見出し画像

ショートストーリー「散り際の薔薇、傾き。」の真実について。


「散り際の薔薇、傾き。」というショートストーリーを執筆しました。
執筆と言っても、短いので、執筆時間は実質1時間程度でしたが、長い物語が伴うので、こちらを記事として投稿します。


タイトルについて

「散り際の薔薇、傾き。」のタイトルの発想は、「Moran」というバンド(2015年9月解散)の「暁に燃ゆ」という作品から来ています。
この「暁に燃ゆ」の作詞をされた方が、何かもやもやを抱えていた時に「バンドをやって苦しむ自分、人間」を想って書いた、と以前仰っています。主人公は、反社会的な人。「暁に燃ゆ」の物語は、その主人公が放火をするところから始まります。その主人公にとってすでに「終わっている」ものだから火をつけます。ゼロから始めるために、火を放つのです。そして自らが犯した罪を背負い、そして新しい始まり、希望でその曲は終焉します。
その歌詞の中に、「傾き 散り際の茜」という表現が存在します。枯れてしまいそうな花をもう一度咲かせることは無理だ、という意味合いだそうです。
そこから、この物語のタイトルは生まれました。タイトルは後付けになりますので、とにかくあたしの尊敬している表現者の方々の本や詩集などを読み漁り、辿り着いたのがこの「散り際の薔薇、傾き。」というタイトルでした。あまり歌詞の内容には関係ないように一見思えますが、相対的にこの物語とリンクします。

「俺」について

「俺」はかつて人間でした。星月リアさんの「僕の薔薇が咲く日まで」をお読みいただけるとわかります。「俺」は胸に薔薇が棲みつくと言う奇病を患い、結果的に1本の枯れ枝と、深紅の花びらとなります。

「彼」について

「僕の薔薇が咲く日まで」においての「僕」であり、この「彼」は、その枯れ枝を庭に植え、また満開の薔薇の花を咲かせるのを待つのです。「彼」は満開の薔薇を咲かせる「俺」、「僕の薔薇が咲く日まで」にて待ち望んだ、満開の薔薇を毎年咲かせるようになった、「俺」に見守られて、1人病死します。それは、「彼」の望みでした。冬なので薔薇の花は咲きません。ですが、それでもその「薔薇」に見守られて死んでいくことを「彼」は選びます。

「君」について

「君」からは「散り際の薔薇、傾き。」から存在するキャラクターになります。「君」は「彼」の生まれ変わりの幻想と捉えていただくのがわかりやすいかと思います。

「俺」「彼」「君」の関係性について

「俺」は「彼」、「彼」は「俺」を愛していました。ですが、別れ、再会し、再び別れます。1度目の別れは「俺」が枯れ枝になってしまった時、2度目は「彼」が人間としての命の終わりを迎える時です。そして薔薇として「彼」を見守り続けた「俺」は、どうしても「彼」との別れを受け入れられず、「彼」を生まれ変わらせることにします。そこで誕生するのが「君」です。「君」は「俺」の生み出した幻想なので、恐るべき速さで成長していきます。

「小鳥ちゃん」について

「小鳥ちゃん」は「君」が6歳の時に初恋をする女の子です。「小鳥ちゃん」も「散り際の薔薇、傾き。」からのキャラクターになります。「俺」は愛する「彼」の生まれ変わりである「君」を産み出しますが、「君」は「俺」に構わず成長します。「俺」は「君」に愛してもらうことができないと、「君」が「小鳥ちゃん」と結婚すると言った時に、理解します。「俺」は「小鳥ちゃん」に蜜を吸われたことがあった為、嫉妬を覚えます。(嫉妬は「小鳥ちゃん」に向けて。「俺」は「小鳥ちゃん」が好きではありません。)自らを与えたことが少なくともあったからです。

「俺」の自己犠牲について

ただ、「君」と、その「君」を幸せにするはずの「小鳥ちゃん」に、自己犠牲を伴いながら「蜜」を注ぎ続けます。しかし、成長した「君」は「俺」の愛情には気が付きません。そして、俗物的な「肉」を食したいと、「俺」に言い放ちます。「俺」が「血肉」になれる方法はただひとつ、自分を栄養にして作られた「血肉」になることです。「俺」は、自分を食して、彼に「肉」を与えてくれる存在を探しますが、結果的に「俺」を食したのは「小鳥ちゃん」です。「小鳥ちゃん」という「君」をめぐるライバルに、「俺」は捕食されます。そしてその「血肉」を自分の物にするため、「小鳥ちゃん」を蝕み、殺します。そしてそこで初めて「肉」となって、「君」にそれを差し出しますが、「君」は「小鳥ちゃん」が殺されてしまったことに、怒りを覚え、復讐を誓います。寄主である「小鳥ちゃん」は死んでいるので、そこに寄生した「俺」も命を落としますが、残った「種」から、また春に芽吹き、再生します。「小鳥ちゃん」は幻想ですが人間なので、「俺」の茨に千切られて死んだ以上、命は再生しません。
「君」は「俺」が「小鳥ちゃん」を殺したことに気が付きます。そして、何故殺したのかと、問うのです。「俺」にとっては、「君」が「肉」を食べたいと言ったからという、とても純粋な想いです。「君」は「俺」よりも「小鳥ちゃん」の再生を望むので、「俺」はもう「君」の前で薔薇を咲かせることはできなくなります。

最後の「俺」の想い

「俺」が愛しているのは、幻想の「君」ではなく、「彼」なのです。
そして、このイラストの「赤ちゃんを抱っこしている人」=「俺」は女性だそうです。
なのに、どうしてこのイラストを拝見した時に、この物語が生まれたか。
それは、「俺」が「彼」を愛しているからに他なりません。「彼」の生まれ変わりである「君」を大切に抱きしめる、それは「彼」への愛なのです。「彼」への希望を「君」に重ねて、今度こそ「彼」と共にと願います。その「君」である赤ちゃんを抱き締めた時、「俺」の想いは一度叶うのですが、「君」は成長と共に、「俺」を軽視し始めます。そして、「小鳥ちゃん」に恋をし、それを冷たく「俺」に告げるのですが、「俺」の「彼」への想いは、そんなことでは折れないのです。ただ自らを犠牲にして、「君(彼)」の為に愛を注ぎ続けます。「俺」は「俺」の幸せを手に入れます。「君(彼)」を愛し、抱き締めた事実と、「君I(彼)」の為に自分を犠牲にしたことが、既に「俺」の幸せなのです。ですが、執筆したあたしの考えでは、「俺」は報われない、悲しい「命」の終わり方をします。

何のために「散り際の薔薇、傾き」を書いたか

「彼」に「俺」を気づいて欲しかったからです。「小鳥ちゃん」には、何の想いも実はありません。「小鳥」という名前は、桃生小鳥というある有名漫画家の作品のキャラクターから来ています。それと「肉」というものから「鳥」を連想しやすかったことです。この名前に込めた真実は、神のみぞ知るところです。

最後に

「散り際の薔薇、傾き」の舞台は、星月リアさんの「僕の薔薇が咲く日まで」の半世紀後を舞台としますが、込めている想いは、同じところ、違うところ、あると思います。続けて読むと新たな世界が生まれますが、あくまで別の物語としておきたいと思います。新たなキャラクター「君」と「小鳥ちゃん」については、星月リアさんが作品を書かれた時、存在しなかったもので、あたし、櫻ハナの願いの産み出したキャラクターと言ってもいいと思います。

全てのキャラクターに、モデルが存在します。「彼」と「君」は同一人物のようで、「別の人物」かもしれません。

「歌詞と相対的にリンクする」というのは、この物語は終わりであり、希望がないからです。いつか何か希望が産まれれば、また何か物語が産まれるかもしれません。



「散り際の薔薇、傾き。」の真実を語って/櫻ハナ



星月リアさんの「僕の薔薇が咲く日まで」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?