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231【ホシガラスに聞いてみた】

1969年7月21日にアポロ11号の宇宙飛行士ニールアームストロングとバズオルドリンが月面着理宇をして50年以上経つのに、私たちが夢に見た世界は、大して変わっていないように思うのは、なぜだろう。
しわがれた声で鳴きながら、穏やかな環境では、質の良い材木が育たないように、経済的な豊かさは、心を見失わせてしまっていると言う。
風が強ければ強いほど材木は強くなる。しかし、1970年代以降、それが欠如している。アメリカを中心に、何か優れた成果を上げた人がいたら、間髪入れずに、「なぜ彼は彼女はそのような結果を出せたのか」を躍起になって考えようとしてきた。
いまの成功者とは、人の成功例を真似ているに過ぎない。世界を動かしているような人は、得てして他人の優れているところを盗むことに長けている。他人に出来ることは、あなたにも出来るのだから。失敗と成功の分かれ目は、何が自分の身にふりかかったかではなく、起きてしまったことをどう考え、どう対処するかにある。
準備とチャンスとが出会うと、幸運と子どもが生まれる。(アンソニーロビンズ)なにもかもがこんなにも虚しいと感じるのは、それらがもはや、人生の本当の流れに沿うものではないからだ。多くの人は、自分より大きいものに属したい、仲間にとってかけがえのない人間でありたい、個人としての価値を認めてもらいたいという、人間ならだれもが抱いているはずの願望に満たされていない。
社会的な尊敬を得ていない若者をどうして責めることができようか。こどもたちの成長にとって一番肝心なところだ。人間生活の主流に身を投じてはじめて満足が得られる。そうすれば、人生はいつか必ず私たちに報いてくれる。

自分本位な求め方をしたのではなにも得られない。そうでなければ、平和と幸福は義務を果たすことによって、いつの間にか傍らに寄り添ってくるものだ。義務とは、嫌なことでも、退屈なことでも、無益なことでもない。義務を果たせば、満足が得られ、喜びに胸弾み、心に活気が生まれる。なにより、魂の平安が得られる。

というようなパール・パックの小説を20歳のときに号泣しながら読んで、教員になろうと志したのを思い出す。20年、結局、私は何も成しえていないようだけれど、それゆえにこの20年を大切に、再び過ちを繰り返してはならないことを、繰返し伝えなくてはならないだろう。

なにもかもがこんなに虚しいのは。。。2023年には民間人が宇宙へ行くという。日本ではzozoで有名になった前澤友作さんが。映像や画像による情報は感情に訴える力は強いが、問題の背景や文脈や本質を考える思考力を育てる力は弱い。自分で深く考えるのを阻害さえする。映像メディアの負の側面は、子どもや若者の心の発達に重大な影響を与えている。幼いころから映像メディアに浸っている子は、自分の気持ちを言語化する力や感情の細やかな文化や相手の気持ちを汲み取る力の発達が遅れる傾向にある。リモートによる視覚・聴覚による情報は、本当に出会っているような錯覚を脳に起こさせる。今後、感覚や感情で物事を判断しようとする人は増えてくるだろうし、親が子育てに関心を持たず、子育てをテレビやネットまかせにする選択は増えてくるだろう。絵本の読み聞かせをしたり、読書推進の取組を自治体が行ったり、そうしたことを国の未来にかかわる国家的な重要政策課題として位置付けるべきだ。

こうしたことも、20年前からずっと言われていることなのに。肝心の政治家たちが本質を考える思考力が弱いもんだから。たとえ、宇宙へ飛び出したとしても、何も変わらないよと、ホシガラスは言った。

泊原発が安全審査のため停止してから7年。再稼働の見通しすら立っていない。北海道胆振東部地震の大停電のときですら、再稼働させることなく、よく考えてきたと思う。札幌市は地震による液状化に加え、泊原発で何かあれば、放射線の影響が少なからずあるだろう。福島のことは、決して他人事ではない。それなのに、寿都町で、核の最終処分場をとか、大間原発についても、函館は具体的に論破できずにいる。試される大地に住む私たちの選択が、歪んでしまっている。月面着陸から51年、戦後から75年、未来に何を遺していくのか、そろそろ本気になって考えるときじゃないのかな。と、平地にいるはずのないホシガラスは言い残し、飛び去って行きました。

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