさんと話すのが好きだし、Aさんが嫌いってわけじゃないんだけど、攻撃的な言葉にすごく弱いのね。ほら、乱暴な言葉って存在そのものがトゲトゲしてるから、自分に向けられてなくても肌触りが痛いっていうか……」
まだ説明しなきゃ、と思っている途中でAさんは「ごめんね!」と勢いよく謝ってきた。
「本当にごめんね、そうだよね。仲良くなってきたのはいいけど、それに甘えてつい乱暴な言葉を使ったら駄目だよね。DVっていうか、DVっていうのはちょっと違うかもだけど……」
Aさんは次々言葉を重ねてきた。全て私の立場に自分を置き換えた視点での言葉だった。
「*ちゃんのこと傷付けちゃって、本当にごめんね」
私はそのあまりにスムーズな意思の疎通にとても驚いて、思わず「Aさんってすごいね」と返した記憶がある。
電話を終えたあと、Aさんはご丁寧に「乱暴な言葉を発してごめんね。今後気をつけます」とメッセージまでくれた。なんて素敵な人なんだろうと思った。

「そんなつもりなかったんだけど」「俺だって大変だったんだよ」「これは正当な怒りだよ」「こんなことで傷付くの?」

無意識に、私はそういう種類の言葉が返ってくると構えていた。というか、母だったら返ってくるだろう言葉がこんな感じなのだった。彼女の「謝る」の基準はおそらく自分視点で“自分に非がある(と思う)か”なのだろう。Aさんだって、しようと思えばそう出来ただろうに。
自分の事情を横に置いて“相手を傷付けた”という視点に即座にフォーカスして、何の言い訳もせずごめんねと言ってくれたAさんのすごさ。

自分と意見や感性が違うからといって、Aさんは他人の基準を跳ね除けたりしない。普通は、みんなは、という価値観を、Aさんは私の前に持ち出さない。持ち出された記憶がない。

あなたはただひとりのあなた。規格品レディメイドじゃない。






Aさんに“早寝チャレンジ宣言”をしたことがある。

「今月から、遅くとも十時半までには寝ることにしたよ」
そう知らせると、いいじゃん!と応援してくれて、電話するときは時間を前倒ししてくれた。
早寝成功の鍵は早めにお風呂を済ませることだよねと言って、グズグズしがちな私に「お風呂もう入った?」と度々訊いてくれた。
家事育児仕事と、自分どころか他人をお世話して生活している人もいる中で、私はとてもレベルの低いことを目標にしているなと我ながら思う。でも、そこを嗜められたことはない。
「お風呂入ってないのに「入った」って嘘ついたら駄目だよ。叱るために訊いてるんじゃないからさ。まだ入ってなかったら「じゃあその前にちょっと話そ」ってなるし、入ったんなら「じゃあ今日はゆっくり話せるね」ってなるからさ。*ちゃんの自己肯定感のために正直でいるんだよ」
そんなふうに言ってくれるから、気持ちが軽くなった。

こんなこともあった。

自分の人生や未来を大切に思えない私にAさんが「毎朝起きた時にさ、“私は幸せになるんだー!”って声に出してみたら?」と提案してくれたとき、「出来ない」と泣いてしまったことがある。
「その言葉、すごい苦しい……」
実は以前に、それと似たようなことを自分で試みたことがあった。定期的に自分のことが大好きと声に出しセルフハグをするというものだ。ただ声に出すだけなのに、不思議と私の内面は激しく揺れた。自分のどこから湧いてきたのか、強い悲しみと怒りが複雑に混ざり合って、その衝動に支配されて辛かったので諦めたのだ。
Aさんは、「ごめんね、じゃあやめよ」と言って無理強いしないでくれた。でも、ことある毎に「幸せ?」「幸せでいてね」と声を掛けてくれた。私がAさんに「いつも幸せでいてね」と言うと「*ちゃんが幸せって感じてないと、僕も幸せじゃないよ」と答えてくれるのだった。
いつしか「幸せ?」と訊かれたらするっと「幸せだよ!」と返せるようになっていた。徐々にだったので今は違和感もないが、口にも出せなかったことを考えるとものすごい変革だ。

“幸せ”と“安心”はとても近い位置にあるのではないかと思う。“愛されている”と“許されている”も。安心なくして幸せは有り得ない。
「*ちゃんが幸せって答えてくれたら僕は嬉しいし、でも幸せじゃないって答えても“そしたら*ちゃんが幸せって感じるにはどうしたらいいかな”って考えるからさ」
Aさんは早寝チャレンジのときと同じく、理想通りに私が出来なくても叱ったりしない。叱る代わりに提案をしてくれる。Aさんが私を叱るのは、私が我慢したり遠慮したり、Aさんを頼ろうとしないときだ。
Aさんの前で、私は随分とわがままになったなと思う。あんなに言葉を練って伝えていた要望や不満もその場でストレートに伝えることが多くなったのは善し悪しではあるけれど。




「*ちゃんは人間くさくなったよね」

わがままになったし、僕に感情をぶつけてくるしさ、Aさんはそう言って時々私をからかう。それな〜、とふざけて返してみるけれど、“それな”ってもう古い言葉になっちゃってるんだろうか。
「Aさんのおかげだよ」
私、妖怪人間みたいに“早く人間になりたーい!”っていつも思っていたもんな。駄目な**でもいいんだよってAさんが受け入れてくれるから、動きやすくなった。
“大人として一般常識のある普通の人間”という規格に合わなければ、自分が人間だって認められなかった。その思考は今でも幾らか残ってはいる。もう少し柔軟さを手に入れていきたい。

「僕は自分のこと、大器晩成型だと思ってるんだよね。*ちゃんも大器晩成型でしょ。これからどんどん幸せになって、どんどんすごい人になるよ。これからの人だよ」
そう言われるのがとても嬉しい。

売れっ子作家になっちゃう? 人気イラストレーター? 美魔女とか目指しちゃう?

美魔女いいなあ。じゃあお肌のために早寝習慣は続けないとな。あとそしたら、もうちょっと自由になるお金が欲しい。

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