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横山秀夫の『ノースライト』を読んで、ブルーノ・タウトを知りたくなった

 横山秀夫の6年ぶりの最新刊『ノースライト』(新潮社)は、表紙カバーにも描かれている一脚のひじ掛け椅子の謎をめぐる長編小説だ。

 ブルーノ・タウトという建築家の名前に覚えはあったが、どういう人かは、横山さんの小説を読むまで知らなかった。
 ブルーノ・タウトが日本に滞在していたのは1930年代の3年間で、ナチスに批判的であったために身の危険を覚えドイツを出国(ユダヤ人ではなかった)、後にトルコに向かうまで亡命同然の日々を送ったという。
 滞在していたのは群馬県の高崎のお寺で、桂離宮など日本文化について書いたものを残したものの、建築設計にかかわる機会をほとんど得られなかったという。建築家でありながら建築にかかわれない。そうした不遇が横山さんの作品でも綴られていて、建築士だけれど「建築家」を名乗ることに躊躇する主人公と、忸怩たる思い、心象風景において共振するものがあり、もっとタウトを知りたくなるというのが『ノースライト』だ。
 巻末に参考文献が挙げられているのだが、その多くがタウトに関するもので、いくつか読んでみた。
 タウトが、日本家屋の造りを異国人の眼で面白がっていたのがよくわかるのが間取りに関するもので、奥座敷の裏手には必ず便所が配置されている。聖と穢れが壁ひとつで仕切られ反転する。日本家屋では一般的な構造に対するタウトの解釈だ。そういえば、郷里の実家もそうだった。
 天照大神の掛け軸がかかった真後ろが、便所だった。板の間の汲み取りで、引き戸をあけて入るたびアンモニア臭が目に染み、漆喰の壁を何匹もの蛆が這い上がるのを見ながら用をたす。便所とはそういうものだと当時は思っていた。そういう家の構造に目をとめるドイツ人の建築家というのにさらに興味を覚え、ふだん足を向けることのない書店の建築の棚で見つけたのが、『ブルーノ・タウトの工芸』(LIXIL出版)だ。


『ノースライト』の中で、重要な意味合いをもつ、ひじ掛け椅子について。依頼されて設計した、自身にとっての理想の家ともいえる邸宅が完成して数か月後、主人公がその家を見に行くと、暮らしているはずの施主一家の姿が見えない。不審な侵入者の痕跡といい「一家失踪事件」のにおいが漂う。不穏な幕開けから始まるのだ。
 そして、がらんとした「空き家」の中に、一脚の椅子と電話だけが置かれている。
 椅子は、タウトが考案したものに類似している。本物なのか。本物だとしたら、なぜここに一脚だけが残されているのか。いったい家族はどこに行ったのか…。
 その謎を主人公が消えた一家の消息をたどり時間をかけて捜しだそうとする。その過程で、離婚した彼の家族をふくめ、いくつもの家族のドラマに読者は立ち会うことになる。希望を抱き、明るい方向を目指しながら深い森に迷い込んだ家族たち長い長い時間をたどる小説だ。横山秀夫ならでは、乾坤一擲の家族小説といっていい。 

 で、『ブルーノ・タウトの工芸』を開くと、小説の中に出てくる例の椅子のモデルと思しきものや、日本滞在中にタウトが工房で職人たちに指導をしてつくらせた数々の工芸作品を写真で見ることができた。

 とくに惹かれたのは、シンプルな木のバターナイフと竹製の電気スタンドだ(上の写真)。なかでも、収録されている長文のエッセイを読むことができたのがよかった。

 タウトの一番弟子だったという水原徳言(みはらよしゆき)さんが綴った「建築家の休日」には、日本文化を高く評価したとされるタウトだが、辛口の批評眼の人物でもあることがわかる。たとえばこんな記述がある。

《タウトが誉めたものは、土地の者としてはやめたいようなものであり、悪いと指摘されたものは、実は田舎者が得意でやっているものだということになる。》
 タウトが嫌ったのは、商店街などで目にする桜の造花の飾りの類いで、「社会的な罪悪である」とまで断罪している。ヘンクツな人ではあったらしく、タウトがなぜ拠点としたのが高崎や仙台だったのか、もちろんそうした地方の環境を好んでというのはあったにせよ、都心から離れ、さらに建築にかかわる機会に恵まれなかった事情にも触れられていて、一番弟子を自認する著書ならではの視点で、タウトと彼のまわりにいた支援者たちとの複雑な距離感を指摘しているのが面白い。


『ノースライト』には、脇役ながら少年時代にタウトと接したという人物が登場する。社会的には無名の工芸職人だが、子供たちには、自分はあのタウトの弟子だったと語ってきた。必ずしも嘘ともいいきれないが、過大な誇張にあたるだろう。ただ、水原さんの文章を読むと、たとえタウトが覚えていないような存在であったにしても、男が子供たちに「弟子だった」と自慢げに言いたくのはわかる。それを支えに生きてきたのだと思わせるシーンが後半に描かれている。それまで散らばっていたすべての点景は荘厳なパノラマとなる瞬間だ。横山秀夫らしい小説だ。

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