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『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』interview(part1)鴻上尚史演出の劇パートに出演した若者たちに話してもらった

1972年、早稲田大学構内で第一文学部2年生だった学生が、集団暴力を受けて亡くなった。のちに「川口大三郎君事件」と呼ばれる。彼を拘束、死に至らしめたのは大学の自治会を掌握していた学生たちだった。
この事件を追ったドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』が5/25より、渋谷・ユーロスペースをはじめロードショー公開となる。
原案は、樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文春文庫・第53回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)。

映画の企画・編集も兼ねた代島治彦監督は『三里塚のイカロス』『きみが死んだあとで』など1960年代後半からの学生運動、三里塚闘争に関わった人たちのインタビュー映画を撮りつづけ、本作が当事者たちの証言を集めたシリーズ4作目にあたる。
川口さんを知る友人をはじめ、理不尽な暴力に抗議し、自治会改革に立ち上がった人たちに話を聞いていくドキュメンタリーということでは従来の作品と一貫している。
一点異色なのは、事件のあった日を再現する15分のドラマパートが挿入されていることだ。
演出を任されたのは劇作家の鴻上尚史さん。代島監督も鴻上さんも事件の数年後に早稲田大学に入学し、当時の闘争に関心を抱いてきたということでは共通している。
半世紀が過ぎ、川口さんの事件も、100人をこえる死者を出した「内ゲバ」も知らない人たちが増えつつある。
「革命」を目指しながら、彼らはなぜ殺しあうことになったのか。何があったのか。閉ざしていた当時を知るひとたちがいまなぜ口を開こうとしたのか。
映画を観るサブテキストとして、オーデションを受け出演した学生役の四人と、劇パートの脚本・演出を担当した鴻上さんをインタビューした(鴻上さんのパートは続編にて)。

話すひとたち/峰岸航生さん、琴和さん、黒川大聖さん、香川修平さん
聞き手(構成)🌖朝山実


©️「ゲバルトの杜」製作委員会
(以下、場面写真は同)


“メガネをかけると、おお!ポイなあといわれました”


インタビュアーのわたしは代島監督の前作『きみが死んだあとで』の本(晶文社刊)の執筆を依頼した関係もあり、完成版に至る以前から何度か今回の作品を観てきた。女性活動家役の琴和さんは出演者の中でただひとりの女性ということもあり出演場面は分かっていたが、男性の三人は役と結びつかず、着席してもらい時計まわりに順に自己紹介してもらった。

左から、峰岸航生さん、琴和さん、
黒川大聖さん、香川修平さん
(インタビュー撮影©️朝山実)

「角棒をもって殴っていた峰岸です。ナレーションも担当しています」
次の琴和さんが話しだそうとするのを、取材者のわたしが「あ、わかります。(出演している)女性はひとりだから」と止めてしまうと、インタビューを受けるのは初めてで緊張していますという四人(ひさびさに再会したらしい)に笑いが起き、なごやかなスタートとなった。

「バットを持つ黒川です」
黒川さんは映画の中では黒縁眼鏡をかけているのだけれど、この日は眼鏡ナシで印象がずいぶんちがった。
「衣装合わせで監督から、眼鏡をかけたほうがポイなあと言われて。じつはふだん眼鏡なんですが、きょうみたいな撮影とかのときにはコンタクトにしてダテ眼鏡をつけたりしています。髪は、撮影のときは長くしていて、(鴻上さんから)『おおっ、ポイねえ』と言われました」

教員を説得する劇中場面。
右が香川さん


最後の香川さんだけ、グループがちがっていた。
「川口くんが連れ去られるときに横にいた香川です」
くせ毛の髪型から、ああ、と役を思い出した。
香川さんは早稲田の学生時代に演劇をやっていて、一度4年で挫折したのだという。
「声はこういうふうに出さないと届かないんだよとか基本のことで(鴻上さんに)怒られていて、撮影中は演じることに必死でした」
卒業の年にオーデションを受け、いま29歳。
「大学には8年間いさせてもらいました。現在は、大学のそばの居酒屋でアルバイトしながら映画学校の脚本コースに通い、映画製作の現場を手伝ったりしています。できたら脚本の仕事をと思いつつ、役者をするのも楽しいかなあと」
もうすこしで30という年齢についてきくと、
「ちょっとアセリながら、でも具体的に何をしたらいいのかわからないんですよね
鴻上さんから言われたことで覚えているのは、
「ボクの役は事件を間近で見ていて、教員に助けを求めて掛け合ったりするんですが。鴻上さんから『日常の中に暴力がある。それを目の当たりにしたんだ』。きみは腹を殴られたりしながら、でも友達のために動こうとする。その間ずっと怖いと思っている。それを忘れないようにと」
たしかに映画の中では、助けなければと思いながらも腰がひけている若者に見えた。
「そうなんです。殴られて逃げていくシーンを撮っていたとき、こんなふうに集団で襲われると勝てないと思いました。ボクは高校のときにラグビーをやっていたので、身体がぶつかるくらいのことには自信はあったんですけど」

香川さん

殴られるとか、ひとを殴った体験はあります?
……小学生のときのケンカくらいですね。だから突然そういうものに遭遇して戸惑うというのは、実感に近かったです」
役は選べたんですか?
いえ、きみはコレと。どの役をしたいというのもなかったので、ああそうなんですねと。いただいたキャストの一覧表を見たら、友人役は3人。あとは革マル役だったんですね。なるほど、ボクは革マルに向いてないんだ
役者陣のなかでは年長者にして、とぼけた話しぶりに、聴いていた三人から明るい笑い声がした。

では、革マルの人たちの中で、ヘルメットを被ったのは?
「わたし、被りました」と琴和さん。

琴和さんが演じた活動家


琴和さんは、ヘルメットに意味があったと想像することはあったけれどもお芝居だと受け止め、ドキュメンタリー部分で学生だった当事者たちが語る「ヘルメット=武装」へのこだわりはなかったという。
角材で殴る役の峰岸さん、バットを手にした黒川さんにはヘルメットを被る場面はなかった。

インタビュアーのわたしは代島監督や鴻上さんよりすこし年齢が上。ヘルメットを被ったこともある。ドキュメンタリーパートの中の「ヘルメット論争(革マル派の暴力への自衛のためにヘルメットを被るかどうか)」に引きよせられながら映画を見ていた。
ドキュメンタリーの証言では、事件を機に自治会改革に立ち上がった当時の学生たちに、自衛とはいえヘルメットからさらに「武装」へと発展することへの不安やためらいがあったという。
一方、劇パートで革マル派の学生たちは、角材とバットを手に何度も何度も殴りつける。芝居とはいえ、現場でどのような心境だったのかを二人に訊ねてみた。

黒川さん「自分の中で、これは正義のためにしていることだからというのがあって抵抗はなかったんですけど、目の前には血だらけの望月(川口さん役)さんがいて、すごいことになっている。でも、カメラが回っている間は迷わない、麻痺してしまっている感覚のようなものはあったというか。これは正義なんだ、組織のためなんだ。役に入っていたといえば、そうなのかもしれないです」
黒川さんは演劇をされている?
「ぼくは、21歳くらいから俳優の仕事をやっていて。映像がメイン。今年で26になります。早稲田の学生ではないので、ぜんぜんわからない世界でしたね」

黒川さん

黒川さんだけは、出演の経緯がちがっていたらしい。
みなさん、二次、三次とオーデションで選ばれてきたんですけど、ぼくがやる役の方が急遽出られなくなり、撮影の3日前に出ることになったんですね。だから川口さんの事件のこともそのとき初めて知って。池上彰さんの講義の動画(役者陣に向けて、学生運動の時代背景を解説してもらう時間をとっていた)を見せてもらい、ホンを読み、セリフを覚え、すぐに撮影に入ったので一週間くらいが目まぐるしくて」

左が黒川さんが演じた活動家

“いまこの人の膝の皿を割ったら、地球は変わるぞって、本当に思っていたんでしょうか?”


黒川さんが演じた役は、革マル派の自治会メンバーの中のサブリーダー的なポジション。チラシにも場面写真が使われているが、当時の党派活動家の現実味を感じた。
ただ、その一方でわたしはドラマパートじたいに違和感を抱きもした。流血が過剰で、なまなましすぎないか。むしろリンチシーンを短くしてメイキングシーンを増やしたほうが、当時を知らない世代には伝わるものが多いのではないのか。
今回、学生を演じた彼らをインタビューしたいと考えたのは、だんとつにメイキングシーンが面白かったからでもある。たとえば池上彰さんを講師に招いた学生運動のレクチャーの一コマで、琴和さんがこのような質問をするのが新鮮だった。

実際、革マル派の人たちが世の中って単語をどれくらいの規模で感じ取っていたのかってわかりますか。たとえば、日本だけじゃなくて世界全体で革命を起こさなきゃいけないんだって北朝鮮に行った人たちもいるわけじゃないですか。でも、革マル派の人たちって、地道に人の膝の皿を割っていたわけじゃないですか。それって、私がいまこの人の膝の皿を割ったら、地球は変わるぞ、いつかはって本当にそうやって習っていたのか」

半世紀が過ぎ、時代が変わったからこその、じつに素朴で大事な問いかけだった。

琴和さん「あのときは、池上彰さんがあの時代にはこういうことをしていたんだと話されていて。でも、何になると思ったからそんなことをやっていたんだろうか。見ていたのはアジアなのか、地球なのか、早稲田大学なのか。何をゴールと考えていたのだろうか。
いまだに不思議なのは、この映画を試写で3回くらい見てきたんですが、ゴールがわからない。ほんとうに不思議でした。演技しているときも」

琴和さんが演じた役にはモデルとなるひとがいることを教えられ、原案の本とともに、鴻上さんが書いた『ヘルメットをかぶった君に会いたい』も読んだという。

「彼女なりに世の中をよくしたいというマジメな強い気持ちと、彼女が大学に入るまで感じていただろう生きづらさ、ストラグルみたいなものがあったんだろうなあとも想いました。世直しの、団体としての気持ちと、個人的な気持ち。矛盾するふたつを同時に持っていただろうなあと演じながら想像もし」
でも、と言葉をつなげた。
「完成した映画を観ると、自分が演じたのは虚無っぽく感じられたというか。やった結果がこんなにも悲惨で、何も生まなかったんだなあと実感がわいたというか。たぶんいまの若者は『内ゲバ』と聞いても何も実感がないと思うんです。
でも、演じたことによって、感じるものはありました。
撮影中、川口さんを演じた望月さんがどんどん真っ赤になっていくんですよね。さきほど見ていて生々しいとおっしゃいましたけど、頭からつま先まで真っ赤になって。『そりゃあ、死んじゃうよ』。そう思いながら、わたしは止めない。撮影中は演技だからそうしないといけないと思ってやっているんですけど、終わって、ああ、と不思議に思えるんです。
映画の撮影は初めての出来事だったので、必死だったというのはあるんですけど。3回観ると、残虐なことをしていたなあと」

琴和さん


演技中には、そういう実感は?
「……こんなひどいことを、と思いつつ、感覚を麻痺させていないとあの表情は……。
鴻上さんからは、自分たちの感覚でやってくださいと言われていたんですけど。当時の人たちもおそらく個人的な感情、感覚が麻痺していなかったら出来なかったと思うんですよね」

隣でじっと聞いていた峰岸さんに、現在の風貌からどの役を演じていたのかつかめなくてと訊ねると、琴和さんが「この写真の中の白っぽいセーターです」と示した。

角材、竹竿、バットを手にした
糾問リンチ場面

“まさか、こんなに怖い体験をするとは”


峰岸さん「何を思いながら演じたのか?  
ふたりは俳優として徹していましたけど、僕はもう、ダメだろうそんなことしちゃって。なので、鴻上さんからは誰よりもへっぴり腰だったと言われました。
黒川さんが殴る際にクッションを入れてあるんですが、僕のときにはなくて、ホンモノの角材で殴る。望月さんに当てちゃいけないと思うので、寸前のところで止めようとすると、ダメ! もう何回も撮り直しして。これはもう帰れないなあ、どうしようと」

琴和さん「(演じながら)当時にタイムスリップしていたんだ」
峰岸さん「そうですね。僕は高校演劇、大学演劇をやってきて。いま23歳です」
早稲田の劇研と演劇クラブに所属。取材の二日前が誕生日だったという。卒業し現在はフリーター。
「映画が初めてだったということもあるんですけど、まず恐ろしい。木を殴るものとして持ったのも初めてのことで。舞台美術で丸ノコで切るとかはしてきましたけど。
ひとを殴ったこと?   小さいころに空手をやっていたんですけど、それ以外で殴ったことはないです。寸止めではなくて。空手は顔以外ぜんぶ当てていました」

むしろ演技で殴るというのは難しかった?
「空手だとレギュレーションがあって。顔はダメとか。スポンジのようなものが入ったグローブをはめ、お互い了解の上のスポーツとしてする。どこまでやったら危険というのも知っていますし。だけど撮影のときは、『おまえはブクロだろ!』と角材で殴る場面は加減しないとケガをさせかねない(撮影では身体に当たっていない)。どうしても役に入りきれない。とくにセリフのない役なんですけど、現場で恐怖を感じていました」
完成した映画を観てどうでしたか?
「さっき、やりすぎだとおっしゃられていましたけど、まだちょっと甘いんじゃないかなあと感じられるほど、撮影現場のほうがみんなおかしくなっていたというか……。
なんでこんなことになったんだろか?
僕は大学時代、自分で劇団つくって、多くの人に観てもらおう、楽しんでもらおうということに進んでいくことが出来て。幸いにも誰かを傷つけるということはなかったと思うんです。だけど、彼らのように革命にまっしぐらになっていたら、どうなっていただろう。それを考えると、自分は幸福なルートを歩んできたと感じました」

峰岸さんはナレーションも
担当している

峰岸さんが映画のオーデションを受けた動機は、映画に出てみたかったのと、鴻上さんが大学の劇研の先輩でもあり、一度鴻上さんの脚本のものを演じてみたかったからだという。
「鴻上さんが早稲田大学に来られたときに、オーデションのチラシを劇研に持ってこられて。それを見て、本を読んでみたら、ええっ!?  こんなことがあったんだ。それでやってみたくなったんですけど、まさか、こんなに怖い体験をするとは。とにかく血糊がべっとり手につくんですよ」

琴和さんが読まれた本は、鴻上さんの『ヘルメットをかぶった君に会いたい』ですか?
「そうです」
ドラマの場面では琴和さんが演じた彼女の内面は掴みづらかったんですが、メイキングのところで、川口さんの友人役から監禁を解くように迫られたときに、「私たちは革命をやっているんだ!」と声を張りながらも気おされ一歩、二歩と後ずさる。と、鴻上さんから友人役に「そんなに押したらボコられるぞ」とダメだしが出て、琴和さんにも「下がっちゃいけない」なぜならと説明されるのが印象に残ったんですね。
「あのときは台本もその場で配られ、鴻上さんが書かれたその本のことはまだ知らなくて。ただ、原案となっている『彼は早稲田で死んだ』の中に当日のことが書かれていたので、台本を見ながら、あの人かと思いながらやっていたんですけど。
結果的に、彼女は殺人に加担することになる。でも、自分は正しいことをしているという強い思いとともに、弱い面もあったのではないのか。だからこそ下がらず踏ん張って強くなろうとしている。虚勢かもしれないけど、強さを見せたかったのかなあと想像しました」
川口さんが殴られつづけた末に、息をしていないと気づいたとたん、その場の全員が動揺し、ブレザーを着たリーダー格が必死で救命措置を行おうとする。あの場面を見ていて、違和感があったんですね。さっき峰岸さんが言われたように、もうこれ以上やったら殺してしまうと誰ひとり考えなかったのかと。
琴和さん「わたし自身は、あの場では一回手で殴るだけなんですけど。でも、たしかにどんどん彼が着ていたセーターが真っ赤に染まっていくんですよね。これは死んじゃうよ、と現実に還る瞬間があったんです。最終日の終わりの方で。その感覚は覚えています」
映画では、琴和さんが「えっ!」と驚くんですよね。それを見ながら考え込んでしまいました。現実のあの事件の当事者たちに果たして「殺意」はあったのか。誤って殺してしまったのか?
「わたしは、殺意はなかったと思うんです。最後の最後で、これは死んじゃうよ、とは思ったんですけど。そこに正義という感情がもっと加わっていたら、死んでしまうとは思わなかったのかもしれない、と思ったというか」

鴻上さんから、この場面でどうしてほしいという指導はそれぞれにあったのでしょうか?
黒川さん「ぼくがまず息をしていないことを最初に気づくんですけど。最初の芝居では驚くんです。二回目の前に、これは正義のためにやったことだと自己正当化してみてと言われました。使われたのも、二回目のカットだったと思うんですけど。
ぼくはリーダー的な立場ではあるんですが、さらに上の人がいて。スパイが何人いて、名前を聞き出すことで認められようとしている。組織の中の立ち位置を気にしていて。亡くなったということに驚きはするんだけれども、まだ正義のためにやっているという気持ちのほうが強い。だからあの場では相手を同じ人間として見ていなかった。見ていたら、やれなかったんじゃないのか……」

“抗議の声をあげたひとたちの中にも…”



琴和さん「現場で鴻上さんがおっしゃっていた言葉で記憶しているのが、『殴ったら死ぬなんて、夢にも思っていないんだ』。そういうことなんだろうなあと」
峰岸さん「言われたことを思い出しました。『彼らはすごいインテリで、小中高と暴力をふるうなんてことはなかった。だから加減がわからない』。その説明を聞いて、ああ、そうか。勉強だけ、本しか読んでこなかった人間が、と考えるとそうなのかなあと」

香川さん「ボクは、彼らがあの部屋の中でやっている場面は見ていないんですよね。スケジュール的にも撮影現場にはいなかったので。台本でスジはわかってはいたんですけど、映画を観たら、これはすごいことやってんなあ。
試写でみんなに再会したときにも、おまえが帰ったあのあと大変だったんだからと言われたんですよね。
集団がひとつになっているときの異様さというのは、ボクもラクビーをやったり、学生時代に演劇をやっていたので想像はつくというか。とくに二十歳前後の頃は本当に気持ちいいんですよね。しかもそれに暴力が加わるともう歯止めが効かない。テンションが上がりっぱなしで。角材を手にしたとたん非日常をたのしむみたいなところはあったんじゃないのか。映画を観ながら、そう思いました」

映画は事件後、革マルの暴力に反対して立ち上がった学生たちの動きを証言や資料などをもとに追っていく。暴力に反対していた彼らの中から、圧倒的な暴力に抗するには自衛手段として自分たちも武装する必要があるという意見が出てくる。社会や政治に無関心なノンポリ学生、セクトを嫌いノンセクトで行動していた人、革マル派ではない党派にいた人たちの混成だった。そして、自衛としてヘルメットを被る人たちが登場する。そうした流れを見ながら、四人のひとりがこう言ったのが印象的だった。
「やむなくとはいえ、当時の体験を語るその口調に、熱気のあった時代の渦中に自分もいたんだという、晴れがましさのようなものを感じたんですよね。もちろん革マルと彼ら(自治会改革に立ち上がった学生たち)がまったく同じだとは思わないんですけど」

50分の座談会的なインタビューで、訊けたのはここまで。演劇に関わってきたということもあるのか、四人ともに礼儀正しくマジメだなあと好感を抱いた。演じた事件の彼らもまたマジメさにおいては同じだったろうとも。
最後に一言ずつ、出演した映画を同世代の友人に話す際にどんなふうに伝えるのかを聞いてみた。

峰岸さん「何かを全力でやったときのバッドエンドが見られる映画だよ」

琴和さん「この世代(21歳、2000年代生まれ)が感じたくないと思ったことの結末が見られる映画だよ」

黒川さん「50年前の、SNSの炎上に似ているなあと」
すこし補足してもらった。
「SNSは、これは悪だと思えば集団リンチのようなことをしていて。実際にそれで命を絶つ人もいる。そのSNSの炎上と似たものを感じる」

香川さん「内ゲバとか学生運動と言われても想像がつかなかった。何かしようとしてもどうせ失敗に終わるんだからと思ってきたボクら世代にとって、失敗の内訳が知れる映画だから、ぜひ見てほしい」

part2 鴻上尚史さんインタビューにつづく↓

左・代島治彦監督と鴻上尚史さん


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