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2020年のアメリカにおけるBlack Lives Matterが私にもたらした変化(4)

アメリカ社会においてシステム化された人種差別は、50年前の公民権運動後も全く変化していない部分が多くあるわけだが、警官の暴力はその最たる例で、最も許され難いものである。これは私にとって、ただ読んだり聞いたりした話ではなく、黒人の夫を持つ者として、個人的にいくつかの経験がある。その中でも、私自身が初めて警官を信じられなくなった時のことは、多分一生忘れられないことの一つだろう。

それは2008年で、まだ友人であった今の夫と一緒にいた時だった。その日、大学でクラスメイトだった私達は学内のリサイタルホールに、同じジャズ科の友人の卒業演奏会を聴きに行った。小雨の降る秋の夜で、リサイタル終了後、会場の近くに車を停めてあった私は、少し離れた音楽学部近くにある駐車場まで彼を送っていった。

私達の母校はアトランタのダウンタウンのまさに街中にある、規模の大きな大学だ。リサイタルホールから音楽学部がある建物までは徒歩では15分強、車では数分の場所だが、なんとその数分の間に私達はとんでもない事故にあったのだ。夜8時を過ぎていたと思う。ほとんど車が通っていない交差点で、信号無視の車に右側から突っ込まれ(アメリカ車では助手席側)、私のダッジ・ネオンは強くスピンした。突然の出来事でスローモーションのように周りの景色が動いていったのを今も覚えている。

スピンが止まり、相手の車も近くで止まった。奇跡的に誰も怪我一つしなかったが、強いショックだったことは確かだ。もしも相手の車が数秒早く突っ込んでいたら、助手席に乗っていた今の夫はおそらく大怪我をしていただろう。

事故の直後、誰が呼んだのか、近くを通りかかったのか、その記憶は定かではないが、そこにはいつの間に大学専属の警官が来ていた。

大学専属の警察とは、学内に個別にある警察で、基本は学校の土地内での安全を守るパトロール的な存在だが、その土地の中あるいは外側の決まった範囲の中で、違反切符を切ったり容疑者を逮捕することもできる。また、大学警察は市警とパートナーシップを組んで動いているという。私の通っていたような大きい州立大学となると、大学警察もしっかりとしたシステムで、ほとんど市警や州警察と変わらない働きをしているそうだ。

(参考サイト:

https://www.lawenforcementtoday.com/campus-police-vs-city-police/)

ここで、話を事故より少し前に戻したいと思う。アトランタ市内のダウンタウン近くのエリアに引っ越してきてから、3年間の間、私は車の盗難に3度あった。貧乏留学生だった私の格安中古車ダッジ・ネオンは、ハンドルの鍵穴をさしてエンジンをかける部分が壊されていた。盗まれて車が見つかったとき、数万円の保釈金(?)を払って取り戻したため、本当にお金があまりなかったので、鍵穴は修理できず、毎日スクリュードライバーを差し込んで回してエンジンをかけるという、信じられないやり方で車に乗っていた。

この状態になっているハンドル部分を、なんとこの大学専属の警官は目ざとく見つけた。そして。この事故において被害者である私達を、盗難の罪で疑い始めたのだ。信じられない展開になってしまった。

果たして、疑われたのは誰だろうか。それは、この車の持ち主である日本人の私ではなかった。そのとき友人だった黒人の夫に、強い疑いの目は向けられた。私は何度も自分の車であるという所有証明の書類をダッシュボードから出して手渡そうとした。それを見ることもなく、話を聞こうとすることもなく、この警官は完全にアウトな行動に出る。今だったら、2020年6月だったら、大問題になっていたのだろうか?わからない。

警官は、夫の両手を後ろで合わせて、抑え込んでいた。どのくらいの力だったかは私にはわからない。雨が降る中、傘もなく、私は隣で泣いていた。夫は一切の抵抗をしなかった。一言も言わなかった。すでに身の危険を感じていたのだろう。車の所有者でもない、ただの同乗していた友人であった彼はなにも言わなかった。

抵抗していたら、どんな目にあっていたんだろう。10年以上経った今、思う。銃は持っていたし、あのレイシャード・ブルックス氏が奪ったテーザー銃も携帯していただろうか。「もしも」が実際に起こっていたら、私達はどうなっていたのだろう。

アトランタ市警が到着するまでの30分以上、夫は後ろ手で押さえつけられていた。

なによりすごいのは、この警官は黒人だったのだ。後に知ったのは、黒人でもこういった職種についていると、洗脳されている場合も多くあるということ。というわけで、信じられないような事実だが、白人の警官だけ怖いというわけではないのだ。

市警が到着した時、この大学警官は、逃げるように身をひるがえして去っていった。明らかに自分はよくないことをしていたと、彼は知っていたのだ。その去り姿も全部鮮明に覚えている。

後日私は、ひとりで大学警察のヘッドクオーターに、苦情を言いに行く。書類を一枚書き、その警官の上司という人と短いミーティングをした。細かいことを話した後、一言。

「そのオフィサーは職務上、必要なことをしたにすぎないのです」

この時の無力感。その何百倍もの無力感を黒人達は味わってきたのだろう。特に殺された方々の家族の心は計り知れない。

これが私の、警官への完全な不信感への最初で最も重い出来事。車の所有者であったということで、自分も関わっていた事件だったせいもある。

その後他にも彼と一緒にいて、警官にまつわるいろんなことがあったから、私は警官による黒人殺しを聞くたびに、強い悲しみを感じると同時に、全く驚くことはないのだった。(続く)


注: 画面トップの壁画の絵は全て、私の住むイーストアトランタ周辺エリアの素晴らしい壁画を、こどもと散歩しながら自分で撮影してきています。大好きな街を少しずつ切り取って貼っていきます。


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