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キャンドルは40本も立てられない!!

誕生日

そんなものが嬉しく楽しいのは成人前に終わっていた気がする。
そもそも誕生日なんて産まれた日というだけで、生きている上では通過点に過ぎない。ただ区切りではあると思う。
そんな私は本日4月11日が生を受けた日だ。誕生日である。
年齢なんて、隠す方が当然だった。歳なんて取りたくないと思っていた。

しかし、今日を迎えて、歳を重ねるのはもしかしたらとても素晴らしく面白いことなのかも・・・と思ったりもするようになってきたと思う。
「あと〇年若ければ良かった・・・。」
それは現在一切思わなくなってきた。

運と感覚

こんなことはあり得ないのだが、「あと〇年若ければ」という発想は歳を重ねるほどしがちだと思う。私も思ったことはある。
でも、よく考えると。
そんなことがあったら、今出会えてる人、今好きなミュージシャン、役者、そして音楽や演劇や映画、その人に出会えていなかったり、とても感動したライブ、舞台なんて観られていなかったかもしれない。
それでももし産まれたのが数年早ければ、あの舞台観られたのに!あのライブ行けたのに!と思うこともあるのだけど、よく考えると今の感動や想いがなかったかもしれない方が私には恐ろしいなと思うのだ。

恐らくこれは「運」なんだと思う。いい方に捉えると、今この瞬間なんて全て「運」のめぐり合わせな気がする。そして「感覚」でライブや舞台などに行って、どこかで人に出会って、それが自分にとっての力になるものだったりして、それで今があるのだと思ったら、あの日に産まれて良かったと思う。

これまで

私はそんなに自分が異常な人生を生きてきたという理解がなかったのだが、「フィクション」と勘違いされるような、全く現実味のないものらしい。
今考えれば、良く耐えたな、良くその環境にいたなと思うし、過去など忘れてしまいたいことも多い。特に家族関係のことは色々と辛かったし、今も親族からのいわれのない攻撃が続いている状況だ。
家族や親族にあまり恵まれなかったとは思うけれど、これまでに出会った沢山の人の中で、数えるほどしかいなくても大事な人はいる。
運命のような出会いをした友人や、辛い環境の中で共に過ごした戦友みたいな人や、見返りもなく大切にしてくれる人、老若男女の縛りなく私にはいるのだ。今私はそれで充分。全ての人に好かれようなんて業でしかないし不可能なのである。

基本ネガティブな考え方しかできなかった。
自分から何処かに馴染もうなんてできなかった。
どこに属しても結局プカプカ浮いてしまうし、
誰にどう思われているか、誰かに自分のことを悪く言われているのではないか、そんなことばかり気にしていた。

一人で居るのが好きで、一人の時間を作る努力すらする。
一番好きなのは、家で一人で音楽を聴いたり、映画を観たりすること。
旅に行くにも一人旅が好きで、ライブの遠征ですら一人で行ってしまう。
「一人では行けない」という感覚が全く理解できないほどだ。

だが、
一匹狼で生きてきたけれど、寂しがりで、些細なことで落ち込んで泣く。
わかってよ、わかってよ、といつも心が叫んでいる。

今とこれから

生きてきた中で、たくさんの「なにか」を色々な人や作品などからもらってきたと思う。
「物」より「見えないなにか」を大事にしたいのはずっと変わらないのだけど、何かをもらえることはそんなに簡単ではない。
金銭での売買とは違う。
運、感覚、縁、出会い、別れ、そんないつあるかもどこにあるかもわからないものに頼っているのだから。

だからこれからは今あるものを大事にして生きていきたい。
「生きていく」なんてそんな大層なことは言えないのだけれど・・・
目標を小刻みに刻んで、ジタバタしながら少しずつ生きている時間を延ばして、延ばして、「生きた」時間になる。
いつ終わるかわからない人生だ、自分から終えるとか馬鹿馬鹿しい。
今、ここにあるものを失くさない、大事にしていきたいのだ。

思考

自分の性格なんてそんなに変わってたまるものか、とは思っているのだけれど・・・。でも少し自分の変化は感じている。
ネガティブなのは変わらないけれど、それで落ち込んだ時に「前向きに考えようよ」と自分の中の「なにか」が語りかけてくる。
人と交流したいなんて思ったことはなかったけれど、話してみたら楽しかったなんてこともあるんだと、だったら人に話しかけてみるのもいいかなと思う。話しかけてどう思われるかなんて考えるから口を噤んでしまうのだから。
今はネット社会が発達し、何処かで誰かが誰かのことを貶めたり、悪く言うことなんて当たり前になってきたように思う。ネット上が一番人からの攻撃を受けやすいと、インターネットがなかった時代を生きたことがある私は何となくそう思う。時々、理由もわからない間接攻撃を受けるし、何を怒っているのかもわからないことばかり。直接は言わないけど、一応ネットで言っておけば気が済むくらいのたいしたことではないのだと、だからどんな爆撃でも、無傷で済むくらいの心を持てるようになってきたと思う。心に壁など作るのは嫌だけど、自衛の為なら作るというだけの話なのだ。それを悩んでいたけれど、当然くらいに今は思ってる。
私に攻撃したいならしたいだけしていいのだけれど、ただの爆薬と言う名のエネルギーの無駄遣いですり減っているのは多分私じゃない。
そんな余裕を持って生きたいのだ。

一匹狼

性格が男っぽいと言われることがある。私は身体と精神の性が一致している女性なのは間違いないのだけれど。「男っぽい」理由はわからない。
だけど、確実に一匹狼だと思う。
誕生日くらい一人にしてよ!が当然だ。
もちろんお祝いの言葉はとても嬉しいし、それに対して一人で考えて返すのも楽しいけれど、誕生日は記念日、とても大事な日なら、一人で好きな音楽や好きな映画や好きな人のことでも考えながら、一人の空間にいたい。
大事な日を一人で贅沢に過ごす。
特にケーキもない、豪華なディナーもないけれど、それでいい。
それでも祝ってくれる人は祝ってくれるのだから。祝いたくないのに祝わなくていい、それで充分、身の丈にあった幸せだと思う。幸せと決めるのは罪じゃない。不幸と思うのも罪じゃない。不幸にしか見えない過去も今はそれでいいし、今自分が幸せかは自分で決める。

不惑

そんな、40歳を迎えた今日、
30代のうちに死ぬんだ!と心に決めていた私が、40歳を迎えた今日、
「不惑」とは「迷うこと、惑うことがなくなる」と理解している人もいるのだろうけれど・・・。

その意味は、「道理も良く知り、枠にとらわれない自由な発想で物事を考えること」と言うことらしい。

今も迷い過ぎ惑い過ぎ、人生で一番迷って惑っている気がするけれど、確かに「自由な発想で物事を考える」ようになった、と思ったりもするかもしれない。


今日はきっといい日だ。
2022.4.11 一人だけれど、独りではない自宅にて。     櫻ハナ

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