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車椅子インフルエンサーと映画館

まぁそもそも車椅子インフルエンサー(以下A子)ってなんやねんという質問はお断りします。自称されているので、そのまま採用しているだけです。
まず事件はA子さんが某所の映画館で起きた。

リクライニング席が良かったらしく、従業員のひとに持ち上げてもらいながら、着席して鑑賞し、帰るときにまた従業員が必要なわけだが、帰り際、再び車椅子を持ち上げてくれたスタッフに「すみません」とおわびとお礼を伝えたところ、スーツ姿の女性社員に「グランシアターは段差があって危なく、スタッフも時間があるわけではないので、今後はこのスクリーン以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですが……」といった旨を伝えられた。
「『これまで何度も鑑賞していたのに、どうして急にダメになったんだろう?』『グランシアターでしか上映していない映画は、今後見られないっていうこと?』と、悲しくて悔しくて。思わずトイレで泣きました」
と。
この内容をXで「久々に悔しい気持ちになりました」という題で投稿している。

これは大炎上して、誹謗中傷にも繋がっていて爆破予告まできたそうだ。
誹謗中傷や爆破予告に関しては、A子さんに被害届を出していただいて、粛々と犯人を罰してほしい。僕はA子さんの見方をするつもりはないが、誹謗中傷や爆破予告は論外だ。同情の余地もない。

これについてはA子さんの見方かそうじゃないか、見方だとすると妥当性が焦点になるのではないか?と思う。

今は病院はバリアフリーが原則になっており、車椅子で通れるデザインにするように言われている。おそらく大きい施設は全部そうなっているだろう。しかし、大きくない施設ではどうか?またすでに建てられていてスペース的に難しい場合はどうするのか?という問題がある。

A子さんは「困っていることがあるなら声を上げないと、何も変わらない。私は引き続き、車椅子でもこんな場所に行ける、こんなことができるっていう姿を発信して、“心のバリアフリー”を進めたいと思っています」としている。

みなさんはいかがだろうか?

A子さんの主張はもっともな部分もある。しかし、正義を振り翳し出している気がするのだ。正当だと思うことを主張するなら何をしてもいいのか?ということだ。スーパーで牛乳撒いているヴィーガンと変わらないのではないか?テロ行為をしているテロ団体と何が違うのか?ということだ。

さらにいうと、障害者総合支援法が2024年4月から改正されて、大きい会社などではバリアフリーの施設作りや就労のシステムは強制されていく。このひとがどうこう言うまでもなく社会が、日本が動いているのだ。

トラブルは双方の言い分が大事だ。片方だけ意見を聞くことはありえない。まぁ僕も電気事業者とやりあってその文章をあげていたが、あくまで相手の上司に一回今までの録音聞き直して、それからそちらの判断を聞かせてくれと僕の言い分ばかりを通さないようには工夫したつもりだ。それを踏まえて当初に僕に対応した従業員の対応はありえなかった、クビも視野に入れているとのことだったが、正義とはそれほど注意して使わないといけない言葉だ。

僕が気になっているのは、このA子さんは色々な場所でこういったことを発信している。何個もあるので例は一つにするが、新幹線を無理やり車椅子で乗っているのだ。ホームと新幹線には段差も隙間もあり、扉のレールもある。コケたらどうするつもりなのか?扉のレールが曲がったら扉が閉じなくなり、その新幹線は走れなくなる。これは在来線で実際あった事故でその列車は回送になり、乗客は全員降りることになった(犯人はA子さんではない)。それを動画に撮りYouTubeにあげている。要するに迷惑系YouTuberだ。撮っている人がいるのでお前が手伝えばそもそもそんなことにもならんとさえ思う。これらの過去の行いなどからもA子さんの活動はちょっといただけないと思っている。僕の嫌いなタイプのヴィーガンとかフェミニストみたいな感じだ。自分の正義のためには何をしてもいいという印象を受ける。

例えば、「久々に悔しい気持ちになりました」とかではなく、「これってもうちょっどうにかなりませんか?」とかいう提案みたいな感じだったら印象は変わったかもしれない。

と言うことで、A子さんは普段の行いとか見るとちょっと黒いなって感じです。言っていることやっていることはいいところもあると思います。ただ、やり方や普段の行いには疑問を抱かざるおえません。

個人が発信できていい部分と悪い部分があると思うのですが、これは悪い部分かなと僕は思う。

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