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2020年のアメリカにおけるBlack Lives Matterが私にもたらした変化(2)

「現代のリンチ殺人」と故人の弟も言った、そのフロイド氏が亡くなった5月25日は、国民の祝日であるメモリアルデーだった。その日はまだのんびりした気分で、家族で過ごしていたのを思い出す。次の日からメディアが以後2週間、コロナウイルスよりも大きく取り上げることになる事件が起こったことも知らずに。

抗議運動が始まったのは自然な流れだったと思う。今までも、人種差別を動機とした殺人があるたびに、必ずなにかの形でブラック・コミュニティーは反応してきた。ただ今回のこの大きさと広がり方。フロイド氏本人がきっと空から一番驚いているのではないだろうか?これはコロナ禍でアメリカ及び全世界のスピードが落ちていたこの2020年だからこそだろう。スマートフォンがなかった時代、動画が残されていないたくさんの殺人と暴力は、知られることなく消えていった。しかし、今回は全世界が見てしまったのだ。白昼堂々、道端で行われたリンチ殺人を。

夜道を徒歩で家に帰るトゥレイボン・マーティンという17歳の黒人少年が、白人男性に殺害された事件の後、Black Lives Matterは始まった。2013年。この運動が始まった後に警官の手によって殺害された黒人達の名前をひとつひとつ読んでみてほしい。

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この名前リストのアートワークは、NPRという非営利のラジオ曲(リベラル)のウェブサイトに掲載されたもの。これは警官による被害者のみに限定しているので、他の人種差別を動機とした、白人による黒人を殺害した事件は含まれていない。それも含めるとリストはもっと長くなる。例えば、今回のプロテストの引き金のひとつとなったアーマッド・エイブリー氏殺害は、今年2月に私の住む州で起こったが、このリストには含まれていない(しかし、エイブリー氏を殺害した主犯のマクマイケルは元警官である)。

被害者のほとんどは黒人男性である。黒人男性であることは、ある年齢からは特別な意味を持ってしまう。それは、10歳になる頃から徐々に疑いを伴う偏見の目で見られ始めるということだ。店に行くと万引きの疑い、白人女性と2人になる状況では暴行を加えるのではないかという疑い、ポケットに手を入れているだけでなにか武器を持っているのではないかという疑い、フードを被っているだけでなにか悪事を働くつもりなのではと疑われる。だいたい10歳からだという。

この具体的な年齢を知ったのは、ニューヨークタイムズに寄稿された黒人女性ジャーナリストの記事からである。彼女は今3歳の息子さんがいて、彼はどこに行ってもものすごくちやほやされているという。こんなに可愛いとされるこどもが、何歳から偏見の目で見られるようになるのだろうかということを、男の子を持つ周りのお母さん達に聞いたそう。するとたいていの人々が10歳あたりからだった、と証言していたということ。もちろん女の子や女性でもこういった目で見られるが(アメリカが誇る黒人女性セレブリティー、オペラ・ウインフリーは、数年前に有名ブランド店から万引きの疑いで追い出された)、男性はほぼ100%に近い確率で偏見を持たれてしまう。

私には2歳半になる息子がいる。私は日本人だが、アフリカ系アメリカ人の夫とのミックスである息子は黒人だ。こどもができる前は夫が黒人であることで、いろいろな状況を経験してきたが(後述)、それでもまだどこか自分の身に起こることという認識はなかったのだ。上の娘が5歳で、彼女が産まれた時から、私の世界は180度変わってしまった。

私は自分のこどもに、いずれ教えなければならないことがある。非黒人家庭では教えなくてもよいことを、身を守る術として教えなければいけない。

「歩いているだけで殺されることがある」私はこれを息子と娘に言えるのだろうか?

アーマッド・エイブリ、ブリアナ・テイラー、そしてジョージ・フロイド、この3つの殺人事件、そして2週間以上続くこのプロテストとそれにまつわるメディア報道と、知人友人を含む様々な人々とのやり取りは、私にとって大きい爪痕を残している。我が子をどうやって守っていくか、今までもなんとなくいつかは考えようと思っていた問いを、もっと早く、と目の前に突きつけられた感じだ。そして、多くの眠れない夜とたくさんの議論の結果、私はある結論にたどり着く。でもそれを書くまでまだまだ書きたいことがいろいろあります。(続く)



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