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【短編小説】大いなる意志

 この作品内において、犬・猫が負傷および絶命する描写は含まれておりません。安心してお読みください。


 その夜、浅倉五郎はサバイバルナイフを中年の女の締まりがない肉体に何度も繰り返し突き刺した。どくどくと溢れ出る血が、ゆっくりと路肩の溝に吸い込まれていく。女はすでに絶命していたが、それでもなお子犬をつないだリードを握りしめていた。人っ子一人いない、切れかけの街灯がパチパチとさえずる夜道にひとり残された子犬の声が響く。五郎はそのやかましい子犬を、憂いを帯びた目で見つめた。

「かわいいお召し物ですね。とても愛されていたのですね」

 リードを握った女の手を優しくさすると、子犬はより一層やかましさを増した。

「そんなに愛していたのなら、すぐに離すべきだったのに」

 五郎はサバイバルナイフを大きく振り上げる。だがその瞬間、女の手からするりとリードが抜け、子犬は間一髪で凶刃を免れた。切っ先とアスファルトがぶち当たり、カンッと音を立てる。闇夜に消えていく子犬を見つめながら、五郎は弱々しくつぶやいた。

「またですか」

 五郎が初めて人を殺したのは十年前、高校生のときである。その日、酒に溺れた父親はいつものように母親を殴りつけた。何度も、何度も。その様子を見ていた五郎は、母親を守るために父親を包丁で刺したのだ。あっという間に父親は死に、母親が罪を被った。

 そこから五郎はひとりで生きていくことになる。バイトで貯めた金で大学に行き、大手自動車メーカーに就職。生活の基盤が固まると、趣味として殺人を行うようになった。父親が息絶えた瞬間、例えようのない気持ちの昂りを感じ、それが忘れられなかったのである。給料のほとんどは殺人の道具や事後処理のために費やした。
 これまでに殺した数は四十一人。年々ペースは上がっていった。五郎は、人間をただの肉塊にすることが楽しくて仕方ないのだ。

 郊外の住宅街に建つ、ごく一般的な三階建てアパート。築三十年ではあるが数年前に大幅なリノベーションが施され、あまり古さは感じさせない。外観はもちろん、室内も全室和室から洋室へと変更され、六畳一間でも息苦しいと思わせない作りになっている。
 そのアパートの二階にある二〇三号室で五郎は生活していた。無論、生活というのには、食う寝るだけでなく殺人も含まれる。

「五郎君、やほ」

 この日の訪問客は、先週バーで知り合ったサキという女だった。五郎はたいそう顔が良いため、出会って間もない女を自宅に招き入れることは容易かった。そうやって何人もの若い女を手にかけてきたのである。
 サキは赤いハイヒールを乱雑に脱ぎ捨て、派手な金色の巻き髪を揺らしながらズカズカと部屋に入る。その間、五郎は玄関の鍵を回した。

「わあ、意外と庶民的~」

「まあ、庶民ですから」

「てかめっちゃキレイじゃん。ケッペキ?」

 サキは、整然と並んだ家具や家電を見て感心するや否や、小脇に抱えていたペット用キャリーバッグを開け放した。中からは茶トラ柄の猫が一匹、ひょいと姿を現し、ベッドの上にちょこんと鎮座する。

「とてもかわいいですね。ムギ、でしたっけ」

 五郎は茶トラ猫の目を見つめながら、頭の毛並みをそっと撫でた。

「そうムギ! よく覚えてたね! 五郎君この前ムギに会いたいって言ってたからさ、連れてきちゃった」

 サキはそう言うと、ムギを持ち上げ、ベッドから降ろした。そしてそのベッドに、五郎を荒々しく押し倒し、ディープ・キスをした。

「五郎君、しよ」

 唇を離したサキは、五郎の胸板を右の手のひらでさすりながら妖艶にセックスへと誘う。五郎が「いいですよ」と返事をすると、再度唇を押し当て、シャツの下の生の肉体をまさぐる。五郎も対抗するように乳房を揉んだり尻をなでたりするが、それは性欲による行動ではない。芝居である。セックスをするときの人間というのは非常に無防備になる。だから五郎にとってこの手のセックスしか頭にないセックス狂は殺すのにうってつけなのである。
 仰向けになった五郎の股間のにおいをジーンズ越しに嗅ぐサキ。五郎はサキのつむじを見つめタイミングをうかがう。
 サキが息継ぎのために頭を動かそうとした瞬間、五郎はすかさず両脚でサキの顔を自らの股間に押さえつけ、締め上げた。

「ううっ、ううっ」

 呼吸を遮られたサキは、酸素を求め必死に手足をばたつかせる。それでも五郎は動じることなく、内転筋の力を増していく。

「もう少しで楽になれますから」

 不条理に抗っていた手足は、しぼんでいく風船のように脱力していき、ついにサキの体から完全に魂が抜け落ちた。その瞬間、五郎は得も言われぬ高揚感を覚えるのであった。

「ふう。さて、もうすぐ送ってあげますからね……」

 五郎は立ち上がり、部屋を歩き回った。目的はムギである。

「ムギ~。お~い。出てきてくださ~い」

 しかし、部屋中探し回ってもムギは見当たらない。テレビの裏、ベッドの下、洗濯機の中。どこを探してもいないのだ。

「いや、まさかとは思いますが……」

 五郎は恐るおそるベランダのカーテンを開けた。

「なっ……‼」

 そこには、ベランダの手すりの上にバランスよく立ち、窓越しに五郎を見つめるムギの姿があった。不可解な現象に五郎は頭を抱える。

「おかしいですね。一度も開けていないのに。鍵だってずっとかけていたはず……」

 今日一日、一度も触れていなかったベランダの鍵に手を置いた瞬間、窓の向こう側のムギは手すりから隣の家の屋根へ飛び移り、どこかへ消えてしまった。

「密室でもダメですか……」


 数週間後、五郎は夜な夜な自宅でバラエティ番組のペット特集を観ながら物思いに耽っていた。コーヒーを一口すすっては、ため息を吐き、考える。どうすれば犬猫を殺められるのか。そのことだけが頭の中をいっぱいにする。
 五郎はこれまで何十人もの人間を殺してきた。もちろんその中にはペットを飼う人間もいた。飼い主を殺した後、この世にひとり寂しく残すのはかわいそうだからと、飼い主のところへ送ってやろうとするも上手くいったことは一度もなかった。寸前で逃げられるという場合は、まあ納得はできる。だが、鎖に繋がれた大型犬がいつの間にかどこかへ消えていたり、密室に閉じ込めたはずの猫が窓の外にいたりする現象はどうにも解せないのであった。これはもはや、神か何かの目に見えない力が干渉しているのではないかと、五郎はそこまで考えるようになった。

「うーん……」

 人間を殺すことが一番の喜びである五郎にとって、犬猫の生き死になど取るに足らないものではあった。しかし、方法はどうあれ、こう何度も逃げられていると、何とも形容しがたい無能感のようなものを覚えてしまうのである。そして、それをなんとかして払拭しようとする。執着である。
 考えれば考えるほど、執着心は膨れ上がっていった。とりあえず犬猫を一匹でも殺さない限り、気持ちよく人間を殺せないのだと、五郎は思った。

 五郎は翌朝、個人経営の雑貨店や飲食店が立ち並ぶ繁華街の一角に建つある店を訪れた。犬や猫たちが透明のケージに入れられ、店外からも見えるように配置されている。ペットショップである。

「いらっしゃいませ~」

 店に入ると、愛想のいい中年の男性店員が出迎えた。五郎も曇りのない笑顔で応える。

「どうも」

 それからしばらく“品定め”をしていた五郎に、店員がにこやかに話しかけた。

「どのような子をご希望ですか?」

「そうですね、小さくて人に慣れた大人しいワンちゃんがいいですかね」

「ああ~、ぴったりの子いますよ~」

 店員に案内され店の一番奥まで行くと、他のペットと同じように透明のケージに入れられたヨークシャテリアがつぶらな瞳でこちらを見つめていた。

「この子ねぇ、人が大好きみたいで、誰にでも分け隔てなくすり寄ってくるんです。ねぇ、可愛いでしょう? 他の方のところに行っちゃう前に、どうです?」

「可愛いですねぇ。この子が毎日家で待っていてくれると考えると、仕事もすごく頑張れそうです。この子にします」

「ありがとうございます!」

 店員は五郎の言葉を疑いもせず、勢いよく頭を下げた。

 そこからはとんとん拍子だった。諸々の手続きを済ませ、五郎は購入したヨークシャテリアを抱き、歩いて自宅へと帰った。
 玄関をくぐるや否や、靴も脱がずに浴室へ直行した。浴室に入ると、ドアを閉め、犬を抱いたまま湯を張っていないバスタブの中に腰を下ろす。そして、あらかじめ用意していた、個包装されたペーストタイプの餌を与えた。すると、犬は嬉しそうにペロペロとそれを舐める。

「最後のごちそうですよ。いっぱい食べてください」

 五郎はこの時を待っていたのだ。腕に抱いた犬は餌に夢中で、五郎の右手に握られたサバイバルナイフに全く気づいていない。五郎は胸が高鳴った。これで明日からは心置きなく人間を殺せるのだ、と。

 慎重にナイフを犬のうなじに沿わせる。そして、ひと思いに引き裂こうと右手に力を入れた。

 その時だった。ブォーン……ブォーン……といった規則的な轟音が鳴り響いたかと思えば、アパートが小刻みに揺れ始めた。

「なんでしょうか……」

 五郎は思わず手を止め、犬を抱いたまま浴室を出た。すると、建物の外で人々のざわめきや悲鳴が聞こえてきた。

「様子が変ですね……」

 犬も何かを察知したのか腕の中でプルプルと震えている。
 アパートの揺れがおさまる気配はなく、身の危険を感じた五郎は、犬を抱いて外へ出るのであった。

「いやああ! この世の終わりよおお!」

「何あれ。やべーっしょ」

「すげえ……」

 そこには、恐怖し泣き叫ぶ者や興味本位で撮影する者、呆然として立ちすくむ者たちの姿があった。
 外に出たばかりの五郎は、そこにいた者たちが揃って視線を向けている上空に目を移した。するとそこには、常識では到底考えられないような光景が広がっていた。

 直径二〇メートルはあろうかという銀色の円盤、いわゆるUFOが三機、隊列を組み、機械音を轟かせながらゆっくりと進行していたのである。
 驚きも束の間、電子音声のようなたどたどしい日本語でのアナウンスが鳴り響いた。

「ワレワレハ、ニンゲンヲホロボスタメ、ワクセイ“オギア”ヨリヤッテキタ。キサマラハ、チキュウヲコワシスギタ。ゲンザイ、ニンゲンダケヲコロスウイルスヲ、サンプシテイル。シヲマテ」

 異星の知的生命体と思しきものから発せられた、明確な殺意を持った宣言である。
 信じ喚き散らす者にも、信じず冷静に振る舞う者にも、現実は猶予を与えず襲いかかった。

「なんじゃあ、ありゃあ。映画の撮影かのう。うっ! うううっ!」

 通りすがりの老婆が突如として苦しみはじめ、皮膚という皮膚がヘドロ状に溶けだしていく。

「うわあああ!」

「いやあああ!」

 あまりの恐ろしさに、近くにいた者たちは一目散にその場から逃げ出そうとするも、その形状を留めておくことはできず、一人、また一人と崩れていく。一帯はまさに地獄絵図と化した。

「く……る……しい……」

 呆然とするしかない五郎は半分液体になって地を這う老婆に足首を掴まれ、その場に尻もちをつく。それとともに、抱きかかえていた犬は五郎の腕の中から抜け出し、老婆を威嚇するように吠え出した。

「や、やめてください……!」

 何人もの人間を手にかけてきた五郎であったが、あまりにおぞましい光景に体の震えを止めることはできなかった。
 あっという間に、さっきまで人間の形をしていたものは完全な赤黒い液体となり、五郎のズボンの裾に染み込んでいく。五郎はすぐさま立ち上がり、寂しそうな目で見つめる子犬を置き去りにして走り出した。

 しかし、現実とは残酷なものである。ものの三十メートルで体の力が抜け、その場に倒れた。溶けはじめた自らの手のひらを見つめ、五郎は叫ぶ。

「嫌だ! 死にたくない!」


「やあ、初めまして、浅倉五郎くん」

 その時、地面に這いつくばる五郎の前に、黒いジャージのセットアップを着た二十歳くらいの青年が現れた。

「たすけて……ください……」

「いやあ、散々人を殺してきたくせに命乞いなんて、ああ醜い醜い」

 青年は呆れたように笑いながら、弱々しく救いを求める五郎を一蹴した。五郎は不敵な笑みを浮かべる青年を死に物狂いで睨みつけ言葉を返す。

「なぜ……知っているん……ですか……」

 それに対し青年は、狂ったように大笑いをし、高揚した様子で語り始めるのであった。

「なぜって? 知ってるに決まってるじゃないか! だって僕が君を作って主人公に選んだんだから。君のその整った顔も、引き締まった肉体も、かしこまった口調も、思想も、趣味も、出身、学歴、家庭環境も全部僕が決めたんだ。君のことなら何でも知ってる」

「何を言っているのですか……?」

「まあ理解できなくても無理ないか。簡単に言うと、君やあの円盤に乗った奴らがいる宇宙より遥か上の次元から世界を動かしていたのさ」

「神……?」

 五郎は顔から滴り落ちていく粘液をプルプルと揺らしながら必死に問いかけた。

「あーあー綺麗なお顔が台無しじゃないか。まるでロウソクみたいだな。まあ厳密に言うと神とは違うんだけど、そう理解してくれていいよ」

 死がそこまで迫った五郎を青年は嘲笑った。そしてその場にしゃがみ込み、五郎の溶けかかった顔を覗き込みながら、それまでの昂った口調から一変、ささやくように語りかける。

「冥途の土産だ、教えてあげよう。君がなぜ犬や猫を殺せなかったのか」

 五郎の目がぎろっと動く。

「それはね……“大いなる意志”によるものさ」

「大いなる意志……? あなたの仕業なのですか……」

 青年は体を起こし、正座の状態で天を仰いだ。

「いやいや違う。僕よりもっと上にあるものさ。最近ちょっと厳しくてね。世界を創るっていうのは自由に見えて自由じゃない。そうなると僕は神であって神じゃないんだ。だから……」

 話を続けようとした青年であったが、ふと下を見るとすでに五郎の姿はなかった。

「ああ、もう少し聞いてほしかったんだけどなあ。まあいいや、君は立派に務めを果たしたよ。お疲れ様、浅倉五郎君」

 青年が立ち上がり去ろうとすると、五郎が手にかけようとしていたヨークシャテリアがよたよたと歩いてきた。

「おお、大いなる意志に守られた犬ちゃんじゃないか。やっぱりちっとも可愛くないねぇ」


 その日、一夜にして人類は滅亡し、地球は人間以外の動物が暮らす健全な惑星となった。

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