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物語を喰むモノ

「腹が減った。はよう次の話を書け、この愚図が」

 そう言って、椅子にふんぞり返った鬼女は、ローテーブルで作業をする俺の背中を軽く蹴る。シャツ越しに足の感触が伝わるが、特に気にしてない振りを装う。ここで下手にドギマギしようものなら、あの鬼女はここぞとばかりにマウントを取ってくるだろう。それで悦ぶ趣味は俺にはない。

「はいはい。今書いてるところだっつーの。物語はインスタント食品みたいにレンジでチンして出来上がるモンじゃねぇんだぞ。それが出来るんだったら、今頃俺は印税をガッポリ貰ってるよ」

「分かっておるわ。一流の作家ならまだしも、貴様のようなド三流に執筆の速さなんぞ求めてはおらん。ただ、我の空腹を紛らわせるために、貴様を足蹴にしておるだけだ」

「足癖が悪いんじゃないのか。そんなんじゃ淑女失格だぞ」

「ほざけ、行儀良くしたところで物語(メシ)が美味くなるか。ならば、犬っころが喰う物語はよほど美味いのだろうな」

「……減らず口ばっかり」

「うん、何か言ったか? 犬っころにも劣る社会的弱者の分際で、この我に何か文句でもあるのか?」

 鬼女は先程よりも強い力で、俺の背中を蹴ってくる。そのせいで、キーボードのタイピングが覚束なくなる。誤字ってしまった箇所を修正し、思いつく限り文章を書き起こす。

 何の前触れもなく俺の家にやってきたこの鬼女は、「物語」を食べる妖怪だという。雪のように白い髪とルビーのように赤い瞳といった見た目からして、この女が只者ではないことがよく分かった。
 俺がアマチュアで小説を書いていると知った鬼女は、その日から一日一本作品を喰べさせることを要求してきた。そうでないと俺の「物語」、人生という名のストーリーを丸ごと喰らうと言ってきた。つまりクリエイト・オア・ダイというわけで、俺は泣く泣く鬼女の要求を呑むことにし、今に至る。

 程なくして、最後まで書き上げた作品をプリントアウトし、原稿用紙換算で十枚程度の紙束を鬼女に手渡す。

「ほら、完成したぞ。とっとと召し上がれ、このやろう」

「敬意が全くこもっておらんぞ、ド三流。まぁ、今に始まったことではないが」

 やれやれと嘆息しながら、鬼女は冒頭の一枚目を喰べ始める。普段の口ぶりに相反して、喰べる時の姿はとても上品だ。

「ほう、今回はギャグテイストか。突如牧場に降り立ったロケットブースター内蔵の子山羊……って、初っ端からぶっ飛びすぎだろ。なんつー思考回路をしておるんだ、貴様は。おかげでとんでもなく複雑な味になっておるではないか」

「ほっとけ。徹夜のテンションで思いついた話だから、合理性なんて求めるな」

 そうか、と納得したのかよく分からないテキトーな相槌を打って、鬼女は二枚目以降を喰べ進める。その間もぶつくさと文句を言っていたが、やがて最後の一枚まで綺麗に喰べ終えた。

「どうだった、今日の話は。割と手応えはあったんだけど」

 鬼女は「そうさなぁ」と視線を泳がせる。体を左右に揺らし、今回の講評を考える姿は見ていて飽きない。しばらくして、口を開いた。

「冒頭の引きは良かったぞ。突如飛来してきた正体不明の山羊と、それに対処する牧場主の少女のやりとりはコミカルで楽しげだったしな。
 ただ、作中のテーマが曖昧だったのが欠点だな。得体の知れない存在でも、誠心誠意気持ちを込めて接すればちゃんと理解し合えるといった話はそれとなく書かれているが、それと作品のオチが絡み合っていないのだ。
 もう少し山羊と少女が通じ合えている描写があれば、テーマを明確にできたかもしれないな」

 聞き終えて、核心を突かれて得心がいったとともに、少しばかりの悔しさを感じた。この鬼女は、さすがに無数の物語を喰らっているだけあって、作品の良し悪しを的確に捉えることができる。一方的に書いた物語を喰われるのでは割りに合わないからと、毎回鬼女が俺の作品を講評してくれている。
 ただ、その講評が的確なために、俺のメンタルは毎回ズタボロになる。それでも毎日一本は書き上げないといけないから、いつまでも凹んではいられない。このルーティンを繰り返してきたおかげで、今ではどんな精神状態でもコンスタントに執筆することができる。

「おい、いつまで黙っておるのだ。貴様には口が付いておらんのか。ほれ、わざわざド三流の作品に講評をくれてやったのだ。言うことがあるだろう?」

 ぐっ……と苦虫を噛み潰したような心持ちで、決まり文句を告げる。

「あ、ありがとうございました」

「よろしい、今後も励めよ」

 ふふん、と鬼女は満足そうに笑う。その表情を見て、少しだけ元気が出てきた。

「それにしても、最近は短編ばかりで少々物足りなくなってきたな。おい、貴様。もっと長い話は書かんのか?」

「長編かぁ。設定とか考えるのが面倒だからなぁ。それに話が長くなると、場面の構成が上手く組み立てられないんだよ」

「設定なんぞソコソコでいいだろう。いくら設定を膨大に考えたところで、それらを全て文章に落とし込めるわけではないしな」

「そうは言っても、やっぱり設定が詰まってる作品の方がお前にとって喰べ応えがあるんじゃないのか?」

「たわけ。設定の多寡と物語の重厚性は比例せんよ。いくら設定を考え込んだところで、肝心の作品がまともな形になっておらんかったら、それは砂上の楼閣に等しい。それを理解しておらん物語は薄味でつまらん。だが、哀しいことにそんな薄味な物語が溢れ返っているのが今の世の中なのだ」

 物語はインスタント食品のように創られない。しかし、創作への門戸が開かれて、流行が目まぐるしく変化するこの世の中では、物語の大量生産を求められる。質より量、とでも言わんばかりに大量の物語を要求する商業主義社会において、薄味な物語が濫造されることは当然の帰結だった。

 インスタントな物語を消費する社会。かつて、とある評論家が予言したことが現実のものと化していた。

「じゃあ、どうすれば味の良い物語を増やせるんだ? お前だったら何か解決の糸口が見えてるんじゃないのか」

 そう尋ねると、鬼女は唸るような声を上げて首を傾げた。なんとも愛らしいその姿に見惚れていると、鬼女は返答した。

「社会全体に根付いてしまった風潮はそう簡単には変えられまい。だが、人の心ならば変えられる可能性がある。例えば、素人ながらも物語の創り手であろうとしている貴様とかな」

 透き通った赤い瞳は、真っ直ぐに俺を見つめる。その視線は、何かを期待しているようだった。

「他の誰よりもまずは貴様自身が物語を消費するな。一つ一つの物語にありったけの想いを込めてみろ。母が子を産むように、苦痛に苛まれようとも決して物語を粗末にするな。まぁ、それでも駄作が生まれてしまうのであれば、我がスナック感覚で平らげてみせよう」

 そう言って、鬼女もとい千夜(ちよ)は不敵な笑みを浮かべた。

 それから、俺は長編作品に挑戦するようになった。毎日一本の物語(=ご飯)は書きつつ、その傍らで長編の構想を練った。

 それは物語を喰う女と、彼女のために物語を書き続ける男の話。捕食者と被食者であり、師匠と弟子でもある奇妙な関係性の二人による、物語とは何かを問うていく物語。ほとんど実体験に基づく話なのだから、どんどん筆が進んだ。

 そして、ついに一本の作品が完成した。十万字を超える文章を書いたのはこれが初めてだ。
 込み上げてくる達成感を噛み締めつつ、俺は千夜に作品を手渡す。三百枚に近い量の紙束を見て、千夜は驚いたような素振りを見せた。

「おぉ、ようやく完成したか。ずいぶんと時間はかかったが、その労力に見合うほどの味に仕上がっているのだろうな?」

「分からん。とにかく自分の書きたいことをひたすら書き殴ったからな。味の保証はしかねる」

「そうか。それでも構わんさ。想いが詰まっているのなら、それだけで食するに値する」

 千夜は口角を上げて、最初の一枚を口にする。じっくりと味わうように、ゆっくりと食んでいく。いつもなら文句が飛び出るところだが、今日はいつになく静かだ。

 紙をめくる音と、紙を咀嚼する音だけが聞こえる。彼女の食事の様子を、じっと眺めていた。自分の心臓の鼓動がやけにうるさく感じた。

 何時間待っていたのかは分からない。彼女が最後の一枚を食べ終わったのを見て、ふと我に返った。

「どう、だった?」

 すぐに返事はこなかった。重たい沈黙が続いた後、彼女は言った。

「貴様、我のこと好きすぎるだろう……」

 今まで見たことがないほど顔を真っ赤に染めていた。口元を手で隠し、プイッと目を逸らす。

「何言ってるか分かんねぇよ。一体どこを読んだらそんな感想が出るんだ」

「全部に決まっておろうが、この唐変木! 実体験のことを書いておるのを差し引いても我のことを事細かに書きすぎだ、このド阿呆!」

 堰を切って繰り出される罵詈雑言の数々。けれども不思議と嫌な心地にはならなかった。
 やがてほとぼりが冷めて、千夜は黙り込んでしまった。

「それで、俺の物語はどうだったんだ。美味かったか?」

 彼女は未だに顔を赤らめて、俺の方を見てくれない。それでも、ボソッと一言呟いた。

「美味かったよ、文人(ふみと)……」

 それは何よりの講評だった。

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