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全員爆笑でまったくの新人監督の映画『日本原』の配給を決めた、彼らの理由

「日本一」の低温殺菌牛乳を生産するある牛飼い農家の一年を追ったドキュメンタリー映画『日本原 牛と人の大地』(黒部俊介監督)が9月17日より東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場での公開がはじまった。

夏のある日、届いた試写の案内葉書にこんな言葉が書いてあった。

〈父が牛飼いになって、もうすぐ50年になります。牛飼いになる前、父は医学部の医学生でした。〉

日本原という場所には一度も行ったことはないが、学生時代からの友人がよく行っていたところだったのと、医者を志した若者が進路を変えた経緯に興味をもち、試写会場に行ってみた。
個人的には、友人だったカマタくんが幼い娘たちを連れてよく行っていたのが、こういう長閑な風景だったと知り、へぇーと驚いた。
そして、主人公のヒデさんこと内藤秀之さんは、なぜ医者ではなく牛飼いになったのか? 周りの農家が次々と抜けていった中で彼だけが半世紀にわたりこの場所で酪農を続けてきたのか? 一言では説明できそうもない経緯を、一年をかけて撮影者が問いかけている映像がとても新鮮だった。

届いた試写の案内状


「日本原 牛と人の大地」チラシ ©2022 Kurobeko Kikakushitsu


インタビューの仕事をしていると、どうしても聞きたいと思うことこそ最後にまわすことがある。それに似たシンパシーをこの監督に感じた。映画を観た感想を、あそはこうだねと率直に東風のひとたちにも話した。ひとしきり話したあと、口にしてしまっていた。面白いんだけど、これは誰が観るんだろう?
たとえば東海テレビの『さよならテレビ』ならメディアに関心のあるひとたち。ヤン ヨンヒ監督の『スープとイデオロギー』なら家族のあり方に関心のあるひと。『私のはなし 部落のはなし』はマイノリティに目が向く層。とイメージできたけど、今回はそれがなかった。すくなくともわたしには。
でも、今日いいものを見たという実感はある。カマタくんが生きていたら、今日こんな映画を観たよ、と話したくなっただろう。

そんなこともあり今回、東風のひとたち五人に、この映画の配給を行うまでのプロセスを聞いてみた。どのような考えでこの作品の配給を彼らは決めたのか。取材場所は新宿の東風事務所。

写真左から東風の石川さん、
新卒入社の早坂さん、代表の木下さん、
向坪さん、渡辺さん
(撮影©️朝山実)


2022年8月末、ミーティングルームの壁には、今春公開になった『スープとイデオロギー』『私のはなし 部落のはなし』に加え、『裸のムラ』『日本原』のポスターが加えられていた。
映画配給会社「東風」は代表の木下さんを含め、5人の社員で運営されている。作品の多くはドキュメンタリー映画だ。変わっているのは、作品選びを「社員全員で決めている」こと。少人数の、独立系の配給会社だとトップの一存で決まることが珍しくないが、東風は常に大事なことは「社員全員」で決めてきた。それは一貫している。

『日本原 牛と人の大地』という、まったく知らない監督の試写を観たあと、会場の受付係をしていた渡辺さん、向坪さんと話した。ふたりとも、この映画を最初に見たときに「笑いころげた」という。
面白い映画ではあるけれど、どこでそんなに笑うの?

向坪さんは「襖を背にしたサナエさんのあのインタビュー場面」だという。
ええっ!? わたしは首を傾げた。

さらにふたりから聞いた、この映画の配給を決めるにいたった経緯がなんともヘンだった。だからこの一本の映画を東風のひとたちはどう捉えたのか、全員に語ってもらえたら、東風のことがもうすこし理解できるかも。それがこのインタビューの動機だ。

ミーティングルームの机の配置を変え、
席に着く際は全員が
ノートパコンを持ってきた。
会話中、すぐに資料を取り出すのが
すごかった

聞き手=朝山実(©️撮影も)
あ、ぜんぶで13000字超えてます。すみません🙇

向坪
 そうそう。わたしがいちばん笑ったのはサナエさんの登場シーンでした。
石川 文字がいっぱいある襖の前に座ってもらい、正面から撮っている構図がすごいんですよね。
渡辺 あそこは、ウェス・アンダーソンっぽいところだったなあ。

━━わたしは、そんなに笑う感覚はなかったんですよね。あのシーン、ヤクザ映画の襲名披露みたいな構図設定で、たしかに妙ではあるけど。

向坪 あの場面で笑ったというのは「なんだこれ?」と。まず、あのような襖を見たことがなくて。アサヤマさんのご実家にはそういうものがあったと話されていたけど。
渡辺 サナエさんの話を聞くだけなら、あんな撮り方はしなくともよかった。
木下 アハハハハ。たしかに。
渡辺 なんでわざわざシンメトリーな画面を見せたあとに、(夫婦のなれそめを語る)あのインタビューをもってくるのか。
石川 ぼくは、この設定を選んだのはどっちなのか? サナエさんがあそこで話したいと言ったのか、黒部さんの指示なのか。(奥に仏壇があり、頭上の鴨居には遺影が並んでいる)あの場所でというのは、すごく象徴的な空間ではあったと思うんです。

※黒部さんは、この映画を撮ったカメラマンで黒部俊介監督。サナエさんは、映画の主人公である牛飼いの内藤秀之さんの妻である。

サナエさんのインタビュー場面
©2022 Kurobeko Kikakushitsu(以下、同)

向坪 そうそう。監督も、あの場面が好きだと話されていましたね。
渡辺 ただ、あの画があまりに強烈で、何を話していたのか覚えていないというのもありましたけど。
木下 あの場面、監督は面白いと確信したから撮ったんでしょう。そういうセンスのよさは感じました。



━━渡辺さんからまず、この映画を東風が配給することになる経緯から話してもらっていいですか。

渡辺 ざっと説明しますと、2020年6月に、もともと東京で出版社の編集の仕事をされていた黒部麻子さんから10年ぶりくらいに電話があったんです。結婚して岡山に移住し、夫がドキュメンタリーを撮ったので見てもらえないかと。届いたDVDをみんなで観たんですが、そのときは、本当にワイワイ笑いながら。それですぐに返事のメールを送ったんですね。
そのときのメールを読むと(パソコンの画面を見ながら)、「ここからは僕の私見ですが、映っているものが魅力的なだけでなく、それをどう見せるのかという方法(撮影・構成・編集)においても、ユニークな見どころが随所にあり、たのしかったです。」と。岡本喜八のようなテンポとか、ウェス・アンダーソンっぽいデクパージュを引き合いに書いていたので、テーマではなく作り方のほうに共感していたんですね。同時に、編集、音響スタッフが入ったらさらによくなると思ったので、一度相談させてほしいと。
木下 ぼくも一緒に観ていましたが、「お客さんが見えないね」とは言っていた。だから一度ポスプロ(ポスト・プロダクション=撮影完了後に行う編集作業)をした上で、山形映画祭とかに出してみませんかという提案をしたんですね。それでほぼいまの形にして出したんですが、結果的にどこにもひっかからなかった。

━━映画祭に出すという提案は、評判次第で配給を検討するということだったんですか?

木下 そうではなくて。配給するのはもう決めていて、何かの映画祭でひっかかれば公開にすこしでも有利になるだろうという判断。まったくの新人監督の作品の場合、映画祭で上映されるということでのパブリシティ効果を見込んでのことですね。
渡辺 この作品に限らずですが、映画祭で選ばれるかどうかが(東風では)配給の判断を左右することはないですね。

映画は牛の出産シーンからはじまる
朴訥なしゃべりのこのひとが、
主人公のヒデさん
「山の牛乳」という
低温殺菌の牛乳をつくっている
かつて牛に牧草を食べさせたりしていた
山には「自衛隊の演習場」があり、
ヒデさんは、
ときには反対集会の先頭に立ちもする
背中は、長男のダイチさん。
ふだんどおり演習場の中にある
耕作地に入ろうとするが、
米軍の演習を理由に阻まれる

━━木下さんの感想はどうだったんですか?

木下 あのときは、この部屋でみんなと観ていたんですね。後ろのほうで。「日本原」といっても、どういう場所なのか不勉強でよくわからなかったんですけど。ただ、スタッフがみんな喜んでいる。楽しそうに笑っているなあ、と。
向坪 アハハハハ。そうでした。タイトルも、もともとは『牛と人の詩』だったんですよね。
木下 正直に言うと、観はじめたときの期待値は高くなかった。撮影技術は低いし、何を撮ろうとしているのか分からないカットも多い。ただ、それでもヘタウマのような撮影や編集のセンスが光るところがあって、昔の尖った自主映画を見る印象があったんです。懐かしい感覚だなぁと。
そうしたらスタッフがツッコミを入れながら面白がっている。これはイイかもしれない。うちは、わたしひとりがイイと思っても、ほかのスタッフを説得するのが難しくて。ええ。ハハハハ。だから、スタッフが乗って観ているかどうかは、わたしの中では最重要だったりするんですよね。
石川 「プロフェッショナル 仕事の流儀」ふうにいうと、「そのとき、木下は後ろからスタッフの顔色をうかがっていた」というナレーションが入るんでしょうね。
全員 アハハハハ。

━━くどいんですけど、何をそんなに笑いながら観ていたんですか?

石川 まず、あまり声が聴こえない。黒部さんひとりカメラをまわして、出演者にマイクを付けたりしなかったんでしょうね。いまは整音しているので、聴きやすくなっていますけれど。たとえば、冒頭の牛舎のシーンで、ガァーっという音がして、何を話しているのか。ただ、画には力強さがあるので、この現場を記録しようとする意思は伝わってくるんです。出てくるひとたちもユニークですし。「面白いんだけど、聴こえないよお!」と言いあってましたね。

━━聴き取れないとイライラして、観るのをやめようというようなことはなく?

向坪 これは映画館では出来ないことなんですけど、「これは何?」とかみんなで言いながら観ていたんですよね。わからないなりに、そこは想像で補ったりしながら。そこが逆によかったのかもしれないですね。
木下 とにかく登場人物たちが面白い、魅力的だというのは大きかったと思いますね。だから、もうすこしプロの手を入れたら、よりいい作品になるんじゃないか。
渡辺 さらに「いい作品」という言葉には、微妙なところでもあって。僕らはそのままでも十分楽しめたんですよ。でもさすがに、このまま劇場公開するのは憚ったというか。
向坪 聴こえないことでの面白さはあるにせよ、何をしゃべっているのかを聞きたいというのもありました。あのガヤガヤしたシーンは、マイクを付けてないからだというのは、ちょっと映画に詳しいひとだとわかるところですから。そこは直せるものならというのはありましたね。
渡辺 作った本人が意図していないところに、観たひとが面白さを感じるということってありますよね。たとえば文章だと文体が乱れているんだけど、引き込まれるとか。だから、技術が足りていないのなら補えばいい。
ただ、難しいのはプロの手が入ることで、作品本来のよさが消えてしまうということもあって。今回、編集の秦さんにはそういうところもコミで相談させてもらったんですが。秦さんは「このままでもいいんじゃないの」と言うんですよね。「面白いんだから」って。

※秦岳志(はた・たけし)さんは、主にドキュメンタリー映画の編集を行い、原一男監督『水俣曼荼羅』、島田隆一監督『春を告げる町』、日向史有監督『東京クルド』などを手がている。
「整音」は川上拓也さん。



━━秦さんの作業で顕著に変わったのは?

石川 最初のバージョンは時間がすこし長いかなぁというのもあったんですよね。
渡辺 いまのは110分で、もともとは136分だったんですね。
石川 要素は残しながら整理整頓をし。それも秦さんがというよりも、監督がこうしたいんだけど上手くいかないというところを一緒に考えながらということだったように思います。だから構成に関しては、大きな変更はなく。

━━変わった映画の構成で、途中から話が逸れていったりするんですよね。突然、カメラが内藤さんがつくっている牛乳の宅配をしているひとたちにくっついて行ったりして。そのひとたちが心の病気を抱えているらしいとわかっていく。そうしていると、想田和弘監督の『精神』『精神0』に出てくる精神科の診療所の山本医師が映り、内藤さんと話す雑談するシーンになる。監督のプロフィールを見ると、介護の現場で働いていたこともあるというので、なるほどとつながりを感じましたが。

木下 そこもあまり計算されたものではないというか。慣れているドキュメンタリー作家だと、いま自分が撮っているものをどう使おうとするか。一歩引いた視点で撮りながら考える姿勢をもっていたりもするんです。だけど、この作品は撮りたいものをとにかく撮っていっている。それは最初に感じたことですよね。計算されていないよさというか。
渡辺 黒部さんの場合、ふつうに話していても、彼が何を考えてこうしているのかよく分からないことがあります。説明がうまくできないから、撮っている。そこが魅力的なんだろうと思うんです。

━━山本医師が出てくる場面に、おおっ!となったんですが。それも唐突な登場の仕方ですよね。

向坪 そう。そうなんですよ。しかも想田監督作品とかを観ていないと、このひとは誰?と戸惑うと思うんです。知っているひとには、すごく受けるんですけど。たとえば「山の牛乳」の配達のひとたちも、ご病気を抱えながらこうやって働くことでよくなってきたんです、というのは見ていたらわかるでしょうけど。

━━山本医師と話している場面で面白いのは、内藤さんは若い頃に医者を目指して医学部に入った。それも外科とか内科でなく、精神科の診療医を希望していたという。そこが意外で。高校生のころ、社会で小学生の不登校が問題になりはじめ、そういうひとたちのために役立とうと考えたのだという。

向坪 そう。そうなんですよね。

ヒデさんの隣に座るのは、
精神科診療所「こらーる岡山」で患者主体の医療を行ってきた山本昌知医師(右)
右から山本医師、妻の芳子さん、
ヒデさんと妻のサナエさん


━━ところで、さっきから「そうそう」と笑顔で頷いてますけど、早坂さんは最初に観てどうだったんですか?

早坂 すごい面白くて、わたしも何度も笑いました。ああ、みんなも笑っているなと感じつつ。襖のシーンもそうですけど、本当にこれはどういうこと?と心の中でツッコミを入れながら。初めてドキュメンタリーの面白さに気づいたときの感覚を思い起こしました。

━━ここでみんなで観ていて、そんなに笑ったりしたというのは、わりとあることなんですか?

木下 あることはあります。ただ、どちらかと言うと、ここはダメだなぁという意味合いが多かったりするのかな。どうして、ここでナレーションで説明してしまうんだろうか、とか。
向坪 結果的にそういうのは東風のラインナップになっていないかもしれませんね。観ながら話すというのでいえば、『スープとイデオロギー』だと、「うわ、おいしそう!」「食べたい!」とつい口から出たりしていましたね。
全員 アハハハハ。

━━笑ったということでいうと、この映画の予告編いいですね。コミカルなよさが抽出されていて。いつも予告編はどういうふうに作られているんですか?

渡辺 東風ではだいたい三人くらい、お願いするディレクターがいて。スケジュールと相性を考えながら。プレス向けの試写状が出来上がったところで、どういう作品として言語化していこうかということを決め、ディレクターと打ち合わせしています。
向坪 この映画の場合は、監督の黒部さんが日本映画学校に通っていたことがあり、予告編のディレクターをお願いした遠山慎二さんともすこしつながりがあったんですよね。
渡辺 当時、黒部さんが参加していた卒業制作を遠山さんがOBとして手伝ったことがあったそうなんです。
それで話を戻すと、いくつかの惹句を並べていくうちに、こういう構成かなぁというアイデアをディレクターに投げてみる。上がって来た予告編の初稿を見て、その方向でいいと思えばそれで進める。今回キモだったのは、終わらせ方でした。

━━というと?

渡辺 冒頭のナレーションは、本編にも出てくる内藤さんの次男のヨウさんの語りなんですね。当初は、全編をヨウさんの言葉でつないでいこうとしたんですが、それだけではなかなかうまくいかなかった。それで「政治の季節と青春のその後で、こんな時代を生きています」というあの言葉を、この時代を見ることができずに亡くなった糟谷さん的なひとたちにを宛先にして書いてみたんです。そうすると幅広い層のひとたちに受け入れられるのではないだろうか、かと。
向坪 劇場のひとに見てもらったときの感想もそうでしたね。


━━予告編の音楽がノホホンとして、いいんですね。いっぽうで、映画の中に糟谷孝幸さんという、内藤さんが岡山大学の学生だったときに当時大阪の扇町公園であったベトナム反戦の集会に誘い、機動隊の暴行を受けて亡くなった友人の話も出てきます。
これは、半世紀前に学生運動やっていたひとが牛飼いしながら今も村でたったひとり反戦の志を貫いている。ドン・キホーテ的な話でもあって。何がそうさせるのか。ドキュメンタリーとしての面白さがあるんですね。だけど、ある層のひとたちはもしかしたら、この映画にもどかしさを感じるかもしれないなぁとも。自衛隊の演習場反対運動のこととか、糟谷さんの話をもっと描いてよ、というひとたちはいるかなぁと。

向坪 それはいろいろあるかもしれないですね。精神医療に関心があるひとたちにとっては、山本先生が出てくるのならもっとそっちの話を見たいと思うかもしれない。

━━そういういろんな要素を含みながら、「牛飼いを続ける一家の一年の日々を描いている」のが面白いと思いました。ただ同時に、いったいこれを誰が観るんだろうか? 東風はよくこれを配給しようとしたなぁと。そこはナゾだったんですね。

渡辺 自分たちは面白いと思った。だけど、対象が掴み切れないという映画があったときに、観客をつくりだすというのも、僕たちの仕事であって。この監督の作品ならこういうひとたちが観に来るだろうというのは、たいして力は要らない。じつは面白味があるのは、いま言われたような映画なんですよね。
予告編の構造でいうと、これは『人生フルーツ』(東海テレビ製作。東風配給協力。ミニシアター興行ながら観客動員27万人のロングラン大ヒットを記録)とほぼ同じで、ディレクターも同じ遠山さんです。同じような位置に「ある青春の挫折」が入り、そのひとたちがどのようにして自分の人生と向き合ってきたのかという物語として作られています。

━━そうなんですね。『人生フルーツ』と同じひとに予告編を頼んだというのは、何か意図して?

渡辺 というよりも、東風の予告の半分くらいは遠山さんにやってもらっているんですよね。
向坪 遠山さんは『私のはなし 部落のはなし』もそうでしたね。
渡辺 挫折ということでいうと、これは学生運動を昔やっていましたという話でもあるんですが。20年くらい前だったら、共通の物語として機能したかもしれないんですが、今はそうではない。ただし、若いころに何か理想を求め挫折しましたというのはたいていのひとが経験している話でもあって、それが予告編の中盤くらいにあると、この話に理解を示してくれるかもしれない。

━━ああ、なるほど。

渡辺 たとえば村上春樹の小説。若いときに挫折し、傷ついた〈僕〉がスジをとおした日々の労働の中で健やかさを保っていくという物語には普遍性があります。それで、たまたまこの映画で描かれている内藤さんも、監督自身もまたそういう物語を持っているひとたちだということでは、作品の骨格として、やりようによっては広い層に見てもらえるのではないか。
ポレポレ東中野の大槻(支配人)さんから来たコメントがまさにそういうことに触れていたんですよね。だから都内に5千人そういうひとがいてくれたらいいなぁと。
向坪 映画のチラシ配布やポスター掲示などに協力してくれる方たちを映画の「応援団」としてSNSやチラシで募集しているのですが、各地から応援しますと連絡をもらっています。
早坂 ああ、そうそう、四国にいるひとからもチラシを送ってくださいという連絡がありました。

━━へえー、四国から。すごいね。じつは一昨年亡くなった友人が、よく子供を連れて日本原の反戦集会に行っていたんです。彼から何度も電話で誘われては、断っていたんですけど。こういう風景のところなんだと思いながら、長閑な集会の会場のなかにいたりしないかなぁと姿を探したりしていました。

石川 昔はもっと長閑だったみたいですよね。ダイチ(内藤さんの長男)さんが子供の頃は演習場の周りにフェンスなんかもなくて、ここに虫取りに来ていて、ちかくで自衛隊が訓練していたと話している場面がありましたね。
向坪 見ていると一度行ってみたいなと思いますよね、わたしたちも。
木下 沖縄の平和運動について語られる際、鋭角だと折れてしまう、息長く続けていくには「鈍角の闘争」でなければという話が出てくるんですが、たしかにずっと張りつめていては身がもたない。この作品の中で描かれているのも、そういう粘り強さなんだと思いますね。
映画の宣伝という意味では、この映画を観に来てくれるひとたちをどうやってつくっていくのか。平和運動というのもキーワードにはなっていて、そういう面ではそこに関心をもっているひとにも観に来てほしいと考えつつやってはいます。

━━ところで、試写状のヘッドコピーは、渡辺さんですか?

渡辺 映画のナレーションそのままなんですけど。いつも一度原稿にして、みんなに見てもらって、いろいろ、ああだこうだ言ってもらうんですけど、これはすんなり行きました。

━━チラシのビジュアルはすこし変化していて、真ん中に牛がいる。ノホホンさが増していますね。

向坪 あとヨウさんの自転車も。あの場面はみんな好きでチラシに入れようと言ったんだっけ?
渡辺 内藤さんを大きく前面に出しても、どうなるわけでもないかなぁというのもあったし。
向坪 でも最初は、予告編の話に出てきたように、学生運動をしていた世代の方に届けやすいかと考えて、ロゴとかのフォントも明朝にしたり、硬派なビジュアルのパターンも考えたんですよ。だけど、そういう作品でもないから、むしろ面白い要素を出してみようというので、いまの形になっていったんですね。
渡辺 このチラシも最初は〈父が医者ではなく、牛飼いになったのは自衛隊とたたかうためでした。〉が前面にあったんです。それを見たポレポレ東中野の大槻さんから、闘争シーンがあるわけでもないし、いまの青春の挫折の物語感があるほうが好きだよと言われたのかな。
ただ、デザイナーの成瀬慧さんからは〈自衛隊とたたかうために〉という言葉を入れるために、このレイアウトにしたんだから、いまさら変えられるのは納得いかないですと言われ、結局チラシは両方入れることに。

━━一枚のチラシが出来上がるまでに紆余曲折があるんですね。ほぼ同時期に公開になる『日本原』と『裸のムラ』ですが、どちらもコミカルなタッチがありますが、チラシは同じひとですか?

向坪 いえ。『日本原 牛と人の大地』と『私のはなし 部落のはなし』と『スープとイデオロギー』が成瀬さん。『テレビで会えない芸人』と『裸のムラ』が渡辺純さんですね。

━━へえー、そうなんですね。試写を観に行った動機のひとつに、試写状の最後が「こういう作品こそ、万難排してスクリーンでご堪能ください!」という一文で〆られているたんですね。なんだろうこれは? こういう作品こそ、って何だ? それは大きかったですね。

向坪 ほぼ試写状の原稿は渡辺さんが書いているんですが。
渡辺 僕らの職業は、お客さんをスクリーンで観たくさせるのが仕事。だからあの一文は職業放棄にちかいんですけど。
向坪 日本原がこういう土地で、そこに内藤さんというひとがいて、こういうことをしている映画なんです。そう説明されても、ひとはなかなか観ようという気にならないんじゃないか。そういうふうな映画でもないというか。

━━ということは、あの言葉は困りあぐねた末ですか?

渡辺 まあ。アハハハ。書かなくともいいことではあります。そもそも観てほしいから試写状を送っているのだから。でも、あれは、もうこちらの差し出し方に反応してもらいたいというのもあったかも。この映画の面白さは、じつは映っているものだけではなくて、映らないものをどう監督は表現しようとしたのかというところでもあって。監督本人の魅力というか。

━━ふだんしないことをしてしまったのは、この監督の作風が東風の価値観に合うということでもあるから?

木下 お客さんはなかなか見えないけれど、ぜひ公開をしたいということだと、最近だと島田隆一監督の『春を告げる町』がそうでしたね。
向坪 とても好きな映画です。泣きました。ただ、あれも宣伝はどうしようかなと悩みながらでしたけど。
渡辺 誰が観るんだろうということでは、『ホームレス理事長』が近いかもしれない。面白いのは確かなんだけど、誰が観るんだということだと。
向坪 そういう意味では、東風のラインナップには多いかもしれないねえ。
木下 お客さんが入らないかもしれない。そう思いながらも結果的に入った作品は話しやすいんだけど、キビシかった作品については、ここであれは、と言いづらいというか。

「たたかい」だけではなく、
フェンスの中の畑では
サツマイモを育て、芋ほり大会も
合鴨農法を実践。
水田に放つ際には、
近隣の小学生を招待している
「野生の命」を感じるショット。
よく見ると前脚を欠いている。
東風がメディア向けにセレクトした
場面写真の中にこの一枚も含まれていた
「父は、」とナレーションも担当する
次男のヨウさん。
長年ひきこもっていた彼が、
自転車に乗る練習をはじめた。
なんでもない光景だが、グッと来る


━━それもそうですね。監督とは、直接この映画について話したりは?

木下 ここに来てもらって2回話したことがありますね。
渡辺 あとはZoomですね。
向坪 わたしはプロデューサーの黒部麻子さんが、渡辺さんに見てと言ってきた気持ちがわかるというか。すっごく好きなシーンがあって、冒頭の子牛のナギサクラが生まれるとき。かけつけて来た獣医さんが「息している?」と聞く。カメラで撮りながら黒部さんが「はい。してます」と言うんですけど、もう一回、内藤さんに「息している?」と聞く。
たったそれだけなんですけど、一瞬、関係性が見えるところがめちゃ面白くって。だって「してます!」といま返事しているのに、黒部さん確認されちゃうだという。
全員 アハハハハ。
向坪 べつに黒部さんのことを信用してないとかじゃなくて、ちょっと不安というか。そういうふうに見られてるんだなぁという。しかも、映画としてそこをカットしていない。あそこ、いいなぁと思いました。そういうところ、この監督、魅力的だなあと。
木下 愛すべきひとなんだと思いますね。実際に会ってみると、作品の印象と黒部さん自身が近いんですね。

━━向坪さんの視点というか捉え方、面白いですね。なるほどですが、いまそう言われないと意識しなかったかもしれない。


渡辺 これは、ぜひ言っておきたいんですけど。試写室に来るひとたちの中には黒部さんが素人だとか初監督作品というので、どこかナメているところがあって。だけど、黒部さんは早稲田の映画学科に4年、そのあと日本映画学校で3年勉強してきているんですよね。それで今この映画を発表するということは、むしろ天才かもしれない。

━━渡辺さん、めずらしく語気がつよいですね。

渡辺 たとえば、秦さんが編集するの大変だったでしょうという感想を聞いたりしたんだけど、それは違うかなと思った。
向坪 たしかに秦さんが一から編集したとしたらそうなんですけど、すでにベースが出来上がっていたんですよね。そうか、だったらクレジットに編集も黒部さんだと入れておいたらよかったかも。
渡辺 そうだね。どうしても映画を減点法で見たがるひとたちがいて、それはつまらない見方だと思うんですよね。

━━試写を観たときに、撮っているこの監督が楽しんでカメラを向けているというのは伝わってきたんですね。尚且つ、全体がどういうふうにつながっていくのかよくわからない。予想がつかない。そこがまたよかった。これを監督がもしも自分で撮るのではなくて、カメラマンを頼んでいたら、また作品として違っていたんでしょうか?

木下 それはそれで見たい気持ちはありますね。だけど、カメラマンとコミニケーションをとりながら、自分が撮りたいものを撮ってもらうというのは技術が必要なんですね。
向坪 撮っているひとが楽しそうというのと、撮られている内藤さんたちも嬉しそうだし、とくにひきこりだったという次男のヨウさんとのシーンがいいんですよね。被写体と撮るひとの距離感が近ければいいというものではないんだけど、あれはヨウさんの部屋に監督が寝泊まりしていたから撮れたんだなぁという気はしますよね。だから、外部のクルーが加わってもあのように撮れたかというと、どうだろうか。
木下 それにカメラマンありきでやろうとすると、このペースではドキュメンタリーは通常撮れないと思うんです。
ひとを一人雇うとなると、もっと何を撮るのかということをきちんと考えて、計画を立てながらやっていかないと。昔の『阿賀に生きる』のように、そこで生活しながら撮っていくというスタイルのドキュメンタリーもありますが、この作品のようなテイストで、監督がそこに滞在しながら撮っていく、そこから見えてきたものが大きい。事前の計算ありきで撮っていないことのよさ、その欠点も写り込んでいて。そこがこの作品の愛らしさになっていると思いますね。
石川 それにクルーが増えたら、あのようなふだんの語りが内藤さんやサナエさんから聞けたかどうか。
向坪 すくなともヨウさんの部屋に何人も泊まれなかったでしょうね。ヨウさんと仲よくなってナレーションまでしてもらえたことが、すごくいいなぁと思いました。

━━あのナレーションは最初のものから付いていたんですか?

木下 最初の編集のときから入ってましたね。
渡辺 あのナレーションはバツグンによかったですね。言葉もそうですが、どこでどういうのを入れるのかということも。
木下 なかなか書けるナレーション原稿ではないと思いますね。
向坪 「父は、」という訥々とした語りね。
渡辺 すごいですよ。黒部さんが自分が書いたにもかかわらず、さも内藤さんの息子さんが考えたという視点で語らせているんですから。
石川 あと面白いのは、黒部さんのお子さんが飲み比べて、内藤さんの「山の牛乳」が生協の牛乳に負けてしまうところ。
全員    ハハハハ

━━大人たちが大絶賛しているのに、子供は生協のほうがいいという。ずっこけてしまうところだけど、カットせずに入れていて笑いました。あと、牛飼いの作業しているところで「子育てと牛とどっちが大変でしたか?」と内藤さんに聞くのもおかしかったですね。

早坂 ああ、アハハハ。
石川 「そりゃあ、牛の方が楽だよ」という。

━━夫婦して、子育てに苦労としたんだろうなぁというのは伝わってきますよね。映画の中では詳しいことは語らないんだけど。それは、なぜ医者になるのをやめて、牛飼いになったのか。その答えを一回のインタビューの問答ではなくて、一年かけて日々の生き方として映像として描きだしていくのがいいですよね。

渡辺 黒部さんの質問が変わっているから、変わった答えになる。
向坪 ああ、そうか。そういう黒部さんだから、答えているひとも面白く見えるんですよね。
おわり

まだまだ聞きたい、話したいこともあったが、時計を見ると予定の90分になったので「おわり」ました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このあと横浜シネマ・ジャック&ベティ、名古屋シネマ・テーク、京都シネマほか各地のミニシアターで順次上映予定。詳しくは↓
https://nihonbara-hidesan.com/

東風についてのルポ記事↓


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