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それでも世界は回ってしまう

突然だった。
まさか彼にもう会えなくなるなんて予想もしてなかった。
中学の頃から付き合いのある友人。
男友達なんて言葉はなんかしっくりこなくて、性別を超えた仲間、みたいな存在。

友人から連絡を受けた時には趣味のキャンプ中でテントで映画を見てた。
内容を聞いて言葉を失ったし全く信じられなかった。
自分1人じゃないのも相まって、とにかく平然を装いキャンプ楽しんでいるふりをしたけれど、帰ってきて部屋で彼氏と話しながら大号泣だし、初めて崩れるような泣き方をした。

でも、それでも日々は巡ってしまう。その感覚が虚しくて。
彼の世界は止まり、そして彼との思い出も過去に大事に置いてあるような感覚なのに、自分の世界は回っていていつもと変わらない朝が来てダラダラと仕事をして寝る1日。
そのギャップについていけなくて、なんで彼がそんなに早くいかなければならなかったのかという理不尽さに怒りも湧いて。でもそれ以上にいつもと変わらずに過ごせている自分を見て腹がムカムカする。

そして彼が亡くなったと言う事実に関する純粋な悲しみだけではなく、自分に同じことが起こってこれ以上自分の大事な人たちとの時間を過ごせなくなったらと言う恐怖や不安、そしてその恐怖や不安を抱いてしまっている自分勝手さに腹が立ち呆れてしまい自己嫌悪にも陥る。

今日はお通夜に行ってきて彼の最期の姿を見ることができた。
彼の姿を見れて良かったが流石に堪える。彼の死が現実のものであったと頭で再認識した。
涙は溢れてしまうし、ご家族に挨拶した際も何を言ったらいいのか、適切な言葉は見つからないし、話せる思い出も頭の中で乱雑に浮かび上がって結局口からは出てこないし。
でもきっと、他の人が知らない私と彼の関係性があって、そして彼と私だけが共有している時間もあり、写真や物に残っていなかったとしても彼に対する信頼や尊敬は強く持っていると自負している。

大人になるとなかなか性別の枠を超えた関係を築くのが難しくなる。
そうじゃなくても私は人付き合いが得意な方ではないし、友人は少ない方だ。
そんな中で10年以上の付き合いを経て、普段の何気ない話から真面目に将来の話、政治や社会問題の話、最近感じている違和感など、素直に話し合える仲だった。
誰とでも話せる話題ではないし、お互い会うたびに色々学んでアップデートしあってお互いを高め合える良い関係だった。と、少なくとも私は勝手に思っている。

本当に彼の将来が楽しみだったし、そして一緒に年をとっていくのが楽しみだった。
時折会って、お酒を飲みながらダラダラ色々な話をしたかった。
私の大事な人に会ってもらいたかった。

もうそれは叶わないけれど、どこかで見てくれていると信じて、彼に恥じないように精一杯生きていきたいと思う。
最期の姿を見に多くの人が駆けつけた彼の人望を改めて尊敬するし、本当に惜しい。ありがとう。

2022/10/19

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