モリジロウ

天理教の歴史や制度について研究しながら、神の望む世界とは、人間はどう生きるべきなのか、…

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天理教の歴史や制度について研究しながら、神の望む世界とは、人間はどう生きるべきなのか、いろいろ考えています。宗教関係の話だけでなく、思いついたことも書いています。気軽にご意見やご感想をいただければと思います。筆者への問い合わせは「ichimonji391@gmail.com」まで

マガジン

  • ジロウ閑話休憩

    記事を書く間に、思いつくまま書いているただのボヤキです。

  • 小説「人間の一生」

    ジロウの実体験や思っていることなどをもとにした小説です。テーマは宗教、愛、異文化などで、一人の男の一生という形で書かかれています。

  • 私の「茨木基敬」考

    天理教教会本部の本部員であり、北大教会初代会長でもあった茨木基敬についてまとめたものです。過去に例のない異端として本部員を罷免された天啓者の話です。天理教の歴史を知るうえで外せない異端事件です。

  • 私の「中山松枝」考

    教祖の長男秀司さんの正妻「中山松枝」さんについての考察

  • 戦後の「復元」の教理について

    第二次世界大戦後、天理教では「復元」を行った。それについての考察

最近の記事

天理教の葬儀の祭儀式の一部変更

祭儀式の一部変更  天理教の葬儀は出席した人なら知っていると思うが、玉串奉献があり、一般参列者も玉串を御霊さまに捧げて遥拝をする。そういうものだと子供の頃から見慣れていれば、違和感を感じることもないだろう。しかし、教会本部の方から通達があったようで、「祓」「玉串奉献」を廃止することになったようだ。服装に関しても斎服であったが、無い場合は教服でもいいようになったようだ。 葬儀のあり方  新型コロナで一気の世の中の葬儀も、大勢の人で行うのではなく、家族や故人に近い人だけで行

    • 本当の信仰

      「本当の信仰」とは?  本当の信仰とは何だろうか?皆が疑問を持ったり、どうすることが本来なのかと、一度や二度、考えたことがあるのではないだろうか。恐らく今、これを読んでくださっている方は何かしらの宗教に属している、或いは、家の信仰があり、代々受け継いできている方なのかと想像している。  宗教二世問題なども取りざたされているが、生まれた時から親の信仰で、自然と信者になっていたとか、宗教は嫌いだと言っても、親族一同が信者なので、離れるに離れられないといったケースも多いのではな

      • すべてのことは「運命」なのだろうか?

        衝撃的なニュース  元旦に起きた能登地震で、一度に家族皆を失った人のニュースを読んだ。Tさんの妻、子供四人、そして集まっていた親族が全員亡くなってしまった。安否不明の中、一週間後には全員の死亡が確認されたという。あまりに残酷というか、そんなことが現実にあるのかと思うほど、衝撃的なニュースだった。心から犠牲になって亡くなった方のご冥福を祈る。  元日から一週間、Tさんが祈るような気持ちでいたことは想像に難くない。家族を失うにしても事件などであれば、怒りの矛先を犯人に向けるこ

        • 大教会からの通信を読んで

           今年も残すところ、あと二日となった。仕事も休みに入り、家の用事ばかりしているが、郵便配達のバイクが止まったので、郵便ポストを覗いてみると大教会からの通信が入っていた。巻頭には「年祭活動の~」とか「教祖の道具衆として~」とか「実働を~」とか、全く年祭前ごとの定型文のような文言が綴られている。  初めて読んだ人や信仰の浅い人にとっては、心に響くところがあるのかもしれないが、歳を取り何回も年祭を迎えたことのある人には「またか…」というような気持になってしまう文面が多いように感じる

        天理教の葬儀の祭儀式の一部変更

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          17本
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          13本
        • 私の「茨木基敬」考
          3本
        • 私の「中山松枝」考
          3本
        • 戦後の「復元」の教理について
          3本

        記事

          もう師走か…。

           すっかり更新を怠っている感じがあるが、いつもチェックしてくださっている皆様に申し訳ない気がする。確かに仕事が忙しいということもあるのだが、日々の暮らしの中で、いろいろと新しく接する人が増えたことや、新しい経験がいろいろあり、そこからいろいろと感じることもあり、いつかこのNoteに書こうと思いながら過ごしていた。  喪中はがきも届く時期になり、親が永眠いたしましたという内容を見て、人の営みとして避けては通れないものなのかとも思いながら、何年、何十年前に既に永眠した親のことを

          もう師走か…。

          食事は一人で食べるより…

           仕事で帰りが遅くなり、夕食も仕事先で済ました。家に帰ると、家内が一人で面倒くさいから、スーパーで弁当を買って食べたとのこと。普段、スーパーの総菜ばかり買っている人や、あまり料理もしない人のことを、やれ栄養が偏るとか、料理もしないとか、何かと批判的に言うが、私に言わせれば同じレベルだと思う。(口には出さないが…)  私が言いたいのはスーパーの総菜や弁当が悪いというのではない。忙しい時や、もう一品ほしいという時に便利であるし、人それぞれ事情もあるものだ。一人暮らしの人などは自

          食事は一人で食べるより…

          神殿回廊を歩きながら思ったこと

           時間もあり、すっかりご無沙汰している教会本部に参拝した。神殿回廊を歩きながら、いろいろな思いが溢れてきた。時間帯もあるのだろうが、ほとんど人はおらず、がらんとした印象を受ける。この回廊を何度、跪いて拭いたことだろう…。回廊から中庭を見ると、ほとんど人もおらず、祭典がない日に来ると本当に寂しい感じがした。  天理教の歴史を詳しく研究するようになってから、長い年月が経ったが、その調べたことが、いろいろと頭に浮かんでくる。神殿の回廊を歩きながら、神殿も教祖殿も立派な建物で、東礼

          神殿回廊を歩きながら思ったこと

          ジロウ閑話休憩…16 “いんねん”は通り返しの道なのか

           私の大嫌いな天理教用語に“いんねん”という言葉がある。なぜ嫌いかと言えば、全てのことが“いんねん”の一言で片づけられるからである。いいことがあっても、悪いことがあっても“いんねん”で片付くからである。そんな単純なものなのだろうか?いや、そんな一言で片づけていいものなのだろうか?“いんねん”と片づけられたら、反発心しか起こらない私は普通ではないのだろうか?よほどの「へそまがり」なのだろうか?  あまりいいことに関しては“いんねん”は使われない。その場合は、むしろ“徳がある”

          ジロウ閑話休憩…16 “いんねん”は通り返しの道なのか

          離婚は信仰的に悪いことなのか

          はじめに  最近、離婚したことを「バツ1」とか「バツ2」とかいう言葉で言うことが増えたように思う。それだけ「離婚」という暗いイメージがつきまといがちなのを、うまく緩和しているようにも感じる。それはそれでいいのだが、こと、結婚や離婚に関しては、各宗教ともいろいろ戒律や教えがあるようで、人々の結婚観、離婚観に影響を与えているのかとも思う。  今、これを読んでくださっている読者の方の中にも「バツ〇」の方がいらっしゃるかもしれない。或いは「離婚」を考えたことがあるとか、全くそんなこ

          離婚は信仰的に悪いことなのか

          教祖30年祭頃のふし(井出クニや茨木基敬の謀反)

          教祖30年祭の井出クニ謀反  天理教の歴史の中で教祖30年祭の頃のことを、いろいろ調べると興味深い。今から107年前になる大正5年であるが、正善二代真柱は、まだ12歳の子供である。その2年前にあたる大正3年に初代真柱が出直し、同い年で教祖から「控え柱」と言われていた前川菊太郎も出直している。単なる偶然なのだろうか。何らかの神からのメッセージだとも感じるのだが。 その翌年の大正4年には本部の重鎮である松村吉太郎が小川事件で収監され、普通に考えれば年祭を行えるのだろうかとか、

          教祖30年祭頃のふし(井出クニや茨木基敬の謀反)

          久々に「白い巨塔」を見て、いろいろ感じたことを…。

          はじめに  医療ドラマの金字塔のような作品だが、心を揺さぶられるようなシーンが多いと思う。昔の田宮二郎版も面白かったが、やはり唐沢寿明の財前と江口洋介の里見の演技が素晴らしいと感じる。また新しく別の若い俳優さんで作られたとも聞くが、それはまだ見ていない。  しかし、こうして何度も作られるということは、それだけドラマとしては不変のテーマを扱い、人々に訴えるものがあるからなのかと思う。このドラマをもとに癌や死について書いてみたい。 見るたびに感じ方が違うドラマ  財前と里見

          久々に「白い巨塔」を見て、いろいろ感じたことを…。

          ジロウ閑話休憩…15

          いったい何のために書くのか  また、すっかり筆不精(キーボード不精)になっている。前回投稿してから三週間経とうとしている。無理に書かなければならないものでもないし、それを生業としているわけでもない。書くネタとして、思いつく度にメモを取り、次のテーマにして書いていて、そのメモもまだいくつかある。しかし、なかなか書く気が起こらないのである。  野球選手などスポーツマンのイップスのような状態なのだろうか。書き始めたら、案外すらすらと書けるのだが、どうも気乗りがしない…。 なぜだ

          ジロウ閑話休憩…15

          残った人生は「居直り」で

           人間がこの世に生まれてくるのも、神のせわどりが、あればこその話で、反対にいくら死にたいと思っても、息を引き取るのも神の思惑があればこそのことなのかとも思う。  「もう生きていたくない。死にたい。でも自分では死ねない」と繰り返すご婦人を相手に、今日も一日過ごしてきた。  思わず、「そんなに死にたきゃ、もう我慢せずにどうぞ。」と口にしたくなってくるのを、グッとこらえて、「何を言ってるんですか。」となだめ続けて、もう一年以上が過ぎた。  そんなことばかり言っていたら、人が離れて

          残った人生は「居直り」で

          「日本一」じゃなければ意味はないのか?

           連日、某中古車販売会社のニュースがマスコミをにぎわせている。テレビのCMや看板にも「売上No.1」と「日本一」というのがあったように思う。 それにしても、話がひどすぎる。  顧客の信頼を裏切るだけでなく、従業員の人たちも苦しんでいたことと思う。クルマが好きで、この業界に入った人もいたことだろう。クルマ好きの人なら、自分の車が修理工場で傷をつけられたり、パンクさせられていたりしたことを知ったら、怒りより、情けなさで悲しくなってしまうのではないか。愛着のある車を整備してもらおう

          「日本一」じゃなければ意味はないのか?

          三年千日活動より日々の実践

           今月も無事に月次祭が終わった。前日から準備などやっているが、終わると、いつもホッとする。いつも祭典後に『諭達』を読み、その後、少しお話をさせてもらうが、自分自身の信仰を見直す上でも話すことは大事だとも感じる。今日、お話させていただいたことを振り返り、加筆して少しまとめてみることにする。 縦の伝道で子に本当に信仰が伝わっているのだろうか  最近、本当の信仰が伝わっているのだろうか?と思うことが多い。「縦の伝道」と、よく言われるが、果たしてそれは正しいことなのか、しなければ

          三年千日活動より日々の実践

          すっかりご無沙汰してしまってます。ちょっとプライベートで忙しく、まとまった執筆時間が取れないので、頓挫している感じです。ご訪問くださっている方々にはご迷惑をおかけしているような気がして、申し訳ありません。書きたいことは山ほどあるので、また書き溜めていきます。

          すっかりご無沙汰してしまってます。ちょっとプライベートで忙しく、まとまった執筆時間が取れないので、頓挫している感じです。ご訪問くださっている方々にはご迷惑をおかけしているような気がして、申し訳ありません。書きたいことは山ほどあるので、また書き溜めていきます。