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day4 Bulgaria 究極の消費者であること

今日のサムネイルは、ブルガリアの首都、ソフィア駅のホームです。

<今日のハイライト>
・ほぼ12時間かけてブルガリアIN
・メトロの方向を間違え、片田舎を市街地と思い込み勝手にブルガリアに絶望
・同じ部屋でまさかの日本人と遭遇
・昼間からビールを公園で2杯、現地に溶け込む

この人がソフィアさんっていうらしい。

ピザ500円、ビール150円、ここは天国か?

正直なんもないけど、山と溶け合う美しい街です。

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さて、今日のテーマは「究極の消費者」です。


day0でも触れましたが、そのものだけ見ると、旅ってめちゃくちゃ無駄の極みです。何を得られるか分からないし、それ以上に何も生産しない。


(去年9月にインドを旅した時にも同じことを感じました。その時のFB投稿はコチラ)

https://www.facebook.com/100004240920481/posts/1164202300397790?sfns=mo


そして何も生産せず、ひたすらに時間とお金を消費する旅という期間、僕たちは「究極の消費者」になります。

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究極の消費者、には欠片も悪い意味はないです。むしろ潔いと思っています。


というのも、2つくらい良い部分があるんじゃないかなと思っているからです。


①出会いをよりフラットで素敵なものにしてくれる


イスタンブールのホステルで、同じく日本人で、かつ同じ大学(!)の人と偶然同じ部屋になり、夕方くらいから一緒に行動することになりました。


そこから色々とお話をして、最後に次の進路を尋ねると、お互い就活での界隈が似ていそうな会社さんでした。なんという偶然!


その時点で驚きましたが、もし最初からそれを知っていたとしたら、きっと旅先での会話はもっと味気ないものになっていた気がします。


究極の消費者には、なんの肩書きもなく、上下関係もない。ただの1人の人間です。だから旅先での出会いは素敵で美しいものになるのだと思います。


②生産者側、サービス提供者側を客観的に見ることができる


こちらはどちらかというと生産的な話。


街中を歩いていると、よく声をかけられます。俗に言う客引きというやつです。


特にトルコでは、よく絨毯を売りつけられます(笑)
彼らの常套句は、「これはとても長く使える良い物だ。家族が大事だろう?きっとお母さんも喜ぶぞ」。


いやいや待てと。確かに質のいい絨毯かもしれないけど、うちの母親は多分これ買って行ったら呆れるはずだぞ、と僕は思うのです。

もう少し広く捉えて、物やサービスを売るときは、買い手の先にいる人や事柄のことまで想像して売るのが大事だな、と気付くことができました。

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究極の、というのはなんか誇張表現な気もしますが、それくらいスタンス取ってみることで見えてくることもたくさんあるなと思うばかりです。

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