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ターリー【2】 さまざまな材質のターリー

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



ターリーという料理を巡る旅に出る前に、食器としてのターリーについてもう少し深掘りしてみたい。インドの問屋街はたいてい旧市街にある。ステンレス食器が山積みになった、その古めかしい外観をみているといかにもインドでは古くからステンレス食器が使われてきたかのように錯覚するが、実はそもそもステンレス鋼材は約100年前に「発明」された新しい金属である。さらにそれがインドで食器として一般化されるようになったのは1970年代以降といわれる。ここ50年ぐらいの出来事なのだ。

ではステンレス食器が出回る以前、どんな素材によってターリーは作られていたのだろう。アルミ製だったというインド人もいるが、アルミニウムもインドに製造工場が設立されたのは1930年代。製品として一般化したのは独立後で、これまた比較的新しい素材である。そのさらに前は真ちゅう製、青銅製、また一部の富裕層は銅製や銀製のターリーを使っていた。これらの金属はすぐに黒ずんだり、酸味のある食材に弱いなど使い勝手が悪かった。とある業界関係者によると、インドでステンレスのターリーが最初に広まったのは、タマリンドなど酸味食材を多用する南インド文化圏においてだという。

アッサム州では青銅製の食器が日常使いされている



真ちゅう製にしろ青銅製にしろ、今でも高価な金属である。とても昔のインドで全ての家庭に行き渡っていたとは思えない。ではどんな材質の皿が使われていたかを調べようとしても、王族や貴族らと違ってなかなか昔の庶民層の日常生活を詳しく記述した文献は見当たらない。そんな中、一つのヒントになったのはあるケララの農村部出身という知人の話である。彼の幼少期、自宅には金属製のターリーなどなかったという。では何で出来たターリーを使っていたのかというと「素焼きの皿を使っていた」と彼はいうのだ。

「すぐに割れるんじゃないかって? もちろん落っことしたら割れるけど、日常的に使うぶんにはそんなにもろいものじゃなかったよ。素焼きの鍋なんかは毎日使えば使うほど強度は上がる。火にかけていると(土の)密度が濃くなるからだろうね。素焼きの皿もそれに近いんじゃない?」

地方では素焼きの調理器具が今も活躍している



土製のターリーなど、食べているうちに表面の土が溶解して料理の中に入ったりしないかと不安になるが、インドの場合大地母神信仰があるせいか土そのものをありがたがる傾向もある。「土の香り」などという表現はインドの至るところで耳にするし、最近都市部で流行している「タンドリー・チャイ」なる珍妙な飲み物は、タンドール内で熱した素焼きの器にチャイを注ぎ、土の味を存分にまとわせて客に飲ませる。いわば土の味を隠し味にしている商品だ。

このほか、南インドでは有名なバナナの葉などの葉皿も古くから存在していたが、それはあくまで儀礼時や来客時といった特別に場でのみ使用され、日常的に葉が使われていたわけではないという。またバナナだけでなく、インドでは実にさまざまな植物の葉が皿として利用されている。

食器に限らず、街中で民具や民芸品を見かけて興味を持ったら、その製造現場を訪ねる旅もまた面白い。何気なく店の棚に置かれている商品が、どんな場所でどんな人々によって作られているのか。そこには普段表に出てくることのない、人知れぬ奥の世界がある。私は仕事上の必然性というより単なる好奇心から、ターリーがどのように作られているかを見に行くことが多い。

北インドでターリーが製造されている街として有名なのがウッタル プラデーシュ州ムラダバードである。首都デリーから列車に揺られて約5時間。小さな駅を降りて旧市街を奥へ奥へと歩いて行くと、どこからともなく「トンテンカーン、トンテンカーン」という音が聞こえてくる。銅や真鍮などの板を叩いて伸ばしているのだ。金属そのものをムラダバードという街で産出しているわけではないのだが、ムガル帝国時代から金属加工業の街として知られ、旧市街には小さな工房が無数に軒を連ねている。

ムラダバードの金属加工工場



面白いのは、あたかも街全体が一つの工場のように分業している点だ。ある地区に行くと倉庫のような店舗で皿の原料となるさまざまな金属板や金属片を販売する業者、ある地区に行くと金属片を炉で溶かし、型に入れてプレス整形するダラーイーと呼ばれる業者、ある地区に行くと木槌でその金属板を叩いて延ばすタテーラーと呼ばれる業者など、各地区で作業が分担されている。職人たちの間にも微妙な宗教的すみ分けがあって、タテーラーはヒンドゥー教徒でも参入しているが、ダラーイーはほとんどがムスリムである。作っているのはもちろん食器ばかりでなく、ありとあらゆる金属工芸品。だからたとえムスリムの職人であっても、ヒンドゥー教の神像を額に汗して作っていたりする光景がみえる。昨今の右傾化する政治家たちにあおられた宗教対立とは無縁の、本来の融和的なインドの姿がそこにはある。

ヒンドゥー教用の法具類を作るムスリム職人



こんな風に、インドで食器が誰の手でどのように製造されているのかを目の当たりにするのは興味がつきないのだが、やはり食器だけ見ているとどうしてもそこにのる料理を想像して腹が減ってくる。いよいよ一皿料理としてのターリーを巡る旅に出る番である。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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