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線上のキンクロハジロ 第二十六話
トークショー終了後、高槻沙梨は列をなした一人一人にサインをし、にこやかに握手をしている。登美彦が出入り口横に出資相談用ブースを作ると、高槻のサイン本を抱えた客たちが次々に押し寄せてきた。登美彦の隣には、春斗がちょこんと腰掛けている。
「坊や、頑張りなさいよ。小説家ってのは人生経験が豊富じゃなきゃならん。いっぱい勉強して、いっぱい遊びなさい。そうすりゃいつかはデビューできる」
年配の客たちは
線上のキンクロハジロ 第二十五話
ゴールデンウィークの最終日、高槻沙梨はトークショー開始一時間前に編集者の篠原を伴ってやってきた。
篠原と林田社長は既に顔見知りであるらしく、数年来の友人かのように親しげに挨拶を交わしている。林田は篠原に妃沙子と響谷を紹介したが、妃沙子はごく事務的に名刺交換を終えると、高槻沙梨にべったりとくっ付いて談笑しだした。
登美彦も形ばかりは名刺交換させてもらったが、トークショー会場であるリバーサイ
線上のキンクロハジロ 第二十四話
高槻沙梨のトークショーおよびスタジオ・ハバタキの出資説明会は、ゴールデンウィーク最終日の日曜日、午後七時半に開催されることが決定した。
募集人数は先着三十名、参加費は林田が算盤を弾いた通りに二千円となり、トークと出資説明の持ち時間はそれぞれ一時間ずつとなった。
四月初めに文藝心中社のオフィシャルページとハバタキのオフィシャルページの両方でトークショーの開催が告知されると、一週間と経たずに
線上のキンクロハジロ 第二十三話
翌日、スタジオに姿を現した響谷の人差し指には、柔らかいモール糸で編んだハジローが乗っかっていた。かぎ針一本で作った編みぐるみの指人形だそうで、響谷が人差し指を曲げると、ハジローがぺこりとお辞儀をした。
響谷を中心にアニメーターたちの輪ができている。スタジオ中でわいわいと騒いでいたのがうるさくて気になったのか、ひたすら原画を描き、絵コンテを描き進めていた妃沙子がふらりと近寄ってきた。
「なに
線上のキンクロハジロ 第二十二話
昼過ぎに出社してきた響谷は、鳥かごと大きな網を持ってきていた。
これでランニングシャツでも着ていれば、炎天下にクワガタやカブトムシでも取りにいけそうな装備である。響谷の奇行には慣れっこなのか、妃沙子は耳にヘッドフォンを付けたまま完全に無関係の立場を貫いており、淡々と作画作業に勤しんでいる。
妃沙子はある程度の枚数の原画を描き終えると、小休止のたびに高槻沙梨と藤岡春斗が合作した脚本を擦り切
線上のキンクロハジロ 第二十一話
三月もそろそろ終わりに近付いた火曜日、登美彦は小鳥パンが開店するのを店の外で待っていた。オーナーの大河内がいつか口にしていたように、開店時間は朝八時から十時に変わっていたが、開店前から行列するのは変わっていない。
小鳥パンのこじんまりした出入り口に続く漆喰の壁には「キンクロ旅団、団員募集中。公共電波に乗ってハバタくためにご支援よろしくお願いいたします」と書かれたポスターが貼られている。
線上のキンクロハジロ 第二十話
暗黒期から目覚めた響谷は、惰眠を貪っていた充電期間のツケを清算するかのごとく猛烈な勢いで働き、三日三晩不眠不休でハバタキの自社サイトを完成させた。
特に誰から頼まれたわけではなく、響谷が自主的に制作したものであるが、その完成度はプロのウェブデザイナーも舌を巻くほどの出来だった。
「これは凄いですね。こだわり方が半端じゃないです」
「ふふん、そうだろう? ぼくはやるときはやる男なのさ」
線上のキンクロハジロ 第十九話
藤岡少年がさらりと書き殴ったプロットは、ハバタキに劇的な変化をもたらした。
大塚妃沙子は「監督になる!」と言いだし、響谷は「艦長になる!」と言い始めたのだ。さっぱり意味が分からないので深くは追及しないでいたが、両者の目的は違えど、どうやらハバタキの両輪が目指す方向だけは同じのようだった。
三月半ばに登美彦は家賃三万円の一人暮らしの部屋を引き払い、妃沙子と同棲するようになったが、妃沙子はク
線上のキンクロハジロ 第十八話
「なんとなくこんな感じかな、と」
藤岡少年がわずか数時間のうちに練り上げたプロットは、こちらの想像を遥かに超えた出来であった。主人公はキンクロハジロ、ハバタキのスタッフがサブキャラとして登場し、さらにどこかで戦艦が登場し、なおかつ戦場カメラマンが登場する話がいい、とリクエストしてはいたが、まさかこんな話になるとは思ってもみなかった。
「いくつか部品があれば作れると思います」と言う藤岡少年には
線上のキンクロハジロ 第十七話
登美彦はハバタキのスタジオ内を案内すべく、藤岡少年をカフェから連れ出した。寝袋から這い出てきた響谷が春斗を見かけるなり、やけにフランクにべらべらと話しかけた。
「なに? 君、中学生? えっ、なに? 高校生なの。ふーん、童顔だねえ。えっ、見学?アニメーター志望なの? えっ、話を考える方? そうか、じゃあ脚本志望なの? 大体そんな感じ? ふーん、じゃあせっかくだからいろいろ教えてあげるよ。あ、ぼく
線上のキンクロハジロ 第十六話
翌日の午後、春めかしいクリーム色のダウンジャケットを着た高槻沙梨がハバタキを訪ねてきた。本の表紙に写った清楚な印象そのままだったが、スタジオ前で妃沙子に会うなり、どちらともなく飛びつき、きゃあきゃあ言いながら熱い抱擁を交わしている。
「あそこらへん、ATフィールドですね」
高槻沙梨の傍らに齢の離れた弟のような少年が連れ添っているが、スタジオとカフェ前の往来で親密そうに話している女性二人を冷
線上のキンクロハジロ 第十五話
妃沙子が用意してくれた朝食は、食パンにスライスチーズを乗せてカリカリに焼き、その上に半熟の目玉焼きを乗せたものだった。食パンにかぶりつくと、とろけたチーズが糸を引くように伸び、割れた目玉焼きから勢いよく黄身が流れ出る。
「美味しいです」
口をもぐもぐさせながら登美彦が言うと、妃沙子は目を細めて笑った。
「沙梨ちゃん、電話出るかな。会ったのはもう四年近く前だしな」
妃沙子はスマートフォ
線上のキンクロハジロ 第十四話
ベッドの上で妃沙子の柔らかな肌を抱いたまま狭い洞窟の中で果てた後、しばらく草原でまどろんでいるような陶然とした気分を味わっていた。
ついうとうとしていたら、そのまま眠ってしまったらしい。目を開けると窓の外はとっくに明るくなっており、登美彦の右腕に頭を乗せた妃沙子が小さく丸まって眠っていた。
ずっと正座しっぱなしであったかのように右腕が痺れ、感覚を失っている。
登美彦は左手でアッシュブ
線上のキンクロハジロ 第十三話
その日は夜まで休憩もせず、日付が変わるまでひたすらに絵を描いた。
バレンタインデー以来となる妃沙子の部屋で、夜食に冷凍エビピラフをご馳走になった。
ぷりぷりとしたエビの食感はとても冷凍食品とは思えないような美味しさであったが、そういえばキンクロハジロもエビを食べるんだったよなと思うと、なんとなく餌付けされているような気にもなった。食費が浮いて助かる、という思いと、このままズルズルと依存し
線上のキンクロハジロ 第十二話
登美彦は自販機でホットの缶コーヒーを二本買い、八重洲の商工中金横の大型駐車場に停めてあった社用車に乗り込んだ。
運転席でなにやら電話をかけていた林田に釣り銭とコーヒーを渡す。
通話を終えた林田はコーヒーを受け取ると、プルタブを開けた。
「おっ、サンキュー」
一服してから運転するつもりなのか、林田はエンジンをかけようとはしない。
金気臭いコーヒーをたいして美味くもなさそうに飲んで