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「日本一」じゃなければ意味はないのか?

 連日、某中古車販売会社のニュースがマスコミをにぎわせている。テレビのCMや看板にも「売上No.1」「日本一」というのがあったように思う。
それにしても、話がひどすぎる。
 顧客の信頼を裏切るだけでなく、従業員の人たちも苦しんでいたことと思う。クルマが好きで、この業界に入った人もいたことだろう。クルマ好きの人なら、自分の車が修理工場で傷をつけられたり、パンクさせられていたりしたことを知ったら、怒りより、情けなさで悲しくなってしまうのではないか。愛着のある車を整備してもらおうと、相手を信頼して任せているのに、完全な裏切りである。

 聞けば厳しいノルマがあったとのことだが、実現不可能な目標値や、かなりな負担を強いらなければ達成できないようなことは「無理」である。つまり「理」が「無い」ことなのである。社員一丸となって、目標に向けてがんばろうと、皆が意気揚々と努力するなら別だが、上司から「バカ、アホ、死ね」と罵倒され、やりたくもない不正をさせられ、「無理」で達成した数字に何の意味があるのだろう?

 昭和の時代なら、そんな会社も多かったように思う。しかし、今はもう令和の時代である。若い人のクルマ離れやライフスタイルの変化、人々のサイフ事情…。
 時代錯誤の「無理」ばかりやって、「No.1」を名乗ったところで、どうしようもない。「~がNo.1」とか「~が日本一!」などと謳い文句を並べるのではなく、「信頼」が第一でやっていけば、自ずと数値もついてくるものではないのだろうか。

 しかし、その「信頼」は簡単には買えるものでもなく、すぐに手に入るものではない。だから安易に誇大広告を出したり、有名人などを使い、集客する方法を取ろうとするのかもしれない。しかし、それは基本的に間違っていると、私は思う。「No.1」などの謳い文句で、簡単に「信頼」を得ようとしているに過ぎないからである。
 
 これは商売だけの話ではなく、すべてにおいて「信頼」を築くことが大事なのではないだろうか。

 教師なら学生からの「信頼」、カウンセラーならクライアントからの「信頼」、会社などの組織の内部でも、上司が部下への「信頼」、部下が上司への「信頼」がなければ、うまくいかないことが多い。しかし、簡単には「信頼関係」を築くことはできない。お金じゃ買えないし、時間的にも、すぐに手に入るものでもない。だからこそ難しいのであって、皆が苦労するのだとも思える。

 逆に言えば、強固な信頼関係が出来上がり、それを決して裏切ることなく、続けることができれば、どの業界でも、どの仕事でも、どの人間関係でも自然と発展していくものなのかとも、今までの人生を振り返って感じる。

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