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「きみが死んだあとで」の撮影者が見ていた風景


🌙前回、ドキュメンタリー映画「きみが死んだあとで」(代島治彦監督)を撮影した加藤さんのインタビューをまとめながら、作中で使われなかったシーンがやはり気になった。無理をいい、取材時にカメラマンが何に目をとめていたのか、一部を映像から抜き出してもらえないかと加藤さんに頼んでみた。

しかし撮影者としては、これは頭を悩ます難題だったようだ。映画の撮影とは、一連の動きの中でこそ場面が生きるもの。写真のように一枚一枚での成立を考えてはいない。だから選び出すことに負荷をかけてしまったのを、あとになって知りました。

3時間20分の映画(途中休憩あり)でも収まりきらなかった、延べ90時間余りのインタビュー記録を代島監督が、映画と同名の『きみが死んだあとで』(晶文社)として書籍にまとめました(わたしは編集構成に関わらせてもらいました)。編集意図として、ひとりひとりの声(語り)に耳を傾けてもらいたいという願いから、映画の本ながらあえて映像的なものの挿入は限定しています。「読むラジオ」のような本を目指しました。それでも444頁の厚い本になりました。https://www.shobunsha.co.jp/?p=6587

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前回の加藤さんのインタビュー↘️https://note.com/monomono117/n/n63600fe441d2


撮影者・コメント=加藤孝信さん

🌙構成・文=朝山実

写真©️きみが死んだあとで製作委員会


【生徒たち】

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🌙日本を離れ、インドのダラムサラの山村で舞踏を教えている岡龍二さん(映画で紹介される、級友だった山﨑博昭さんらを想いながら岡さんが踊る、白塗り仮装の舞踏シーンは異彩を放っています)の「リゾーム・リー」の生徒さんたち。映画ではこの場面は使われていません。

加藤さん「白板に書かれたダイアグラムが面白い」

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【弁天橋】

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学生服を着た代島監督が、山﨑さんの遺影を持って立つ冒頭シーンのあの、弁天橋からの眺め(前回の加藤さんのインタビューでは、わざわざ大雨を選んで撮影した当日の様子が語られています)。

その明け方と夕刻。

加藤さん「10・8の面影もないでしょうが、撮影当時と比べても今の風景は変わっているはず」

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【本の砦】

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加藤さん「店舗へ通じる階段にも大量の本が」

京都「書砦・梁山泊」。島元健作さんが学生運動を離れてから、店舗としての場所は移転しがらもほぼ生涯を注いできた古書の空間。わたしも大阪にいたころには、梅田の古書街にあった店をよく覗いていた。吉本隆明とか他所では見ない冊子が置いてあるちょっと気構えさせる場所だったが、映画を観て、インタビューを読んでその経歴に「えぇっ!」と驚いた。

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加藤さん「主の島元さんの仕事を、ラ・マンチャの男が見守っている」

残念なことにいまは店を閉め、移転作業中。


【静物】

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🌙山﨑博昭さんとは大手前高校の同級生だった向さん。当時、周囲が中核派の高校生組織に加入していくなか、勧誘を受けるものの「マル学同も革共同も二つあると聞くから、大学に入ってよく見比べてから判断したいので、いまは入りません」と断ったという武勇伝の持ち主。尚且つ、一浪して入学した早稲田大学で共同行動をとった革マル派から離脱、追われる身に(という話は4時間の映画の初期バージョンにはあったけれど完成作ではカットされた)。「我々」の時代に流されず「わたし」であることを貫いてきた向千衣子さん。映画に入りきらなかった、彼女の高校時代からの個人史も書籍版ではノーカット収録しています。

自家製梅干しの瓶を代島監督に見せている。1973年から漬けているという。

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▼部屋の奥に見えるのは、学生時代に知り合い連れ添ってきたユウジさんの祭壇。

加藤さん「引っ越し用の衣装ケースを、タンスも兼ねて再利用されていました」

🌙タンスの左端に置かれた酒瓶。拡大してもらわないとわからないが、親族・知人の名前と没年を記した小さな紙片を瓶のまわりに張り付け「位牌」代わりにしている。

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▲向さんが着ているコートについて、書籍版を読まれた加藤さんから、「書籍のP16に記載のある、リバーシブルコートであることを思い出しました。公安の眼を欺くために表にしたり裏にしたりしながら着ていたというコートです」とのこと。革マル派の幹部から、自派の闘争現場の記録係を任されたときの逸話が向さんだなあと感心させられる。

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▲佐々木幹朗さんの山小屋の書斎▼ 


加藤さん「食事の際に試飲させて頂いたウィスキーがここにあったものかどうか。私は、違いはわかっても価値のわからない男です」

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【後ろ姿】

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▲岡龍二さん(インド)。

幼いころにイタコだった祖母に預けられ人格が二つになりかけたと語る。インドの山村にたどりつくまでの岡さんの人生は、起伏にとんでいる。

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▲黒瀬準さん。

🌙劇団四季に学生時代に加わったかと思えばやめたりと、まるで「俺たちの旅」の登場人物のように青春を過ごした印象の黒瀬さん。映画を観たひとの中でひそかに人気を得ているのは、周囲が当然のなりゆきのように党派組織に加わっていった中で「僕には党派の誘いがなかった」ともらす、ほのぼのとした身近なキャラクターだからだろう。『僕って何』の主人公のモデルだともいわれるが、飄々としつつ、齢70をこえたいまも現場労働者である。

加藤さん「ずっと続けているおにぎりの納品をおえたあと、京都駅の改札を出て、エレベーターを上がり案内されました」


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▲佐々木幹郎さん(嬬恋村)

書籍版では、詩人の佐々木さんが東京を抜け出し、年に数回ここに通いつめる理由が語られています。


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▲赤松英一さん。

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🌙映画では、カメラの前で問われて、一言ずつ、嚙むように語るシーンがつよく印象に残る。「その後」の内ゲバに深く関わったことのある赤松さんにとっては、このインタビューは覚悟のいるものだったに違いない。

加藤さん「バックショットが登場人物の心情を表すことがよくあります。言葉を尽くしても語りえないことが背中から漂いだすように思われるからでしょうか」



【本棚】

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▲山﨑博昭さんが読んでいた本。


加藤さん「ブックカバーの背表紙に一つ一つ書名を記す、こまやかさ。裏表紙にも(読了日でしょうか)日付と、ひらがなで名前が書きこまれています。この日から、ひと月たらずでこの世を去ることになろうとは」


🌙兄の建夫さんが、当時のままに弟の本を保存している。本に書店のカバー(旭屋書店のものが目にとまった)をかけてもらい、その背に書名を書き込むということを当時の若者はよくしていた。棒線を引いたり、余白に何かを書き込んだりする(いまならTwitterなのかもしれないが)のも70年代まではめずらしくはない習慣だったと、時代の記憶を喚起させられるカットです。そして、梁山泊の島元さんが消しゴムをかけてぼやく台詞が書籍版の冒頭に出てきますが、編集としては今昔を知る好きなシーンです。

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▲田谷幸雄さんが営む学習塾。


加藤さん「合格祈願に誰かが折ったものか、片隅に鶴が何羽か佇んでいました」

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🌙田谷幸雄さんの実家は薬屋だったが、学生運動にのめり込んでいたころ、火災に遭って焼失。運動を離れた後、学習塾で生計をたて、難病の子どもと哀歓苦楽を共にしてきた。映画では、そうした個人史はカットされているが、書籍版、娘との生活を語るはんなりとした浪花ことばの田谷さんの回顧にふれたあとでは、鶴はたんなるツルと見ることができなくなる。


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▲やはり運動から離れたのち、高校教師をしていた島元恵子さんの本棚。

🌙インタビューを読むと、その後の世代の人たちが想像する、いわゆる「活動家」のイメージがゆらぐ。教室の隅で寡黙にたたずむ内気な少女の印象もあるが、書架に並ぶ本の背を見ていくと、あらためて、あの時代、あの隊伍に加わった人なのだと、たしかな芯を感じる。


本棚佐々木2[1]

▲佐々木幹郎さんの本棚。

山﨑博昭とは互いに影響を受け合った。あの時代の一瞬一瞬をことばにした『死者の鞭』は詩人の代表作。


加藤さん「『死者の鞭』は装丁も味わい深いものがあります」


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▲三田誠広さんの研究室。

三田さんも、山﨑博昭さんとは大手前高校の同学年だった。『僕って何』には芥川賞を受賞したのとは別のテイストの習作もあったという。

本棚三田3_2[1]


🌙ふだんのインタビューの仕事ではフォトグラファーと現場を共にすることが多く、わたしは取材中、彼ら彼女らの居方が気になるタイプ。どこでカメラを構えはじめるのか。ライターと対象者が対話している間に、何を観ているのか。

出来上がった写真を見ると、撮り手の対象への関心の深度がわかりもするし、時間に余裕があるときには誌面に使われないだろう写真を自然な気配で撮っていたりするフォトグラファーがいる。そういうムダと思われる写真にこそ「個性」が宿っていくようにおもうし、そうした写真の一枚一枚を見ることで、自分の仕事の意味が把握できたりもする、ように考えています。

撮影者の加藤さんには、映画では使われなかったものを中心に20カットくらい抜き出してもらえないでしょうかとアバウトな注文をした。対して「後ろ姿」「静物」などのキーワードのくくりをつけ、短いコメントも添えて送っていただいた。noteにアップする前に確認してもらったところ、以下の文言がメールにありました。

加藤さん「ドキュメンタリーの製作途上で映画の萌芽を最初に眼にするのはカメラマンだと思っていますが、この記事には、私が撮影中に思い描いていたかもしれない映画の木霊が微かに響いているようです」

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。