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主人公がいない小説ーー『フィフティ・ピープル』を読んで

 チョン・セラン著 斎藤真理子訳 亜紀書房 2018年出版

 斎藤真理子さんが翻訳やっていて、評判が良いから借りた。2018年に出版された韓国の現代小説。

 一人の決まった主人公がいなくて、50人(実際には51人らしいが)それぞれの名前が短い章になっていて読みやすかった。韓国人の名前はカタカナ表記になると、似たり寄ったりで区別があまりつかない私にとって、それぞれの章に簡単な似顔絵が付いていて、登場人物のイメージが湧きやすかった。これは訳者の思いついたことらしい。本作るの、うまいな、と思った。やはり、先日、『いま、子どもの本が売れる理由』という本を読んでても思ったが、一冊の本ができるまで、編集者、出版社などものすごく研究して出版に至っていると思うと、本はお金を払って読む価値あるなと思った。これは図書館で借りた本だったけれど。新聞もそうだが、実際デジタルだけでなく、従来通りのペーパーベースで出版してるメディアは、制作過程でいろんな人、たくさんの人が関わっているから、お金出して買う価値があると、私は思っている。

 町にある病院を中心になんとなく人と人が繋がっていて、それぞれの章に、あ、この人とこういう関係なのね、と思ったりして、小説のスタイルとして新しい感じがした。物語の中に伏線がある、というより、人間関係の総体といった感じがした。家族だけでもなく、友達だけでもなく、最終的に同じ時に映画館という場に居合わせた人の集まり、という流れなんだが。こういう小説のかたちは珍しい。構成というのでもなく、話の展開がというわけでもなく、形態というか、形が珍しい。作者チョン・セランという人はSFだったりいろんな分野に挑戦した本を書く人らしい。

 やはり、韓国の現代文学はおもしろい。社会的な事件を思わせることも書いてあり、また、女性の不妊や出産、非正規雇用者などなどについて現代社会の問題を隅から隅まで、言及していて、読みごたえがあるし、日本ではなんでこういう本書けないかな、と思う。韓国の現代小説に比べると、日本の小説はそういう社会的メッセージが弱い気がする。


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