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具体的に行動として何を大切にしているのか

私が具体的にしていることとは、
「待つ、見守る」ことです。

とても簡単なことに思えますよね。
でも、これが一番難しいと思います。

私が公立幼稚園教諭になりたての若い時の研究保育の時。
先生が来てくださり指導をいただくのですが、「あなたはお山の大将ね」と言われました。
それを聞いた園長先生がすごくうなずいていたのを覚えています。

どういう意味かというと、
子供のことを引っ張り過ぎているということです。
私はその頃、子供たちに先生、先生とあっちこっちで呼ばれて毎日てんてこまいでした。
子供たちは、私がなんでもやってくれるから、先生を呼んでいると。
これでは、自主性は育たない、
子供たちが自分で考えて遊び進めるということに意味があるのに、先生がその芽を摘んでいると言われました。

これこそ、ダメなんです。
我が子のことなんて、手にとるようにこれがしたいんだな、こうしたいんだなと分かってしまうのが親ですよね。

子供は自然に環境に慣れ、学び、適応していきます。
周りの大人がやってくれるなら、別に必要ないことはしません。
そのように育ちます。

ここから、私が「待つ」ことを覚えました。

子供を見て何が今必要か、必要でないか見極めてから動くことにしました。
すると、子供たちはどんどん自立していき、自分たちで遊び進めていけるようになり、私はゆったり必要な場所で必要な援助ができるようになりました。

大人がやるべきことは、実はそんなに多くはないんです。
「見守る」ことで、気持ちが繋がっていれば、大したことではつまずかず、自分で立ち上がれます。

例えば、
子供が転んだ時に、転んだ子供よりお母さんが大きい声を出している時があります。それに呼応するように子供は大きな声で泣きます。
でも、どのくらい痛かったか、それでは子供はわからないと思います。
見守っていて、子供が転んで、痛い!うぅ、お母さん!てなった時に、大丈夫?と見てあげることで十分なんです。
お母さんがしっかり見守っていれば、少し痛くいくらいなら、子供はお母さんを見て、お母さんが大丈夫と少しうなずくだけで立ち上がれます。

そこに自分の判断が生まれるように、
0から1を考える時間が生まれるように
「待つ」「見守る」ことが大切だと思っています。

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