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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途… もっと読む
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「全国最中図鑑」75 金山石臼最中(新潟県佐渡市)

 佐渡金山は約400年の歴史を有する日本最大の金山である。1601年に3人の山師により開山され、2年後には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造なども行われて江戸幕府の財政を支え続けた。  平成元年、資源枯渇のため操業を休止し、長い歴史の幕を閉じた。  金の精製工程をざっくりと説明すると、発掘した金鉱石をまず選別し、細かく砕き、大きな石臼ですり潰し、それを水で流して金を選別し、溶かす。この時に使われていた大きな石臼を形どって作られたのが、文化5(1808)年創

「全国最中図鑑」74 狸最中(東京都北区)

東京の王子といえば、江戸時代から狐の町として知られている。東国三十三カ国稲荷総社の格式を持つ王子稲荷神社には、毎年大晦日になると、稲荷のお使いの狐が、近くの榎の木の下で装束を整えてから初詣をしたという言い伝えが残っている。人間国宝になった五代目柳家小さん師匠が十八番にしていた落語「王子の狐」も有名だ。 そんな狐の町・王子で、なぜか狸の最中を売り出したのが、創業100年以上の老舗和菓子店「狸家」。なんでも先々代の当主が最中を考案するにあたって「王子は狐で有名だが、狐はズルがしこ

「全国最中図鑑」73 関あじ・関さば最中(大分県大分市)

瀬戸内海と太平洋の水塊がぶつかりあう豊後水道の佐賀関で、一本釣りにより獲れるマアジ、マサバのことを「関あじ」「関さば」と呼ぶ。よく肥えているがきゅっとした身で、ぷりぷりとした食感ととろけるような味わいが身上。味も姿も別格で、高級魚として重宝されている。関あじは7月〜8月、関さばは12月〜3月が旬だ。 その、大分県が全国に誇る関あじ関さばを最中に仕立てたのが、佐賀関で明治39年に創業した老舗「高橋水月堂」。「佐賀関ブランドとして、関あじ関さばの名を広めたい」という地域を挙げての

「全国最中図鑑」72 二十二代 庄之助最中(東京都)

香川県出身の泉林八が二十二代 立行司「木村庄之助」を襲名したのは、昭和26年夏場所のことである。時はまさに大相撲黄金時代、栃錦と若乃花の両横綱が人気を二分し、毎日土俵は大盛り上がりだった。その人気絶頂の栃若戦を裁いた庄之助は、34年九州場所の千秋楽で引退。結びの一番も栃若戦だった。満69歳、21年間の立行司生活だった。 引退に際し庄之助は、記念に何か後世に残したいと考え、長男がやっていた須田町の菓子店で、行司の軍配団扇を形どった最中を「庄之助最中」という名で売り出すことを思い

「全国最中図鑑」71 出世葵(静岡県浜松市)

浜松の歴史に魅了され、ほとんどの商品に地元の歴史に関わる名前をつけているという「お菓子司あおい」。 浜松の歴史といえばやはり戦国時代。特に、徳川家康によって現在の浜松の原型が作られたことから、ここには家康にまつわる歴史エピソードが数多く残っている。家康はこの地に浜松城を建てて天下統一を成し遂げ、その後の徳川300年の礎を築いたことから、浜松城は別称「出世城」とも呼ばれる。 もなか「出世葵」は、その家康の出世にちなんだ縁起物のもなか。皮は石川県の厳選されたもち米を使用。あんは北

「全国最中図鑑」70 ひらつか囲碁最中(神奈川県平塚市)

「ひらつか囲碁最中」は、平塚の鷺月堂の酒まんじゅうが好物だった囲碁棋士・木谷實九段との縁から生まれたもなかで、「湘南ひらつか囲碁まつり」の実施に合わせて作られた。 木谷實は明治42年、神戸の生まれ。幼い時から碁や将棋に親しみ、囲碁棋士の道を歩んだ。15才で初段になり、若くして天才と呼ばれた。昭和12年に平塚に移り住み、自宅を囲碁道場にして多くの棋士を育成。木谷道場からは数多くの大棋士が輩出し、昭和後半のタイトルをほぼ独占するほどだった。 「湘南ひらつか囲碁まつり」は、平塚駅前

「全国最中図鑑」69 飛騨街道 旅がらす(岐阜県高山市)

飛騨高山の和菓子店「まるでん池田屋」の「飛騨街道 旅がらす」は、飛騨情緒あふれる個性的なもなかだ。 飛騨街道は、越中富山と飛騨高山を結ぶ街道で、江戸時代は富山でとれた「越中ぶり」を大量に運んだことから「ぶり街道」とも呼ばれた。もなかの形を表した「旅がらす」とは、定住の地を持たず旅から旅へと渡り歩いていた渡世人のことで、三度笠を深く被ってマントをまとった姿は、まんま、さすらいの旅がらす。への字の口がユーモラスで、見ていると思わず頬がゆるんでくる。旅人をイメージして作ったそうだが

「全国最中図鑑」68 梨最中 華乃長十郎(富山県富山市)

富山県を東西に二分する呉羽山。その西側の麓にある丘陵地帯には、富山の夏の味覚の代表格「くれは梨」の畑が一面に広がっている。 この地で梨作りが始まったのは明治末期。その後、数々の試作を重ね、くれは梨の礎となる「長十郎」が本格的に栽培されるようになった。現在は長十郎だけでなく、甘くてみずみずしい「幸水」と「豊水」が主に栽培されている。 くれは製菓の「梨最中 華乃長十郎」は、もぎたての新鮮なくれは梨「幸水」を一週間かけてじっくり蜜漬けにして白あんに練り込み、梨の形を模した皮にたっぷ

「全国最中図鑑」67 御酒最中(石川県白山市)

石川県の白山市美川地区には、昔から「御酒節」という民謡が伝えられている。北前船で栄えた江戸時代、船主の家では毎年2月に仕事始めの起舟という行事が行われ、商売繁盛と安全操業を祈って全船員を集めて酒宴が催された。「御酒節」はその席で必ず唄われたという。 御酒という言葉は、「この御酒は(何某)御祝の御酒じゃもの、参れ参らにゃ御酒が無になる・・・」という歌詞からきている。 「御酒最中」は、この「御酒節」にちなんだ菓子で、地元で昭和21年に創業した和菓子の老舗・フタマサ御酒堂が考案した

「全国最中図鑑」66 栗最中オグリキャップ(岐阜県羽島郡笠松町)

岐阜県の笠松町には、あのダービーの名馬オグリキャップを生んだ笠松競馬場がある。オグリキャップは1987年5月にここでデビューし、8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬場へ移籍し、重賞12勝を記録、その後も数々の記録を樹立。第一次競馬ブームを巻き起こしたハイセイコーに比肩する第二次競馬ブームの立役者として高い人気を得た。 その出身地笠松町に店を構える御菓子司小梅が地元応援菓として作り上げたのが「栗最中オグリキャップ」。飛騨高山産のもち米を使った

「全国最中図鑑」65 加賀鳶最中(石川県金沢市)

「加賀鳶」という言葉をご存じだろうか。享保3(1718)年、8代将軍吉宗が禄高一万石以上の藩に対し、江戸藩邸を守る大名火消しを設置するよう命じたのを受けて、加賀藩では江戸上屋敷の自衛消防隊を増強した。これが加賀鳶と言われる火消し集団である。 加賀鳶は勇猛果敢な活動と華麗な装備で評判になり、当時の浮世絵や歌舞伎の題材ともなり、いつの間にか大名火消しといえば加賀鳶のことを指すようになった。 その加賀鳶の派手な纏の紋様を最中に仕上げたのが、創業嘉永2年の老舗・諸江屋の「加賀鳶最中」

「全国最中図鑑」64 羽二重もなか(福井県福井市)

福井県の人に郷土の代表的な和菓子は? と尋ねると、ほとんどの人が「羽二重餅」と答える。羽二重餅とは、餅粉を蒸して砂糖と水飴を加えて練り上げた、牛皮によく似た菓子である。 福井藩では、江戸時代から高級織物「羽二重」の生産が盛んで、日本一の生産量を誇っていた。明治30年代に、この羽二重の色合い、風合いをそのまま和菓子に取り込んだ「羽二重餅」を考案し、売り出したのが、老舗の和菓子屋「松岡軒」。「羽二重もなか」はその松岡軒が、看板商品の羽二重餅と、甘さを控えたこしあんを詰めて作ったも

「全国最中図鑑」63 つる柿最中(富山県南砺市)

つる柿もなかは、南砺市福光の特産品・三社柿をあんに使った最中である。 三社柿というのは、一個300g前後もある大粒の渋柿で、赤みを帯びた美しいあめ色が特徴。南砺地方の原産種で、この地方に特徴的な粘土質の土壌でしか育たないという希少な品種だ。実がほど良くしまった絶妙な食感で、さらに、医王山から吹き下ろす医王おろしという西風が柿に独特の甘みを育むともいわれ、干すと抜群に甘みが増す。 森まつ菓子舗の「つる柿最中」は、砂糖漬けした三社柿の干し柿を刻んで白あんに混ぜて炊き上げた「つる柿

「全国最中図鑑」62 さざえ最中(千葉県南房総市)

南房総は美味しいサザエが獲れることで有名だ。房総沖は、北上する黒潮と南下する親潮が交じり合い、栄養豊かな海藻が豊富にある。それらをエサにして育った南房総のサザエは、身がふっくらしているだけでなく、肝までふっくらとして美味しいのが特徴と言われている。 そのサザエの貝殻をモチーフにした最中が、盛栄堂の「さざえ最中」。盛栄堂は南房総で100年以上、4代に渡って和菓子を作り続けてきた老舗で、「さざえ最中」は先代の3代目が考案したそうだ。サザエの形をした皮はコロンとしていてとても可愛く