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大学生活とても頑張ったんだな

コロナ禍で始まった大学生活
悔しい思いをたくさんした1年生

少しずつ規制は減っても楽しみだった実験はオンライン
ものを作れる良さも満足いくほどできなかった2年生

3年生にはもう「面白さ」「楽しさ」を味わえる実習や実験は無く学問的になってしまって

そういった意味では悔しい思いはたくさんしてきた。私たちの代みんなそう思っているよね。悔しかったよね。独り残されたようなオンラインの日々は辛かったよね。

そして私は、悩み苦しんで 学部4年+院2年=計6年あると思っていた大学生活は半年を残して「今年で大学生終わりますよ」と自分に告げた。大学でやりたいことのやり残しはたくさんある。

いやなんなら、1年生の時から崩されまくっていたので、当初描いていた大学生活は半分も味わえなかったと思う。ほんとうに悔しい。

でも、1年生のときからずっと毎日が充実していて、辛くて苦しくて大変で、辞めちゃいたいこともあったけど、他ではできないことをたくさんして、見て、聞いて、学んで、活かす。たくさんの良い人に恵まれた楽しい4年間だった。

それを頭が浮かんだままに、ぐわーーーーっと振り返りたいです。「こんな大学生活もあるんだな」「ふーん」ってちょっと面白そうって思っていただけると嬉しいです。


◇◆◇


浪人していた私は、現役の時よりもずっと期待を胸に大学生になりました。辛い勉強漬けの生活が終わったら、自由な大学生だー!と春休みから遊び呆けていました。それが、入学式の中止、そして4月は授業の無い日々。浪人期と変わらないような日々にそれだけでもう鬱気味でした。

大学生になる前にたくさんの目標を立てました。

英語を話せるようになりたい
TOEICで高得点取りたい
宇宙工学を携わりたい
ものづくりがしたい
海外旅行に行きたい
歴史を学びたい…

それなのに、そもそも大学生活が始まらない。ようやく始まったのはGW明けでした。それまでの期間、やるせない気持ちの行き場がなくて結局勉強にぶつけていました。世界史の学び直し、読書、TOEICの勉強をしていました。でも、じっとしてられないのが私です。ずっとサークルを迷っていました。宇宙工学系のサークルを、宇宙ロケットと宇宙エレベーターと入らないの3つのどれにするか。私が今いる大学を選んだのは、受験で合格したからもありますが、学祭のとき「超お話上手で楽しそうな人がこんな大学にもいるんだ」と希望がもてたから。その人がそのときは宇宙ロケット部にいたので、そこに決めました。

世界遺産検定の勉強(?)
趣味で歴史など検定より深い勉強をしていました


宇宙ロケット部には授業が始まる前、5月の頭くらいに入部しました。オンラインに先生も学生も追いつけていない中、ロケット部ではPC上で設計できるツールを使って初めて図面を描きました。キーボードを一本指で「えーっと…」と探しているような人がそんないきなり設計なんて…と思っていました。先輩にもすごく良くしていただいて、初歩の初歩から教えていただいてなんとか描いた図面、完成した時は正直「やっとできた…」と疲れていたけど、達成感もありました。そして「面白い」って思った。そんなサークル生活のはじまりでした。

そこからSNS運用を任せてもらって、図面の次はシミュレーションをやってみて、さらにコロナ禍なのに協賛企業さんにインターンみたいな見学・体験させていただいて。授業は面白くないし実習も無くてつまらなかったので、サークルにハマっていきました。教授には本当に感謝ですね。

SNS運用から派生した私の広報活動は、動画作成、HP作り、来客の対応、新歓と多方面で広がり、その面白さに気づき、自分の能力もどんどん上がっていくのを感じました。

忘れられないのは新歓での発表です。
新入生の学科オリエンテーションで時間を頂いて、サークルの紹介をしました。200人の前で、かつ教授がすぐ横にいる状態で10分のプレゼンをしました。パワポが上手に使えるようになったのはたぶんこの時から。
伝えたいことはなにか、話しやすい順序立て、聞きやすくするにはどうするか、気を引くためにどう話すか、資料の見え方も考えてたくさんの工夫を取り入れました。
教授は寡黙であまり褒めるような方では無いので私のプレゼンをどう感じたのか分かりませんが、なんとなく驚いたのでは無いかなと思います。いつものサークルでいる時と、プレゼンで演じたような私はかなりかけ離れてるいるから。それから良いプレゼンができたような気がしています。(その後先生から相談が増えたので)

また、3年間のサークル活動で、2回ロケットの打ち上げを行って、うち1回は完全に運営側にまわって全体をみて、人員の補充や手の届かない部分のケアを徹底していました。普段のサークル活動はもちろんものづくりをしたくて入っているので、たくさん作りました。たぶん、全分野関わりました。浅くなので知らない部分もたくさんあります。でも全体のことはそれぞれの部分から、面白いところや大変なこと、そしてその私のエピソードまで、全部お話できます。これはサークルでの私の強みでした。どのものづくりもとっても魅力的なのよ…

中でも電気系の小さな作業が好きで、研究はそれに近いテーマにしました。新規研究のお許しを頂けたのは、3年間分の信頼と私の成績のおかげでしょう。中途半端になってしまいましたが、新規の第一人者として研究させて頂けたことには感謝です。

いや、とっても苦しかった。理解不能から始まった研究は意味わからなさすぎた。でも、わかる楽しさがその分とっても大きい。憧れていた分野で、3年間のロケットのかけ算された研究は面白いで溢れてた。なんだかんだ、好きだったな。客員教授さんというとても素敵な方ともここで出会えて、私はなんて運がいいんでしょう。おかげでなんとかここまできました。無事卒論書けました。そういえば、大学の機械工学科サイトにインタビュー記事を載せて頂きました。先生にも認められ、期待されて、そんな研究ができた私は本当に幸せ者です。自分で決めたけれど続けられないことがとても悔しい。

制御のテスト勉強


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アルバイトもなんと幸運なことに「こんな楽しくお金をもらっていいのか」というテンションでやっていました。

居酒屋さんのおかげでお酒大好きになって、接客が楽しくて、サークルで身につけたプレゼン力もここで磨いていたような気がします。すっかりお酒は私の人生に無くてはならないものになってしまいました。

塾講師はきっと天職です。教えることが上手いと定評があったので困難も無く、生徒さんからの学びが多く、楽しく伸び伸び働いてたくさんの刺激も受けました。そしてお陰様で高校までの知識も忘れることなく大学を卒業できそうです。とっても嬉しい!知識って使わないとすぐ忘れるので私得だし生徒さんにとっても得であったと願いたいです。「居なくならないで〜来年から私どうしたらいいの〜」と行く度に言われ続けています。3ヶ月前から。みんな頑張ってくれ!

お気に入り日本酒


そして、コロナ禍明けから少しずつ遊びに行きました。
振り返ると4年生なのに遊びすぎじゃない?ってくらい遊びました。やっとやりたかった事ができた1年だった気がします。憧れの厳島神社は忘れもしない。本当に素敵だった。広島は瀬戸内海の綺麗さに感動。こんなにも綺麗な海あるんだって、キラキラする海面に心奪われました。あれからもう7ヶ月が経ちました。写真や動画を見返すといろんな感情や景色を思い出して涙が出てきそうです。広島はとても魅力溢れる素敵な地で、いろんな想いを持っていった旅だったから、一生忘れられない、大切にしたい旅ができた私は幸せ者です。

神社、お寺、お城。
そんなところにもよく行きました。破風が素敵でずっと眺めていられます。破風集を作りたいと思ってます。(笑) これからの旅をもっと豊かにするために勉強したいな〜と思っていましたが、残念ながら大学生のうちにはできなかったのでこれからの私に託します。


他にも、中高いろいろあって吹奏楽やサックスから離れていましたが、節々で「やっぱり好きだ」と感じる場面があって一度だけ、サックスばかりのオーケストラに参加ました。これは横浜にいたからできたことです。サックスに囲まれた幸せな時間でした。サックス好きだー!!

いろんな方面の好きなこと、振り返ってみるとたくさんやっていたみたいです。良かった。そりゃ「大学生活満足です!!!!」っていろんなことろで言ってるもん。それだけやっていたんだな。


◇◆◇


実は(?)自分のやりたいことやいる分野(機械工)と好きなこととの差の大きさに常に悩まされていました。作業するには「ズボン・動きやすい・汚れてもいい」服を選択しなければならない。でも対して私は「ひらひらのスカート・必要のない盛った化粧(これはやってた)・キラキラのアクセサリー」が好きだった。これが制限される環境が分かってはいたけれど、このモチベーション維持が大変でした。そして服が多い。平日と休日の服装の差がとんでもなく大きい。それがもしかしたらいい息抜きだったのかもしれないけれど、服が多いのが本当に悩みでした。自分の感覚のちぐはぐが悩みでした。

あとは周りとの合わなさ。
これは小中高とずっとだけれど、趣味・興味・思考が合わないことはずっと悩みでした。同世代の女の子が1番苦手。いろんな過去もあったから苦手意識があるし、ドラマとかゲームその世代の好きな物とか私が全く興味無い。私の好きな読書、旅、美味しいお酒、カメラ、コスメ、香水…そういったことすら合わず、会話が会話にならない感じがあることが私の日常でした。(この感じ伝われ…)
そういえば、 “一生の友” みたいな人ができたらいいなって思い描いていました。それくらいの同性のお友達は残念ながら出会うことができませんでした。

でも、素敵な彼に出会うことができました。彼をサークルに連れてきてくれた、私と同じ副部長には感謝です。この間も彼のことでちょっぴりお世話になりました。私の人生・過去の捉え方・価値観…そういったことが一掃されて、すごく変わった。これは私が変わったのではなくて、「私の世界が広がった」ことによるものです。私は今まで、友達が少なかったように他人に期待せず、自分で努力して、実力つけてやってきた。だからこその自信はたくさんあります。でも、世界の広さを知って、「実は世界は、思っているよりもあたたかいのかもしれない」と感じるようになりました。素敵な人にも出会うことができました。もっと世の中に期待してもいいのかもしれないと思えるようになりました。まあ、頼るつもりはそんなに無いですが、なにかあったら助けを求めてみようと思えるくらいにはなりました。


◇◆◇


いろんな経験をして
たくさんの思い出をもって
そんな大学生活を送れて
私はなんて幸せなんだろうと思います。

ギュッと濃い4年間、もう無いんだと思うととても切ない。ほんとに楽しかったー!!!これが終わってしまうのが本当さみしい。もっともっと、やりたいことはたくさんあった。

でも “できなかった” ことは、“これから”の私の人生を彩ってくれると信じて、未来の私に託します。全部やって悔いなしになってしまったら、人生楽しくないもんね。

いろんな気持ちが溢れてきてまとめられないので、無理やりまとめます。楽しい大学生になれた私、よく頑張った。でも大学は本当に周りに恵まれたと思います。特にサークルで出会ったみんな、ありがとう。大学生、楽しすぎて充実していて一瞬でした。


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