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「無字社会」と「有字社会」ーー畑中章宏著『宮本常一』を読んで

 畑中章宏著 講談社現代新書 2023年出版

 新聞で見かけて、この学者はなんで最近話題になっているんだろうと、疑問に湧いたので、新書だったら読めると思って、図書館で借りた。

 そもそもこの人が何をしている人なのかも知らなくて、この本借りてみたんだが、どうやら、民俗学のような学問を勉強していた在野研究者みたいななにかだったらしい。新書だけでは、分かりかねる人だった。

 「明治以前の日本では、農民も、漁民も、山民も、日々を生きていくうえで文字はほとんど必要なかった。民俗学が対象とするこうした人びとの世界を「無字社会」と呼ぶことができる。それに対して貴族、武士、僧侶たちの社会は「有字社会」といえる。」p. 35

 宮本常一が考えてた「無字社会」と「有字社会」の対立がよく分からなかった。「無字社会」っていわゆる口承伝達みたいななにかをこの人は考えているんだろうか、と思ったけど、「無字社会」の対立が「有字社会」で、それは、貴族、武士たちの社会を指しているらしいので、要するに文字に起こされなかった伝統と文字で伝えられてきた伝統、みたいな対立なんだろうか。それを、識字できない人と、できる人の対立にしたくないから、こういう言葉を使ったんだろうという気もする。というか、文字が無い社会って、どういうことを言っていたんだろう。

 「民具」については、「宮本は、自国の民族文化の古さを探りあてるだけでなく、異民族のなかにも無字社会は広く存在しており、そこでどのような生活がおこなわれているかを比較しようとする場合、民具は比較すべき資料としては重要なもののひとつになるとした。」p. 68 というのは興味深い話で、人は道具を扱うことができるから人になった、という考えではなく、どういう民具をその人たちは作ったのか、というところが、彼の注目点なのかもしれない、と私はなんとなく思った。前者が西欧的なホモサピエンスみたいなものだったとしたら、後者の考えは何になるんだろう。

 この本で、私が一番グッときたのは、宮本さんのフィールドワークの話で、「伝承の公共性→「よい老人」に会う。「そういう人たちは、祖先から受け継いできた知識に私見を加えない。なぜならその知識を「公」のものと考えているからである。」p. 81 と言うところだった。

 「受け継いできた知識に私見を加えない」というのは、とても難しいことだし、ただ、人の話を聞いていただけでは判断できない。フィールドワークをする人の直感的な勘もあるだろうし、どうしてそう思うですか、みたいな出どころをたどるような質問をするスキルのようなものも問われる。

 私が想像するに、この表紙に印刷された宮本常一さんの顔写真と、この新書を読んだ感触からすると、人当たりがよくてなつっこい感じがするイメージがするので、人とのコミュニケーションが割とうまかったんじゃないかな、と思った。ただの期待だけど。

 推測にすぎないと残念なので、宮本常一本人が残した本をもう少し読んでみたいと思った。


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