見出し画像

「今、旅の話なんて読んでくれる人がいるわけない」と病んでました(笑)

牧村朝子さんの最新刊『ことばの向こうに旅をして』発売にあたり、ご本人にお話をおうかがいしました。「旅」と「ことば」をテーマにした理由は? 「わかりたい」とはどういうことなのか……? 牧村さんが新刊に込めた強い思いが垣間見えます。


Q. 新刊『ことばの向こうに旅をして』は、牧村さんがnoteで公開していた2本の原稿が元となっています。どうして、「わかりたい」というタイトルで、ことばと旅をテーマに文章を書いていたのですか?

それは、争いをやめたいからです。

私は、昔の人がどんなことを考えていたのかを知るのが好きで、よく古い本を読んだりするんですけど、ある本(※)の中で、明治時代、国際通信のための電信線が海底に引かれた時に「これで戦争がなくなります」というような表現をしているのを見つけて。まあ、そのあと2回も世界大戦をやっちゃうんですけど、「コミュニケーションが良好になれば争いがなくなる」って当時の人も考えたんだなあと思ったんですね。だから私も、争いをやめるために、他者とのコミュニケーションについて考えたのがきっかけです。

今は、電信線をはるかに超える能力の「インターネット」というものがあるのに、やっぱり争いが絶えない。しかも海外どころか、国内で同じ言語でケンカしたり。そんなことについてずっと考えていて、たどりついたのが「わかりたい」という5文字だったんです。

自分が海外に行ったときも、相手の言葉や文化、考えてることがわからなくて警戒したり拒否しちゃうことがあるし、インターネット上では相手に対して攻撃的になったりすることもある。だからこそ、「わかりたい」という気持ちを大事にしたいなと思ったんです。

※流動出版『復録版 明治大雑誌』p88に引用/不二出版『復刻版 七一雑報』第一巻に紙面収録


Q. 「はじめに」を読むと、旅とことばはずっと牧村さんの中で重要なテーマだったとわかりますが、これまでの読者にとっては新鮮かもしれないですね。

私は、『百合のリアル』という本でデビューしたんですが、あれはジェンダーセクシャリティの中高生向け入門書という位置付けなんです。だからそれ以降、LGBT当事者としてLGBTについて書いてください、という要望が多くて、ずっとそうやってきたんですが、それだけをやっていると、大きな神話の中に読者を閉じ込めちゃう――たとえば、人口のうち何%がLGBTで、その人たちはマイノリティだから差別をしてはいけませんよ、という文章で済まされてしまう感じがしたんです。“違う世界のお話”として語られてしまう感じというか。そしてそのせいで出来てしまう壁が悲しかったんですね。だから、LGBT当事者とかじゃない、全く違う視点で語りたい、考えたいなというのはずっと自分の中にあったんです。


Q. ことば――特に英語など他の言語についての複雑な思いが垣間見える気がしました。

ことばの難しさって、インターネットを使っていると、プロの書き手に限らず、誰もが感じることだと思うんです。みんなに「いいね」をもらいたい、評価してもらいたいって、そういう、人にウケるための表現ばかり考えていると、何かを隠しちゃったり、思ってもいないことを言っちゃったり、そういうことってありますよね。ことばって、そういう危険な側面があると思うので、私は、基本的にことばを信用していないのかもしれないです。ことばは人をつなぐものでもあるけど、壁をつくってしまうこともある。

でも、ことばがあるから人間の文化があるわけで……だから、信じてないけど、興味ある。結婚したくないけどそばにいたい、アブない恋人みたいな感じですかね。

いろんな言語に関心があり、ずっと勉強を続けている


Q. 書籍化の話が来た時はどう思いましたか?

よっしゃー! さすが私の才能! と思いました(笑)

書きたいことはたくさんあったんですけど、はじめから書籍化を狙っていたので、渾身の2本(「ベッド アンド バッドガールズ」と「ヘルシンキに来るつもりはなかった」)だけを公開して、あとはあえて公開せずに「誰か、どっかの編集さんが見つけてくれないかなー」と思って放置して。完全に戦略でした。


Q. まんまと戦略に乗っちゃいました。今回の執筆で、苦労されたことはありますか?

旅の話を書いている途中で悩んだのは、今、旅の本なんて求められているのかなと。コロナが蔓延する今の世の中で、「わたくしがおパリにおりました時分には……」みたいなお高くとまった話は、きっと誰も読みたくないだろうと。

そもそも、海外に出られるっていうこと自体、お金と時間があって、恵まれた環境にいて……という条件が揃ってないといけない。さらに身体も強くないといけない、コロナの危険もある……という時に、その条件をクリアして海外に行けてる特権的な人の話なんて、果たして読みたいのかなーと。そう考えたら、なんか書けなくなってしまって。

でもそんな時、編集担当の方が、出版社に届く読者ハガキを見せてくれて。「旅の本を読んで救われました、楽しめました、いつか旅に行きたいです」っていう読者の人の手書きの文字を見て、ハッとしたんです。

人は、誰でも自分でどこか遠くには行けない時期っていうのがありますよね。いろんなハードルで外に行けない人に対して、行けた時の話をする=旅行記を読ませるっていうのは、残酷だし見下しにつながるんじゃないかと思い込んでいたんですけど、読者ハガキに、コロナで旅に出られない時だからこそ外のことを知りたい、知れてうれしかったと書いてあるのを見て、書く意味があるんだ、と励まされているような気がして。確かに、自分が子供の頃――まだ自分の意思で外に出られなかった頃は、一生懸命旅行記を読んでいたなと思って。


Q. ご自身も本で旅をしていたんですね。

はい。旅行記だけじゃないな、児童書『トガリ山のぼうけん』『コロボックル物語』、あとはゲームで『ファイナルファンタジー』、『ドラゴンクエスト』、それからいろんな文明が総力戦で戦う『エイジ オブ エンパイア』っていうゲームがあるんですけど、それも夢中でやってましたね。それぞれの言語や文明が出てきて、めっちゃ熱いんです。

思えばそれらは全部、私が部屋の中でやってたことです。出られないからこそ逆に、旅についてのものをつくる意味がある、ということもあるんだと気がつきましたね。


Q. これまでの牧村さんの著作は、お悩み相談とか、LGBTがテーマという印象が強く、そういうものを求めている読者の方が多いと思うんですが、今回はどんな方に読んでもらいたいですか?

それは変わってないんですよね、きっと。

想定読者層は、語学好き、旅行好き、海外移住者、外国語ボランティア……って企画書にも書いたんですけど、それは会議向けという感じで。

実際は誰に向けているかというと、「生まれたくなかった」と思ってる人に向けて書いてるんです。ほとんどの人が、そう思うことってあると思うんです。基本的には人って、自分の意思とは無関係にこの世に放り出されるわけですよね。そして物心がついて、いろんな悩みや困難がどんどん押し寄せてくる。

そこで、考えちゃう人――例えば学校で、国語って何だろう。国って何だろう。標準語と方言が区別されているのは何でだろう……。

ことばがあることでいろんなことを考え込んじゃってる人に向けて、答えは提供できないけど、隣で一緒に悩みたいな、というのがいつもあります。

フランス北西部Pointe du Grouinへ続く道。書籍にはフランスでのエピソードも


Q. では、本のみどころ、読みどころを教えてください。

「ことば」と「旅」がテーマなんですが、世界レズビアンバー紀行と言ってもいいようなエピソードがたくさん入っているのは強く言いたいです。

じゃあなぜ本自体、あるいは章タイトルを「世界レズビアンバー紀行」にしなかったかというと二つの理由があります。

まず、「レズビアン」というのはギリシャ語の「レスボス島」を語源としたアメリカ目線の言い方なんです。アメリカは、(国民はいろんな宗教がありますけど、)大統領が聖書に手を置いて宣誓するキリスト教の国ですよね。だから、神様が人間をこのように創りたもうたのだ、という考えなんです。レズビアンに生まれる人がいる、ゲイに生まれる人がいる、LGBTっていうのは人口の何%いて……と区別する。

レズビアンは、それぞれの国でローカルの文化を築いてきたんだけど、やっぱり、「レズビアン」という言葉そのものが、レズビアンとそうじゃない人がいる、という形で壁をつくってしまうんですね。でも、実際はそんなにキレイに分かれてなんかいないんです。もっと複雑なんです。それなのに、レズビアンと呼ばれている人が経営していて、レズビアンが集まるバーになってはいるけど、レズビアンバーとは名乗っていない店を、「レズビアンバー紀行」として本に載せると、それは私が勝手にカテゴライズしたことになってしまう。

もう一つの理由は、レズビアンバーって、ガンガンつぶれるんです。本に載っているバンコクのエピソードも、行ってみたらレズビアンバーがつぶれてたからじゃあマッサージでも行こうか、というところから始まる話なんですよね。

紹介してもつぶれちゃうし、店の応援にならなかったりするし。だから、のんきに「世界レズビアンバー紀行」ってするのは、ふたつの理由で違うな、と思ったんです。

でもやっぱり、そういうことを考えながら旅すると、たとえばロンドンが「同性愛を理由に居場所を追われた人たちの待ち合わせ場所」として見えてくる。「今は無いがそこに有ったもの」を話してくれる人もいる。「世界レズビアンバー紀行」にはしないことにしましたが、「レズビアンとカテゴライズされる牧村朝子を通して世界を見てみる旅の本」にはできたのではと思っています。


Q. 装丁やデザインで気に入ってるところがあったら教えてください。

帯の写真は、編集担当さんに選んでもらったんですが、実はすごく意味がある写真で。

She isというメディアで『パピチャ 未来へのランウェイ』という映画をPRするときに撮った写真なんです。カリフォルニアで撮ったんですが、アルジェリアの女性たちが、抑圧された中でも自由に女性の服を作っていこうと闘う物語なので、アルジェリア女性に縁のあるクリエイターと一緒に仕事がしたいと思って。頑張って探したところ、“白人男性じゃない人たちが、アメリカのクリエイター業界で舐められずにやっていくための活動”をしている写真家のタラ・ピクスリーさんと、ペルシャ語をデザインした服や雑貨を作っているデザイナーのバーマン・ベネットさんに出会ったんです。ペルシャ語はアルジェリア公用語のアラビア語とは別ですが、「愛」(عشق)ということばは共通です。そして結果的に、イランの人と、ジャマイカン・アメリカンの人と、アルジェリアの人と、日本の私、という組み合わせで撮影された写真なんです。すでにこの写真がインターナショナルな背景をもっているので、この写真が選ばれてびっくりしたし、すごくうれしいです。しかも布にプリントされたこの文字、「愛」(عشق)という単語がいっぱい書いてあるんですよ!

だから、ことばにしなくてもこの写真が選ばれたり、まさの「ことばの向こう」で何かがはたらいた、という感覚がありました。


Q. 未来の読者に向けてメッセージをお願いします。

この本を作っているときにずっと思っていたんですが、例えば病床にいる人でも、スマホを使って遠くにいる人といくらでも話ができるし遠くの景色を見られるようになりましたよね。動かなくても旅に出られる世の中にやっとなったな、と思うんです。

この本も、何かの理由で動けなくても、遠くに思いをはせるきっかけになれば、うれしいですし、その先にはきっと、あなたにしかできないことが広がっていると思います。

インタビュー中にお話があった「ベッド アンド バッドガールズ」と「ヘルシンキに来るつもりはなかった」は牧村さんのnoteでお読みいただけます


2022年1月19日(水)発売、牧村朝子さんの最新刊『ことばの向こうに旅をして』のご購入はお近くの書店、もしくはこちらから↓


牧村 朝子
1987年神奈川生まれ。タレント、文筆家。 2010年、ミス日本ファイナリスト選出を機に芸能界デビュー。モデル、テレビ出演等のタレント活動を経て、2012年に渡仏し取材、執筆活動を開始。2013年に星海社より、ジェンダー・セクシュアリティの入門書『百合のリアル』を刊行。2018年には時報出版より台湾版が刊行される。著書は他に『ハッピーエンドに殺されない』(青弓社/2018)など。現在は日本を拠点に執筆、講演、メディア出演など幅広く活動中。猫好き。