影豊前

 関ヶ原の戦が終わって十年が経った。
 すでに戦は昔語りの物語のように遠くになり、天下は豊臣から徳川に変わり始め、政治と経済の忠心は少しずつ江戸に移り始めている。とはいえ、秀吉の威光未だ衰えぬ京大坂、さらに西国に向かうにつれ、徳川に対する、水気の含んだ薪の中に残っている火種のように燻った仄暗い恨みが残っていて、
 ―― おそらく、もう一度大戦があるぞ。
 というのが、天下の大勢の見方であった。そう望んでいる者も多くいたというのが、実情であろう。
「だが、関係のない事だ」
 と、この男は言う。剃り上げた頭に薄紅の小袖と藍色の袴といういでたちで、手製の釣道具をかついでは、ふらふらと近くの久万川に行って、釣り糸を垂らしている。
 吹き下ろす秋風が濃厚に鼻の奥をくすぐって、大きなくしゃみをあたりに響かせると、しきりに鼻を擦っている。
「お大尽様、今日こそは釣れますかいの」
 同じ久万村の百姓である三郎は、この男をお大尽、と親しみを込めて呼んでいる。男はそれを嬉しく思っているようで、
「いやあ、今日もまだ上がらぬわい」
 と言っては笑っている。
「お大尽は釣りがへたくそじゃのう。それやと、食うに困るぞい」
 と三郎は手厳しい。
「いや、ほんの手慰みで始めた事ゆえ、下手の横好きじゃ」
「その割にはもう何年になるかいのう、お大尽様は、一向に腕が上がらぬわい」
 と言われてしまう始末で、これにはお大尽も苦笑するしかない。
「どうやったら腕があがるのかのう。それを知りたい」
「お大尽様は一旦糸を垂らすとそのままじゃ。いくら餌をつけてもそれじゃ意味がないぞい」
 こうするのじゃ、と三郎が釣竿を取上げようとした。
「な、何をするか」
「まあ、見とれって。釣りはな、こうやってするんじゃ」
 三郎は一旦釣り糸をあげ、餌を付け直して再び釣り糸を垂らした。手首にしなりを効かせ乍ら、しかし大きな動作にはならぬように注意を払う。すると、釣り糸が激しく引っ張られ始めた。
「ほれ、ここじゃ」
 三郎は釣竿をしならせながら、巧みにかかった魚を誘導し、川岸にまで引き寄せると、
「お大尽、網じゃ網じゃ」
「お、おお」
 たも網を、岸に沿わせるようにして浸すと、三郎は魚を素早くたも網の中に入れた。たも網の中では二尺は軽くあろうか、赤目が暴れている。
「大きいものであるな」
「この程度なら、まだ小せえほうだわ。まあ、それでもこれくらいなら竿が折れてしまうでよ、ようもったわい」
「いや、三郎はまことに釣りが上手いな。褒美じゃ、これをもっていけ」
 三郎は驚いた。
「いや、これはお大尽様の竿を釣ったもんじゃで、お大尽様が持って帰ればええ」
「そちの釣りの腕に感心した。とはいえ、やるものもなく、この竿を呉れてやっても良いが、それだと暇をつぶすことがなくなる。それゆえ、これをもっていけ、と言うておるのだ」
 いくら温厚なお大尽様であるとはいえ、いやそれでも、と三郎はかたくなになるわけにもいかず、暫く考えた。そして、
「ほしたら、今日取れたええやつがあるでよ、それを後でもっていかせますわい」
「ほう。何が取れた」
「大きな茄子がようけとれたもんでよ、それを後でもっていきますわい」
「おぬしの茄子は大きゅうて瑞々しいからのう、待っておるぞ」
 お大尽は釣り針を外し、腰の脇差で赤目の鰓の急所を刺すと、暴れていた赤目もやがて動かなくなった。
「三郎、ほれ」
 と尻尾のあたりを掴んで三郎に渡すと、三郎はそれを受け取って家に戻っていった。お大尽は脇差で刃を拭って鞘に納めると、釣道具を片付けて屋敷に戻っていった。
「今、帰りましたよ」
 屋敷に戻ったお大尽が声を掛けた。すると、
「お帰りなさいませ」
 と、しずしずと女房の静女が出迎えた。
「どうでござりました、釣魚の方は」
 お大尽はうむ、と答えて
「実はな、二尺はあろうか、というほどの赤目が釣れた」
「それはようござりました」
 刀を預かるように、静女は内掛けの袖で竿を預かると、それとなく魚籠の中を覗いた。
「残念ながら、その赤目は三郎に呉れてやったわい」
 その様子を見て、お大尽はそう付け足した。
「何故でござりまするか??」
「いやさ、釣ったのはそれがしではのうて、三郎であったからな。その礼じゃ」
「それはようござりましたが、困りました」
 お大尽は静女の顔を見た。
「いかがした」
「今宵は、何に致しましょう」
 お大尽はからからと笑って、
「茄子がよいぞ」
 といった。

 夕暮れ時になって、三郎が笊に一杯の茄子を持ってきた。静女はそれを見るなり、
「瑞々しゅうて、おいしそうな」
 と喜んで奥に持っていった。
「三郎、上がれ」
 お大尽に促されて、三郎は足の裏を手拭で丁寧に拭うと、そわそわしながら上がった。
「どうした」
「こんな大きな屋敷に入ったのは初めてなもんで」
「そうかそうか。まあ、ゆるりとせよ」
 三郎がおどおどしながらお大尽の隣に座ると、運ばれてきたのは焼き茄子に茄子の田楽と酒である。お大尽が先に銚子で酒を注ごうとすると、
「それはいけませぬ。儂が先に」
「いや、客人に注がせる酒などあるものか。ほれ、遠慮せずに」
 三郎が取ろうとする銚子を躱して、杯を催促した。三郎は
「では、お言葉に甘えて」
 といってようようの事で杯を出すと、お大尽はなみなみに注いだ。三郎はこぼさぬように慎重に口を近づけ、一気に飲み干した。
「良い飲みっぷりだ」
 お大尽はえらく気に入ったようである。
「では、今度は儂が」
 と銚子でもってお大尽の杯に酒を注いだ。そうやって何度か酒のやり取りをしながら、良い加減に焼き上がっている茄子にむしゃぶりついた。
「三郎の持ってくる物は旨いな」
「それはありがとう存じまする。今度また何か持ってきて差し上げましょう」
「それも結構だが、釣魚を教えて呉れればなおのこと有難い」
「それならば、明日にでもお教えいたしましょう」
 待っておるぞ、とお大尽はほんのりと頬を酒で染めて、そう言った。
 二人のささやかな酒宴は夕暮れ時に始まって、終わる頃にはとっぷりと日も暮れてしまって、南に見える高知城の篝火が小さく見えるほどであるから、最低でも二刻ばかりはいたであろう。
「すっかりと日が暮れてしまったな」
 屋根の向こうに見える闇夜を見ながらお大尽が言うと、三郎は
「すっかりお邪魔したみたいで、これ以上おるとかかに怒られてしまいますわい」
「それは引き留めてすまなかったな。かか殿に、よう謝っておいてくれ」
 お大尽はそういうと静女に提灯を持ってこさせ、中に蝋燭を差し、火を入れてやるとほんのりと明るくなった。さらに蝋燭を一本渡すと、
「これは勿体のうござります。この一本で十分で」
「いえ、これはお茄子のほんの少しのお礼でござりますれば」
 静女は半ば強引に三郎に蝋燭を握らせた。三郎は戸惑ったが、握ってしまった以上、返すわけにもいかず、
「じゃあ、貰います」
 といった。変な言葉遣いであるが、それ以上に適当な言葉が、三郎の語彙からは出すことができなかった。
 お大尽は
「気をつけて帰るようにな」
 と、わざわざ門の外まで見送った。三郎は何度も頭を下げつつ、麓の家に戻っていった。
 その矢先である。
「……。おい」
 後ろから声がする。辺りを目で追ってみるが、誰もいないところを見ると、三郎に声を掛けたのである。
「おぬしだ、こちらを向け」
 三郎は恐る恐る振り返ってみると。武士が立っているが、編笠で顔はよくわからない。
「へ、へえ」
「おぬし、あそこの」
 と編笠の武士は坂の上にあるお大尽の屋敷の方向を指し、
「屋敷から出て参ったな」
「はい、そうでござりますが」
「何をしていた」
 凄んでいるわけではないのであろうが、あきらかに詰問の口調であった。
「何を、と申されますと、あそこの屋敷のお大尽さまに茄子を届けておりました」
「茄子を?何故だ」
「実は、昼間、お大尽さまに魚をいただきましたので、そのお礼かたがた」
「その割には、随分と長居をしていたようだが」
 という事は、この眼前の編笠の武士は、二刻以上、屋敷を張っていたという事になる。
「お酒を、いただきましたので」
「何、酒をとな。言いくるめようとしても無駄な事ぞ。偽りを申すのならば、このまま帰さぬがよいか」
「いや、本当にお酒をいただきましたので」
 三郎は何度も言った。事実その通りなのであるが、編笠の武士はどうにも信用をしていない様子である。
「ならば、お屋敷に行かれて、お大尽さまに直にお質しになればよろしいでしょう。嘘をついていないことが分かる筈でござります」
 編笠の武士は暫く考え込んでいたが、
「……わかった。そこまで言うのであれば、この度はそれに免じよう。帰ってよいぞ」
「へえ。ありがとう存じます」
 三郎が踵を返して戻ろうとしたとき、
「ああ待て」
「まだ、何か」
「おぬしは、あの屋敷のあるじをお大尽、といっているのか」
「へえ、それが何か」
「……、いや。気をつけて帰れよ」
 編笠の武士は何か言いたげであったが、それ以上聞くことは出来ず、三郎は不思議な顔をしたまま、家に戻った。

 三郎のかかというのは、おかめと言った。村の中で特に働きがよく、三郎とは小さいころからの馴染みで、そのまま夫婦になった。三郎が家についたころには、漸く酒の酔いが回り始めていたようで、
「帰ったぞ」
 という三郎の声は、近所に鳴り響くほど大きかった。力の限り表戸を開けると、勢いよく拍子木のような音が鳴った。三郎はそのまま勝手口に向かい、水瓶の中に柄杓を入れて水を掬い、それを飲み干すと、
「帰ったぞ」
 ともう一度言った。おかめは夜なべをしながら待っていて、
「分かってるよ、こんなに酒を飲んで。長かったねぇ」
 といって提灯を預かり、中の灯を消して脇に置き、ふらつく三郎を抱え上げると、そのまま板敷の部屋に上げた。
「いやさ、お大尽さまから酒をいただいて、それが今になって回ってきた」
 と三郎は言ったつもりであるのだが、ろれつが回っておらず、おかめは半分ほどしか聞き取ることができない。だが、上機嫌な三郎の顔を見ると、それが悪い酒ではない事はすぐに分かった。
「かかよ」
「何ですの」
「あのお大尽さまはどういうお人かのう」
 怪訝そうな顔をして聞いているおかめに、さきほどの事の顛末を話した。
「お武家様がのう」
「ああ、一体どういうお人なんかのう」
「それやったら、いっぺん聞いてみたらええでしょ」
「じゃが、気を悪うせんかと思うとな、うかつに聞けぬわい」
 おかめはそれを聞いて、吹き出すと
「ならば忘れてしまいなされ。酒に酔った出来事。そう思うて忘れなさりませ」
 といった。三郎は、
「それもそうじゃのう」
 というと、布団に潜り込んですぐに寝息を立てた。
 翌朝、それもとうに日が昇っている昼前になって、三郎はようやく目が覚めた。少し酒を過ごしてしまったせいか、合わぬ鉢金を無理やりにつけられたようにこめかみが疼く。
「やっとお目覚めかね」
 おかめが野良仕事から戻ってきたところで、あきれ返ったように言った。
「すまん。ここまで酒を過ごしているとは思わなんだ、明日はちゃんとやる。……あっ」
 と言いながら、いそいそと出かけようとしている。
「どこにいくのさね」
「お大尽さまのところだ。きょうは釣りの約束をしていたのだった」
 おかめはそれを聞いて頬を膨らませ、顔を真っ赤にして捲し立てようとしたが、三郎は
「お大尽さまとの約束を破るわけにはいくまい。お手討ちになっても良いのか」
 と逆に凄んで見せると、おかめはおどけるように
「それは困る、困る」
 といった。三郎は
「困るであろう、儂がいくのは命の冥加の為じゃ。けっして道楽の為ではないぞ」
 と何度も言い置きながら、出て行った。
 お大尽の屋敷まではさほど遠いものではないが、三郎は約束のこともあって、急ぎに急いだ。まだ日は高い。
 久万川沿いに走り、いつも座っている大岩に着いた。ところが、お大尽の姿が見当たらない。
(こりゃ、怒って帰ってしまわれたか)
 三郎は身震いする思いでそう考えた。とはいえ、行かぬよりはましであろう、三郎はお大尽の屋敷に向かった。三郎は屋敷の表からは入らず、勝手口から声を掛けた。
「三郎でござります」
 はい、と女中の声がすると、やがて勝手口の戸が開いた。
「お大尽さまは、お屋敷に」
「ええ、お客人がお見えになっておりまして、朝からずっと」
「はあ。……いや、よかった」
 全身から疲れがどっと出た三郎はその場に座り込んでしまった。額から噴き出る汗を手拭で何度も拭うが、拭う傍から汗が噴き出してきては止まらない。女中が不思議そうに三郎を見ると、
「今日はな、釣りの手ほどきの約束をしていたのだ。ところが、今さっきまで寝ていたものでな、体が言う事を聞かぬわい」
「左様でござりましたか。ならば、水を一杯持ってきて差し上げましょうか」
「頼みまする」
 女中が勝手口に引っ込むと、暫くして柄杓で掬った水を三郎に与えた。三郎は喉を鳴らして一気に飲み干す。そして大きく息をついて、
「お客人がおるのに邪魔をするわけにもいきませぬゆえ、今日はこれで帰りまする。儂が来たことだけ、伝えておいてくだされ」
 と女中に言づけて勝手口から屋敷外に出た。表門の前を通りかかろうとしたとき、屋敷の中から旅装の商人と出くわした。商人は
「これは失礼しましたな、お怪我はありませぬか」
 といって三郎を抱え起こした。表の喧騒をみつけたお大尽が、やってくるなり、
「三郎ではないか。いかがした」
 と尋ねた。
「今日は、お大尽さまに釣りの手ほどきの約束をしておりましたので」
 言われて、お大尽は、ああ、と素っ頓狂な声を上げて
「そうであった、そうであった。いや、決して忘れているわけではなかったが、見ての通り立て込んでいてな、ついぞ行きそびれたのだ」
 といって、旅装の商人には、目で合図を送った。商人はかけていた手を外し、
「そのような事情とはつゆ知らず、先ほどの無礼を許してくれ。立てこんだのは、それがしがこの方に出し抜けに会いに来たからでな、そのような先約があったのは知らなかったのだ。すまなかった」
 商人はそうして何度も繰り返して謝るので、三郎も
「いや、お謝り下さいますな。出会い頭でござりました故、どちらがどうという事はありませぬ」
「そう言っていただけるとありがたい。……では、これにて」
 お大尽に向かって商人が一礼すると、お大尽はゆっくりと頷いた。そして、
「さあ、これで用事は終わったぞ。三郎、今日は何を釣るか」
 と尋ねた。三郎もほっとした表情になって、
「それでは少し南に足を延ばしましょう」

 南に足を延ばすというのは、お大尽の住む屋敷より城に向かった久万川の南側支流に向かう事である。
 ふたりはそれぞれの釣り道具を携えて川を渡って中州を抜け、南側の支流に腰を下ろすと、釣りを始めた。
 二人の釣りはそのまま黄昏時になるまで続き、お大尽には多少の釣果はあったが、三郎のそれに比べれば、随分と不満の残るものであった。
「それにしても、三郎はよう釣るのう。何故、そのように釣れるのじゃ」
 三郎は少し言いにくそうであるが、
「構わぬ、申せ」
「それではお話いたしますが、お大尽さまは川の流れや魚のおりそうな場所に釣り針を垂らしておりませぬ。それゆえ、魚がかかりにくうなっておりまする」
「では、三郎はそれがわかるのかえ」
「へえ、わかります」
「それを、教えてもらえぬか」
 お大尽は何度も頼み込んだが、三郎は渋い顔をするばかりで何も言わない。
「教えたいのはやまやまでござりますがのう、こればかりはお大尽さまが自得仕らぬことにはどうしようもありませぬので」
 教えようがない、だから自ら会得せねばならない、という事である。三郎はとにかくお大尽の機嫌を損なわぬよう、少ない言葉からさらに厳選に厳選を重ねた言葉で、地べたに額を擦りつけるような心持で言った。お大尽は、
「釣りとはやはりそう容易いものではないらしいな」
 と笑って、
「ならばそれを会得するまで、三郎は付き合え」
「しかし、それでは野良仕事を放りだすことになりまする故、儂一人ではどうにも決めかねまする」
 お大尽はその言葉を受けると、少し寂しそうな顔をして、
「それも無理からぬことじゃ。おかかどのと話をしてくれぬか」
 そう言って、二人はお大尽の屋敷に戻っていった。
 お大尽はそのまま屋敷に上げようとしたが、三郎は
「又これで酒を過ごしますと、今度は追ん出されるので、ご勘弁願います」
 といった。
「そうか。ならば、今度はおかかどのを連れて、二人で来るがよい。その為にもまた釣らねばならぬの」
 お大尽は笑って三郎を帰した。
 おかめはというと、三郎が素面のまま帰ってきて、さらに結構な釣果であった事もあって機嫌は多少良くなっていた。それでも、
「あまり遅くなりませぬよう」
 と釘を刺すことは忘れない。
 遅い夕餉を二人で終えて、三郎は奥の部屋でごろり、と横になっている。たちまち、昼間の疲れがどっと押し寄せてうとうとと船を漕ぎ始めた時である。
 おかめが三郎の体を激しく揺さぶってきたのである。
「何じゃ、何があった」
「表にお侍がおられます。この前のお侍じゃないかね」
 三郎の眠気はここで完全に飛び去った。三郎は転がるように表戸の前に膝を折った。武士の顔は見たことがなかったが、手に持っている笠は見た覚えがある。
「あれから、まだそのお大尽に通い詰めているようだな」
 声でわかった。やはりあの時の武士であった。
 三郎は武士をそのまま上座に上げて、自ら下座に遜って平伏している。おかめは粗末な盆の上に水を注いだ安物の湯呑茶碗を出すとあわてて三郎の隣で膝を折って平伏した。
「まあ、そのように畏まるな」
 といって武士は茶碗の中の水を飲み干すと、
「もう一杯所望じゃ」
 といって茶碗を差し出した。おかめは茶碗を受け取るとまた水を注いで持ってくる。武士は今度は口をつける程度にしていったん床に置いた。
「三郎、とか申すそうだなおぬし。それと、そこの内儀はおかめ、とか申したか」
「へへぇ、その通りでござります」
「儂は、土佐山内家家臣の山内四郎兵衛と申す。ここへ来た訳は分かっておるな」
「お、お大尽さまの事でござりますか」
 そうだ、といって四郎兵衛は再び茶碗の水で口を湿らせた。
「おぬしがお大尽、と呼んでいるあの御仁の正体を、知っておるか」
「い、いえ」
 三郎が平伏したままで答えるので、すこし聞こえづらい。四郎兵衛は、
「もうそろそろ面を上げよ」
 三郎が言われた通り面を上げて、改めて四郎兵衛の顔をはっきりと見た。顎の尖った痩せ型の顔を、撫でている狭い肩幅の真ん中に乗せている男であった。武士特有の気性の荒さがない、どちらかというと役人のような男である。
「おぬしが慕うておる御仁はな、お大尽というようなものではない」
「では、どのような御方でござりますので」
「罪人じゃ」
 三郎はぎょっとした。確かに頭をそり上げてはいるが、罪人というにはあまりに温和であり、何より自由にしているではないか。罪人というのは牢に放り込まれるようなものを言うはずである。
「罪人、ではあるが、罪人ではない」
「はあ」
「あのお方の名は、毛利豊前守勝永という御方でな、以前は豊前小倉に領地を持たれていたれっきとした大名であったのだ。ところが、関ヶ原の折、斬首された石田方に与したが故、領地を召し上げられ、先代一豊公の時に引き取られ、千石の扶持をお与えなされ、あそこに屋敷を構えられたのじゃ」
 三郎の頭の中は混乱をきたしている。今お大尽さまと呼んで親しんでいる男が、実は城持ちの大名であったのである。つまり、三郎は隣に座って酒を飲むことはおろか、顔を合わせることもあるいは同じ空間に入ることすら許されぬほどの身分の隔たりがあったのである。
「驚いたか」
「いや、驚いたも何も訳が分かりませぬので」
「そうであろうな。殿から聞かされたときは儂も驚いたものよ。毛利豊前守様と言えば、亡き太閤殿下には数少ない譜代の家臣でな、その父御である壱岐守様と一豊公に縁が深く、それゆえ、この土佐に居られるのだ」
「それはよう分かりましたが、それを伝えるためにわざわざこちらに」
 三郎が言うのへ、四郎兵衛は少し表情を変えた。それまでの世間話をするような温和な顔から一転して、眉を顰め、目を吊り上げた。
「こちらに参れ。近うよれ」
 三郎が一歩進み出ると、四郎兵衛はすこし苛立ったように手で招いた。三郎は四郎兵衛の眼前に出た。
「これからの話をよう聞け。おぬしには豊前守様の目付をやってもらいたい。そして、この四郎兵衛に逐一報せを入れてもらいたい」
「な、何故でござりますか」
「豊前守様に難なく近づけるのはおぬしを置いて他に居らぬ。無論、屋敷周りは儂が見張っている。だが、豊前守様の家臣が紛れぬとも限らぬでな」
 と四郎兵衛から聞かされて、三郎が思い出したのは今日の昼に会った旅装の武士であった。
(もしかすると、家臣の人か)
 お大尽こと勝永とその旅装の武士のやり取りを見るに、他の者とは態度が全く違っていたものであった。
「心当たりがあるのか」
「い、いえ。それで、どうすればよろしいので」
「いつも通りにすればよい。豊前守様と釣りをしているのであろう、それでよいのだ」
「ですが、野良仕事もありますので、いつもいつもというわけにはいきませぬ」
 するとおかめがたまらず進み出て、
「三郎どんをそのような危ないお役目にするのだけはどうかご勘弁願います」
 といった。止めようとする三郎を振り切って繰り返して言った。四郎兵衛は、
「そのような事はない。なにも寝首を掻け、といっているわけではない。豊前守様といつも通りにすればよいだけのことだ。釣りに付き合えばよいだけの事。後は我らに任せよ。それと、百姓仕事で人手がいるのであれば、一人二人はこちらに回すがどうだ」
 おかめはなおも逡巡していると、
「無論、其れなりの褒美もとらす。うん、と言ってくれぬか」
 三郎は耐えかねて、
「分かりました。お家の事ゆえ、その役目は出来る限りの事を致しまするが、褒美は要りませぬ」
「何故だ」
「それだと、お大尽さまを褒美で売ることになりまする。それは、人としてやってはならぬ事と思いまする」
 四郎兵衛は恥じ入った表情をした。三郎にとっては豊前守はあくまでお大尽であり、身分年齢を越えた友人であり釣り仲間の感覚なのであろう、単純に褒美で人を売るという事が出来ぬ、至極明解な正論であった。
「分かった、褒美の事は忘れてくれ。では、よろしく頼むぞ」
 四郎兵衛はそういうと残っていた水を飲み干して茶碗を置いて立ち上がると刀を腰に差して三郎の家を出た。

 翌日になって、三郎は陰鬱たる気分から抜け出せないでいる。
「ああ言ってはみたが、えらいことになった」
 少し間が空くとそのように呟いてはため息をつく。お大尽こと毛利豊前守勝永の監視役をするという大それた役目を、行きがかり上とはいえ引き受けてしまったことへの後悔と、勝永にむかってそれまでの純粋な釣り仲間という立場を利用して監視をせねばならぬ事への、裏切りの心苦しさとが柱に巻き付く二様の龍紋のようにへばりついてどうにもならない。
「かか、どうすればよいかの」
 三郎の声は一寸先ですら聞こえるかどうか怪しいほど細いものであったが、おかめにはよくわかっていた。
「どうもこうも、お役目であれば、やるしかござりますまい」
「そうであるの、やらねばならぬよな」
 三郎の声はさらに細くなっていき、銅銭の真ん中に空いている穴を通り抜けそうなほどである。
「じゃが、お大尽さまを欺くようで心持が悪いわい」
「ならば、おやめなさるか」
「そうすれば、かかも儂もお手討ちになるだけではないか」
「ならばこそ、お役目をまっとうせねば。お大尽さまもきっとお分かりなさって呉れる筈でしょう」
 おかめの一言は、闇夜の中で手をつく壁のように縁にするしかなかった。
 三郎は久方ぶりの百姓仕事の為に道具を担いで家を出た。暫くあぜ道を歩いていると、上の道を勝永が歩いている。そして、
「三郎」
 と声を掛けた。三郎は陰鬱な気分を面に出すまいとして、
「お大尽さま」
 とわざとカラ元気の声を絞り出した。
「今日は百姓仕事か。結構な事よ」
「お大尽さまは今日は、何を」
「うむ、人と会う約束をしているのだが、その者が一向に来ぬ故な、こうして暇を持て余しておる。……そうだ、暇になった時でよい、また屋敷に遊びに来ぬかよ」
「へえ、またいずれそうさせてもらいまする。では」
 三郎はそう言って勝永と別れた。勝永は屋敷に戻ろうとしてきた道を引き返し始めた。その姿を見つけた三郎は、道具を担いだまま勝永の後を追った。途中、仕事道具を家の表戸の前に置いて身軽になると、再び屋敷に向かっていった。
 屋敷に戻った勝永は、
「来ておらぬか」
 と静女に声を掛けた。すると静女がやってくるなり、
「すでにおこしでござりまする」
 といって三つ指をついてで迎えた。
 客人とは先だっての商人であった。
「来ておったか」
 伊賀、と商人の名前を呼びながら上座に座った。
「はっ」
 商人らしからぬ背筋の張りを見せると、勝永は
「格好だけそうしておっても、そのような立ち居振る舞いをしていてはすぐに見破られてしまうぞ」
 といって笑った。
「されど、このような恰好をせず、武士の格好ではすぐに疑られまする故、致し方ござりませぬ」
「確かに、そうであるな」
「豊前守様、返答をお聞かせ願いとう存ずる。豊臣恩顧である譜代の毛利豊前守様であれば、来るべき家康との戦の折には大いに助けとなりまする。秀頼公の御為、力を貸し願えますまいか」
「だが、すでに天下の趨勢は決まっているではないか。これ以上の無駄な抵抗はやめ、一大名として太閤の血筋を残すことこそが、武家にとって肝要ではないのか」
 家里伊賀守殿よ、と勝永は静女の出した煎茶に口をつけた。
「ならば、先だっての方広寺の梵鐘の一件は御存じか」
「伝わり聞くところでは、梵鐘の銘文に落ち度があったとか何とか」
「あれは落ち度ではござりませぬ。徳川内府の言いがかりも甚だしいものでござる。あのような言い様が通じれば、蚊が止まった事すら、豊臣のせいになりかねませぬ」
 伊賀守の弁は急速に回した発電機のように熱を帯びている。
 梵鐘の一件、とは今から半年ほど前の慶長十九年の四月に完成した方広寺の梵鐘に、「君臣豊楽」と「国家安康」という二つの銘文が刻まれていたというもので、内府の名である「家康」の間に「安」の文字を入れて分断させ、さらにその前の「君臣豊楽」を読み解けば「豊臣」となり、これは幕府に対する呪詛である、と家康に仕えていた儒学者、林羅山が糾弾した事件である。
「だが、国家安康の一文は拙い。そう言われても仕方のない銘文だな」
 と勝永は言った。現に、家康の命によって問われた京都五山の見解は全て
 ―― 悪い事であり、避けるべきであった。
 と、呪詛については言及しなかったものの、やはり避けるべきであり、軽挙であった、と断じている。
「豊前守様は内府にお味方されるのか」
「そうではない。これは、揚げ足取りというようなものではなく、この一文は避けるべきであった。東市正様も、不注意であったとしか言いようがない」
「されど、其れでもって戦を起こし、豊臣家を滅ぼすという家康の思惑は火を見るよりも明らかでござる。豊前守様は太閤殿下が羽柴筑前守であったころからの譜代の家臣でござれば、見過ごせましょうや」
(だからこそ、天下の趨勢を見なければならぬのだ)
 勝永は目の前で猛威を振るっている伊賀守の弁に対して冷然と考えていた。
 確かに、この方広寺の事件において、家康の挑発めいた部分がなかったとは言えない。だが、そもそもそのような銘文を刻んだ方に不注意があったわけで、少なくともこれについては総奉行の管理不足と、その主君である豊臣家に責任があるのは明白で、秀頼のやるべきことは江戸に出向いて謝罪なりをすることであった。そして、一大名家として家康に仕えることが、豊臣家を生きながらえさせる唯一の手段であった。だが、それを秀頼の母である淀殿が全て壊したのである。
(これでは、生きながらえることは出来ぬか)
 半ば自業自得であるとはいえ、自らが仕えた主君が選ぶようにして滅びの道に進んでいくことに、勝永は何やら哀れに思えてきたのである。
「豊前守様、如何に」
「伊賀よ、おぬしはこれが戦になった時、豊臣が勝つと思うか」
「そう思わなければ、豊前守様に何度もお会いすることはありませぬ。我らが徳川内府を打ち果した時、豊前守様には再び豊前小倉を治めていただきとう存ずるが」
 勝永は黙っている。伊賀守は少し苛立ったようで、
「返答は如何に」
 と半ば詰問吏のような口調で急かした。勝永は、
「豊臣の言い分は分かった。今日の所は引き取られよ」
「では、よい返事を待っておりまする」
 伊賀守はそう言い残して屋敷を出た。勝永が空を見た時、二人の話を待っていられなかった太陽の残り香が辛うじて南に見え、背後からその残り香を奪わんと闇夜が走ってきていた。
「もうそんな時分であったか」
 勝永がのんきな声を上げた時、庭の柴垣が少し揺れたような気がした。
「誰かおるのか」
 勝永は脇差に手をかけながら傍まで寄って柴垣を揺さぶってみたが反応はない。
(気のせいであったか)
 勝永はそう思う事にした。

 三郎の心臓は、勝永の屋敷から離れれば離れるほど、火事の早鐘のように鼓動の速度が上がっていく。それに比例するように呼吸も浅くなっていく。
(な、何とか分からずに済んだか)
 安心したのか、どっと疲れが出た。と同時に、両膝がわなわなと震えだし、ついに耐え切れなくなって腰を抜かした様に座り込んでしまった。とはいえ、まだ勝永の屋敷からそう遠くはない。三郎は早く離れる必要があった。
 屋敷の中の様子を見るに、勝永は豊臣方からしきりに誘われているようであった。それは即ち、戦が近くなっている事を暗示している。その程度の事は三郎であっても容易く理解できた。
 問題は、勝永がそれを受け入れるかどうか、である。受け入れるとなれば、土佐から脱出し、大坂に行くことになる。
「それは困る」
 と三郎は呟いた。もしそれを許してしまえば、四郎兵衛からの役目を全うできなかったという事になり、役目を仕損じた咎めを受けなければならず、その累はおかめにも及ぶ事になり、それは三郎として望むものではない。
「それだけではない」
 何より、釣りの仲間がいなくなってしまう事を三郎は嫌がった。
(そのためにも、止めなければならない)
 勝永が土佐を脱して大坂に向かう事を、である。
 三郎の膝はようやく収まって、三郎はゆっくりと立ち上がった。そして家に戻ろうとした時である。
「このようなところで何をしておる」
 三郎はぎょっとして顔を上げてみると、四郎兵衛であった。
「や、山内様」
「たいそう息が上がっているようだが、何処から逃げて来たのか」
「は、はあ、お、お屋敷から」
 四郎兵衛の顔が俄に変わり、厳しい目つきになると
「何か聞いてきたのか」
 と尋ねた。三郎は黙っている。
「どうした。何か聞いたのか」
 尚も尋ねてくるのは当然であろう。三郎は先ほどの勝永のやり取りを話すかどうか迷っている。言うのが当然の役目であるが、そもそもこの役目も自ら望んでやっているわけではない。更に勝永を売り渡すような事は三郎の矜持が許さなかった。
「い、いや。何も聞いてはおりませぬ」
「本当だな」
 四郎兵衛は尚も疑ってかかるが、三郎は頑として、何も聞いておりませぬ、と繰り返すのみで、これではなしのつぶてである。
「左様か。何か聞けば、必ず報せろよ」
 四郎兵衛はそう言って去っていった。

 家ではすでにおかめが機嫌を頗る損ねて待ち構えていた。
(どうやって言ってやろうか)
 道具を置いてどこかに消えてしまった三郎に小言を言わんがために、その方策を考えていた。
「帰ったよ」
 三郎が声を掛けながら表戸を開けた。おかめは、
「どこに行っていなさったのだね」
 と、始めこそは威勢がよかったが、三郎の様子を見るにつけ、声の張りも失って最後は蝋燭の灯火が風に流されるように消え失せてしまっていた。
「どうしたのさね」
「お大尽さまの屋敷に行ったのだよ」
「どうして??」
「仕事に向かう道すがらにばったりと出くわしてな、その跡を追って行ったら、豊臣の戦がどうとか、難しい話をしておった」
 三郎はそういいながら土間口の縁に腰を掛け、おかめが持ってきた水の張った木の盥に足を漬けて誇りを落とすと手拭で水気を拭って上がった。おかめは盥を持って表に出ると道端に盥の中の水を撒いて戻ってくる。
「それで、戦になるのかね」
「それは分からん。じゃが、世間じゃ大坂の太閤の家と江戸の内府様とがいがみ合っているらしいから、一戦おこるかもしれんのう」
「じゃ、お大尽さまはその戦に?」
 三郎は、
「それはないみたいだ。お大尽さまはその豊臣の使者と会われていたが、戦の返事はしておらなんだ」
「それは良い事じゃ。……じゃが、なんでお前様がそれを」
「屋敷の外で盗み聞きをしたんじゃ。外であったから詳しくは聞けなんだが、そういう事らしい」
「釣り仲間がおらなくならずに済んでよかった」
 おかめはさきほどの怒りもすっかり消え失せて喜んでいたが、
「仕事だけはちゃんとしてくだされよ」
 とくぎを刺すのも忘れなかった。

 翌朝、三郎は昨日と同じように鍬や鋤を入れた背負いの竹籠を背負って、
「今日こそは」
 と少しだけ勇んで出て行った。あぜ道を通って、三郎が受け持つ畑に向かう途中、声を掛けられた。
「三郎」
 勝永であった。
「お、お大尽さま」
「久しくやっていなかったな」
 といって竿を振る真似をした。
「そうでござりますな。……ところで、このような所にて何を」
「おぬしを待っていたのだ」
「釣りでござりますか」
 そうではない、と勝永は言い、手招きしてついてくるように言った。三郎も駕籠を背負ったまま、勝永の後をついて行った。しばらく行く道は三郎が何度も往来をしている道である。そして見えてくる勝永の屋敷に三郎は身震いした。
「どうした。そのような怖い顔をするな」
 勝永はそういうと大いに笑って、三郎を屋敷に上げた。すると、
「背負っている駕籠は、静に預けて奥の部屋に来なさい」
 ここまできて逃げ帰られるほど、肝が太いわけではない三郎は空き家に踏み込んだこそ泥のような足取りで奥の部屋に向かった。部屋ではすでに勝永が上座に座っていて脇息に添えるように手を置いている。表情は眼前に戦が起こっているかのように険しく、震える全身を抑えつけている。全身からはあからさまなほどの殺気が噴き出ていて、三郎は思わず腰を抜かしそうになった。勝永は、
「……。入れ」
 といった。声もいつもの朗らかなものと違って、明らかに怒気を含ませているようであった。
「し、失礼をいたします」
 部屋に入って三郎は座布団を充てることもなく、畳の上に正座した。
「昨日、屋敷を探っていたのは、おぬしだな」
「へ、へえ。申し訳ありませぬ」
 三郎が低頭するのへ、勝永はそのぼんのくぼに聞かせるように、
「なぜ、そのような間者の真似ごとをした。訳においてはただでは済まさぬがどうだ」
 三郎は逡巡した。
「答えられぬのであれば、この場で斬って捨てる」
 と、勝永は掛けている刀に手をかけると、三郎、観念してついに
「実は」
 と言って切り出した。
「何があった」
 勝永も態度を崩さない。三郎はそれに震えながら、
「ここの御屋敷の目付をなさっておられる山内四郎兵衛さまより、お大尽さま、いや、毛利豊前守さまの目付を命ぜられました。それゆえ、昨日はあのような事をしてしまいました。誠に申し訳ねえこって」
 勝永は刀にかけていた手を外し、再び座りなおすと、
「それだけか」
 と問うた。三郎は、はい、と答えて昨日知った事をすべて話した。
「やはりそうであったか」
 勝永はそういうといつもの朗らかな声に戻って何度も口を開けて笑った。三郎は何がどうなっているさっぱりわからない。
「昨日の様子とそれまでの様子と明らかに違っていたのでな、おおかた目付をやるように言われたのであろう、と当て推量をしていたのだ。その通りであったな」
「では、最初から分かっていたので」
「無論の事だ。あのような態度に出たのは悪かった。あれは、おぬしに怒ったのではなく、おぬしを使おうとした山内家中の、その」
「四郎兵衛さま」
「その四郎某に言ってやりたかったまでの事よ。……戦はもうよい」
 勝永の態度は今度は聊か疲れたような態度になって、
「名前で呼んだ、という事はある程度は儂の事を聞いておろう。確かに、儂の名は毛利勝永という。豊前守というのは豊前小倉を治めていたからであるが、今はその豊前守も意味をなさぬ。……太閤殿下がまだ織田信長公の一武将であった頃から仕えておってな、その頃から戦場に出る事幾度となかった。太閤殿下がみまかられて、関ヶ原で石田治部殿に味方したのが運の尽きじゃ。そして、今土佐殿の御厚意でこのように気ままに暮らしている。そのような生活を今までしたことがなかった儂にとって、全てが目新しく、また何かに追われるわけでもないここの暮らしは何もかもがよい」
 勝永は目を細めている。
「三郎」
「はい」
「このような暮らしを、戦で再び失いたくはない。何より、釣りができぬ暮らしなど、考えたくもないわ。とはいえ、土佐家中の気を揉むことも分からぬではなし、現に知っておる様に、なんども大坂へ来るよう促してくる」
「ならば、きっぱりとお断りなさいませ。そうすれば、いかな大坂の御方とてそれでも、と無碍には出来んでしょう」
「……。だが、実際迷いもあるのは事実だ」
 三郎は意外に思った。先ほどと言っている事が違うように感じたからである。
「太閤殿下にはひとかたならぬ大きな御恩を頂戴した。そしてその遺児が、助けを求めている。……三郎、どうすればよいと思う」
 勝永は尋ねている。だが、三郎に答えられるわけがない。
「聞いた儂が悪かった。許せ」
「いえ、とんでもねえ。これからどうなさるおつもりで」
「じっくりと考えるほかあるまい」

 勝永はそう言ったが、事態は勝永が思うように悠長に構えなかった。
 方広寺鐘銘事件以降、日増しに江戸の内府家康と大坂の秀頼(実際にはその実母である淀殿であるが)との対立が鮮明になってきていた。
 秀頼は弁明の為に片桐且元と、大蔵局の二名を江戸に遣わした。だが、家康は且元には会わず、大蔵局のみと面会し、さらに且元には本多佐渡守と以心崇伝を通じて、
 ―― 大坂から退去するか、淀殿を人質として差し出すか、あるいは参勤交代で江戸に参上するか。このうちの一つを選べ。
 という条件を突きつける一方で、大蔵局には終始にこやかに対応した。それどころか、大蔵局には
 ―― この度の事、聊かの害心これなく、秀頼公には安んじなされますよう。
 と、まるで親戚の子供の悪戯に苦笑する大人のような対応ぶりであった。当然これは家康の謀略に違いなく、淀殿の性格をよく読み取った上での作戦であった。淀殿は大蔵局の話を受け入れた事はもちろんのこと、且元を内通者として断じてしまった。且元は程なく退去し、いよいよ家康は豊臣討伐の口実を手に入れた事になる。
 同時に、豊臣方は関ヶ原で改易や流罪となった諸国の牢人を集め始めた。有名な所では、真田左衛門佐信繁、後藤又兵衛基次、長曾我部右衛門太郎盛親、明石掃部などである。黒田長政麾下であった又兵衛を除けば、全て関ヶ原で石田三成についた武将たちである。
 そうして続々と大阪城に入っていく中、勝永は未だ土佐にいる。家里伊賀守が今まで以上に足しげく通うようになっていったのもこの頃からで、
「太閤殿下の御恩に報いるときではありますまいか。ここで報いず、命を全うする事に何の意味がありましょうや」
 と、傍から見れば余計なお世話である、と言いかねないほど強迫した懇願であった。
 無論、勝永の中に太閤秀吉への恩義が無くなったわけではなく、秀頼が窮地に立っていると知ってからは、やはり気が気でない。だが一方で、戦に疲れ、自儘に過ごすこの生活に浸ってしまって、それに満足する自分がいるのも否定できない。勝永の中ではそのせめぎ合いが行われているのである。
「豊前守様」
「伊賀、儂とて太閤殿下から貰った恩を忘れたわけではない。秀頼公が窮地に立って、心がさざ波たっている己がいるのも分かっておる」
「ならば、大坂にお入りくださりませ」
「実のところ、迷うておるのだ。このまま入ってよいものかどうか、静の事もある、儂一人で済む話ではない。それに」
「それに??」
「十四年だ、この戦から離れた生活をはじめてな。そして、戦がない世間というものが、どれほど得難いものか。それを知ってしまっている以上、再び戦場に向かうというのが考えられぬのだ」
 伊賀守は、軽侮したしせんを勝永に投げかけた。
(惰弱者になり下がったか)
 これが、太閤の下で働き、二度の唐入りで朝鮮軍を震え上がらせた男なのか、と思うと伊賀守は馬鹿馬鹿しくなった。するとすっくと立ち上がって、
「ならば、豊前守様はここで朽ち果てるがよろしかろう。そのような惰弱者に、秀頼公を会せるわけにはまいらぬ」
 といって足音激しく屋敷を出て行ってしまった。何事か、と静女が勝永の部屋に伺うと、
「気にするな。大したことではない」
 と勝永は静女を気遣った。
 その夜になって、静女は珍しく勝永の部屋に出向いた。
「珍しいな」
「お話がござります」
 静女はいつになく真剣に、勝永を見ている。勝永も大凡の事情を察して、
「戦の件ならば、決裂であるぞ」
「旦那様の本心はいかがでござりますか。太閤殿下の御恩をお忘れになったわけではござりますまい」
「忘れるものか。それほど耄碌しておらぬ」
「ならば、早う大坂にお入りなさいませ。式部殿と共に大坂城にお入りなさいませ」
 勝永は静女の言を手で制すると、
「それではいかんのだ。伊賀にもいうたが、儂はこの生活を気に入っている。秀頼公の窮地に向かいたいというのもあるが、この生活も捨てがたい。それに何よりもこの戦、負ける」
「負ける、でござりますか」
「そうだ。身もふたもない言い方をすれば、豊臣はたった一人の女に滅ぼされる。儂は太閤殿下の譜代であって、淀の譜代ではない。ましてや、そのような何もわからぬ、目先だけの女を助くる為に戦をするなどまっぴら御免よ」
「それが、旦那様の御本心でござりまするな」
 静女はそういうと別室に向かい、嫡男の式部勝家と二男の太郎兵衛、さらに末娘の督までを起こし、三人を伴って戻ってきた。そして、
「そのような情けない旦那様であれば、この子らと私、皆で死にましょう」
 といった。勝永は、
「何を申しておるのだ。馬鹿な事を申すでない」
「旦那様は太閤殿下の譜代であり、御恩があると仰られました。ならば、その秀頼公の御為に尽くしてこそ、家臣ではありませぬのか。淀の方様がどうであろうが、秀頼君の為に御働きなさりませ」
 静女と勝永の様子を見て、まだ幼い督は泣きだす始末で、静女は督を抱きかかえてあやしている。
「静の言いたい事は分かる。だが、もし儂が大坂に入るという事になれば、おぬしらはこのまま安んじられるはずがない。それでもよいのか」
「それは覚悟の上でござります」
「三郎と釣りもできなくなるな」
 勝永の口元だけが笑っていた。

 家里伊賀守との接触はこの時を機にすっかり疎んでしまい、一見すると勝永は大坂へは向かわぬように見えた。それは一番近くにいて、勝永の本心を聞いている三郎ですらそう思ったのであるから、余人が知り得ようはずがない。その余人の中に、四郎兵衛も含まれている。
 四郎兵衛は、勝永の様子を見るにつけ、大坂に行かぬ事を確信すると、何ともいえぬ落胆した表情になっていた。
(豊臣家の御為、秀頼の苦境にこそ、豊前守様が必要であるのに)
 と考えている。監視する役目の人間が考えることではない。だが、勝永の様子が、まるで年老いた虎が若虎に餌を奪われて尚何もせぬような、気力を枯渇させてしまったように見えて、ある種の儚さを禁じ得なかった。
 四郎兵衛は康豊の呼び出しを受けて高知城下の康豊の屋敷に出向いた。
 山内康豊は、先代土佐領主である山内一豊の実弟であり、現領主である忠義には実父に当たる人物である。忠義が一豊の跡を受けて当主の座に就いた時はまだ十四であった為、康豊は後見人として政を預かっていた。
 今は家康の要請を受けて、忠義は大坂にいる。その為、代理として康豊が土佐を預かっている。
「四郎兵衛にござりまする」
 康豊は、入れ、といって部屋に入れた。康豊はすでに六十の坂を中ほどに差し掛かった人物であった。鬢は銀髪に近い灰色になり、目もだいぶ悪くなっていたが、それでも戦国の世を切り抜けていた人物らしく、その気力は歳に見合わぬほどに充溢している。
「呼んだのは他でもない、毛利殿の事だ。何か聞いてはおらぬか」
「見張りを一人、入れておりまするがこれといって何も」
「そうか。……聞き及んだところでは、商人風の男と豊前殿があっているという報せを何度か受けた。聞いておらぬのか」
「その事でござりますれば、すでに」
「ならば、何故報せてこなかった」
 四郎兵衛の背骨に沿って一条の汗が滑った。
「確かな証がござりませなんだ故、報せをいたそうにも出来ませなんだ」
 康豊は冷ややかな視線で四郎兵衛を突くと、
「ならばよい。だが、次はないぞ」
 四郎兵衛は失礼仕る、といって屋敷を出た後、三郎の家に向かった。
 すでに夜は更けて久しく、通る道から遠くに細くなく梟の声がより闇を深めていく。四郎兵衛が三郎に家に着いたころ、すでに家からは明かりが消えている。
「起きよ。山内四郎兵衛である」
 四郎兵衛は表戸を何度も叩くと、表戸が開いて三郎が目をすぼめ乍ら四郎兵衛を見た。
「このような夜更けに、何かありましょうや」
「何かあったではない。ぬしゃ、豊前守様が誰かと会っていたのを話さなかったな」
 三郎の眠気はここで吹き飛んだ。三郎は地べたに這い蹲るように頭を下げ、
「申し訳ござりませぬ、申し訳ござりませぬ」
 何度も頭を下げるので、四郎兵衛も気を削がれてしまった。
「分かった。面を上げよ」
 三郎はやっと頭を上げ、明かりをつけた。四郎兵衛は家に上がって上座に座った。そして刀を置くと
「何故、報せなかったのだ」
 口調こそ穏やかであったが、口惜しさがにじみ出ている。三郎は何も言わずに黙ってうつむいたままである。
「申せ。何故報せなかった」
「……。やはり、お大尽さまを売るわけにはいかねえと思いました。いったんお役目を引き受けたはしたものの、どうしてもどこかで譲れねえものがありましてな、それが引っかかって、いう事は出来ませなんだ」
 譲れぬ、という言葉に四郎兵衛は引っかかった。
「何を譲れぬというのだ」
「……。親父は、一領具足でしてな、国主様に従って戦っておりました。関ヶ原で負けて、この土佐は余所者に踏み込まれて、儂ら地の者は外に追いやられる。正直、縁もゆかりもない者に土足で上がられるのは、気持ちのいいものではありませぬのでな」
 三郎の両目に、仄暗い明かりが映っている。四郎兵衛はそれをみてぎょっ、とした。
「その為に裏切るというのか」
「裏切るというなら、お大尽さまを売ることこそが裏切りでございましょう。それはできねえ」
「なぜそこまでして、豊前守様を慕っているのだ。単なる釣り仲間でしかないのであろう」
 三郎は、さあ、と暫く頭を捻って考えに考えた。そして、
「少なくとも、同じ負けた者同士という事やもしれませぬが、儂はただ、お大尽さまと釣りをしている時が一番楽しゅうて楽しゅうて、これを取上げられたくないだけでござります」
 四郎兵衛は肩を震わせてしばらく我慢していたが、どうにもおさまらなくなって遂に吹き出すと、関を切ったように笑い始めた。これには三郎は嫌な顔をしたが、
「許せよ。そうか、それほどまでに豊前守様を慕ってくれるのであればいう事はない」
 四郎兵衛は全てが洗われて流されたようなすっきりとした表情になっていた。そして三郎の家を出た時、すでに日が開け始めていた。

 家里伊賀守が暫くの間を開けて、はやり勝永の屋敷にやって来た時、それまでの余裕のある表情から一転して、今にも命が尽きそうなほどの切迫した表情に変わっていた。
「どうしても、という秀頼公の檄でござりまする」
 伊賀守が懐から出し、油紙で巻いた書状をそのまま勝永に手渡した。勝永は中を開けてそれを読み進めていく。すると、肩から震えが始まると、全身の血液が沸き立つような躍動感にかられた。
「これは、秀頼公の本心だな」
「左様でござりまする。太閤殿下の遺児たる秀頼公直筆の書状でござりまする」
「中身は知っているか」
 伊賀守は存じ上げませぬ、と頭を振った。すると勝永は書状を渡し、伊賀守はそれを読み進めていくと、伊賀守は書状を持っている手が震えるのを抑えられなかった。
「儂はな、此処で朽ちても良い、と今でも思っている」
 勝永はそう話し始めた。伊賀守も黙って聞いている。
「捨て扶持を貰い、かように手厚く扱ってくれる山内殿にも感謝はしておるし、何よりへたな釣りをしてひなが一日を過ごすのがなによりの贅沢じゃ。戦の無い場所で、自儘に過ごすという事が、どれほどの贅の者か、分かるか。だが、そこまでしてこの毛利一斎を買うてくださるのであれば、毛利豊前守として大坂に出向いて、槍を取る以外に、何もかえせまい」
 といった。伊賀守はこの勝永の決断に、
「よくぞ言ってくだされた。これでこの家里伊賀、ようやく肩の荷が下り申した。されば、どのような手筈でここを脱し遊ばしますや」
「それは一計ある」
 そういうと勝永は静女を呼んだ。静女は覚悟を決めている。
「督と、太郎兵衛をこれへ」
 お督と太郎兵衛は何もわからぬ様子で静女を挟むようにして座っている。
「これから城に向かい、康豊殿に会いに行く。お前たちはついて来なさい。……勝家はおるか」
 ここに、と勝家は静女の後ろに座っていたが、勝永の前に進み出た。
「三郎、という釣り仲間を知っているな」
「はい」
「その者に、船を出すように伝えてほしい。場所は」
 といって三郎のいる村と、船を出す場所の手筈を教えると、勝家は屋敷を出て三郎の家に向かった。
「さて」
 勝永は城に登る。静女と太郎兵衛、それにお督が後ろからついて来ている。
 康豊が勝永の登城を家臣から知らされて、怪しんだ。
「それほど火急の事なのか」
 家臣は分からぬといった体であったので、康豊は
「会おう」
 といった。
 城中にある康豊の屋敷で、勝永は待っている。そして、康豊が現れると
「どうしたのだ」
「実は、このところ大坂での不穏な動きがありますれば、忠義様はその任に赴かれているとか」
「確かに、大坂での戦に備えておる。それがいかがした」
「実は、忠義様にはある一つの約定を結んでおりました」
 といって、勝永は書状を取り出した。書状は少し古臭いものになっていたが、読めぬほど傷んでいるわけではない。康豊はそれを勝永からじかに渡されると、中身を呼んで驚いた。
「ほう、忠義と衆道であったのか」
 衆道とは、分かりやすく言うと男色の間柄という事である。
「左様でござりまする。そして、どちらかが危急に瀕するときには互いに助け合う事を約定いたしました。それゆえ、大坂方に向かうのを許可願うべく登城いたしましてござりまする。無論、違えぬ証として、この」
 と控えている静女らを前に差し出し、
「三名を人質として置かせていただきたく存ずる。なにとぞよしなに」
 康豊は書状と勝永を何度も見ながら、
「分かった。おって沙汰を出す」
 というと、別間で控えるように言った。康豊は書状を目の前に置いて、
(さてどうしたものか)
 と悩んでいる。現代のように遠距離ですぐに、確実に取れる通信手段を持たぬこの時代において、本人の不在というのはなにより痛かった。忠義がこの書状を書いたかどうか自体は、花押を見ればわかることであるが、たしかに花押については忠義のものに間違いないであろう。だが問題はそこではない。
(豊前守があっていた商人風の男)
 つまり家里伊賀守の事であるが、この謎の商人の存在が、康豊がすんなりと勝永の大坂行きを決められないのである。
「もしやすると、これを口実にしているのではないか」
 と考えてみると、康豊の疑念はますます増大していく。康豊は、
「誰ぞあるか」
 と呼ばわると、家臣の一人が進み出た。
「四郎兵衛を呼べ」
 程なくして四郎兵衛が康豊の前に座った。
「これを読んでみよ」
 先ほどの書状である。四郎兵衛の表情は変わらない。
「これが、何か」
「何か聞いておらぬか」
「と、申しますと」
「そちは元は豊前守殿の家臣であった。そしてこの土佐にきたものはその方一人である。豊前守殿から何か聞いてはおらぬのか、尋ねている」
「ではこの書状が偽物である、と」
「違うのか」
「それはそれがしには分かりかねまするが、少なくともこれを康豊様に見せられた以上、真の事でござりましょう。それで、豊前守様は何と」
「大坂へ行きたい、という。無論、忠義を助けるためらしい」
(嘘だ)
 と四郎兵衛はすぐに見抜いた。言わねばならぬ事であるはずなのだが、どうにも言い出せない。むしろ言い出そうとすればするほど、勇気をなえさせるような無抵抗感に襲われるのである。
「忠義様をお助けあそばしますならば、認可を与えるべきでは」
(何を言っている。止めねばならぬ)
「なるほど、これを信じよ、というのだな」
「左様で」
(嘘に決まっていよう。行かせてはならぬ)
 言葉と心中とでこれほど乖離した会話も珍しいであろう。四郎兵衛の心中は、多重人格者が主人格を押しのけて意思決定をしているような非現実さがあった。
「ならば、赦すしかあるまい。……人質を出すとも言っておるし、大坂に向かわせよう」
 勝永は程なくして呼ばれ、康豊から大坂行きの許可をもらうと、早速三郎が待っているはずの久万川に向かった。
 すでに船は用意され、三郎が船頭となって勝家と共に待っている。
「赦されたぞ。このまま大坂に向かう。……三郎、此処までよう付き合ってくれた。礼を申す」
「何をおっしゃります」
「我はここまででよい。戦場になれば、命の保証は出来ぬ。ここで永訣じゃ」
 三郎はどこかで予感をしていたようで、縋ることもなく、ただ黙っているだけである。
「儂ら親子は死にに向かう。釣りが二度と出来ぬのが残念であったが、これも定めよ。屋敷にある竿などの釣り道具は好きなだけ持って行くがよい。では、達者でな」
 勝家が変わって船をこぎ出した。三郎はその場に立ち尽くし、ただ見送るしかできなかった。

 その後の勝永親子の風聞が聞こえて来たのは、一年近くにも経ってからの事である。
 夏の戦では、浪人衆の寡兵でもって幕府側の部隊を横紙破りに破っていき、ついに真田信繁とかいう武将と共に内府家康に肉迫するところまで行ったが、遂に家康の首を取ることは出来なく、勝永は大坂城山里曲輪という所で豊臣秀頼の介錯をした後、切腹して果てた、という。
 久万にある勝永の住んでいた屋敷には今も残っている。三郎は風聞が聞こえてからというもの、仕事に向かう前に必ず、屋敷に寄って手を合わせて勝永親子の冥福を祈るのである。
 四郎兵衛については定かな事は分かっていないが、どうやら勝永が大坂方についた為、その責を責められて自害に及んだらしい。
 三郎が屋敷から離れようとした時である。
「もし」
 と声を掛けられた。
「それがし、杉助左衛門と申す者。ここが、毛利豊前守様の終の棲家でござろうか」
「そうですが」
「貴殿は、豊前様と何か因縁が」
 杉助左衛門と名乗った男は人懐こい笑みを浮かべて話しかけてきた。三郎は、
「実は」
 と、これまでのいきさつを話し始めた。

 ちなみに、この杉助左衛門が残した文献が『毛利豊前守殿一巻』と呼ばれるものである。長らく世に出ることはなく、最初に世に出たのが江戸中期、神沢杜口という文人が翁草という随筆集の中で述べており、「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」と述べている。その後また長らく世に出ることはなかったが、大正の末に福本日南という人物がこの『毛利豊前殿一巻』をもとに『大坂城の七将星』を著して、世に伝えている。

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