閑話…11「五十にして天命を知り、六十にして耳順えただろうか」
ちょっと閑話…。
誰でも孔子の教えをいくつか知っているだろう。「その人を知らざれば、その友を見よ。」など、誰でも聞いたことがあるだろう。孔子の言葉には重みがある。人間の一生には節目、節目があるものだとも思うが、その節目ごとにふさわしい生き方をしてきたのだろうかと、ふと思うことがある。
孔子の弟子たちが残した『論語』によれば、孔子は次のように言ったと
今、振り返ってみれば、その年齢にふさわしい生き方をしてきたとは、とうてい思えない。40歳の時でも迷うことだらけだったように思うし、50歳で天命を知ったとは思えなかった。60歳を越えて、やっと人の話も聞くようになったのだろうか? はなはだ疑問である…。
日本で儒教は宗教ではないようだが
日本では儒教は宗教の一つとしては見られていないように思う。どちらかというと学問の一つとか、道徳の基本のような捉え方をされているようにも感じる。それでも「温故知新」の四字熟語とか、「義を見て為ざるは勇なきなり」とかあるが、孔子が始祖とされる儒教の教えは「座右の銘」として、心に留めている人も多いのかと思う。
自分の息子より若い人たちを相手に授業をしながら、ふと感じることもある。相手はもう人生も終盤に差し掛かった経験豊富なベテランのように見ているのかもしれないが、当の本人は未だに、これでよかったのだろうかと悩んだり、いろいろ考えたりもしている。
ふと思い浮かんでくる歌
そんなことを考えていると、なぜか思い出すのが、昔、好きだったアリスの曲で「風は風」谷村新司作詞・作曲の歌詞だ。
アリスは歌手だから、この歌詞になるが、誰でも自分の仕事があり、この歌に合わせて、歌詞を自分の境遇に重ねて聞いていたのではないかとも思う。自分なりに変えてみた。
この後の歌詞が、またいろいろなことを思い出させる歌詞だ。
誰でも長く仕事をしてきたら、やめたいと思ったり、辛かった思いもあるはずだ。もしくは病気で天井を見つめている時もあったかもしれない。考えて悩んだり、朝が来るまで、ふとんの中で苦しんだ時もあるかもしれない。そんな時には 心から安心できる何か確かなものがほしいと思っただろう。神がいて暖かい手で包んでくれたなら、もう他には何もなくていいと思ったかもしれない。
話は戻って、40歳にして、もう迷わないで、50歳にして今の仕事が天職だと確信し、それを全うすることが天命だと思え、退職したのであれば、人の生き方として幸せだったと思えるのではないだろうか。60歳まで、がむしゃらに走ってきたが、もう走るのをやめて、ゆっくり歩き始めたら、人の言うことも少しずつ耳にも入ってくるようになるのだろうか。そんな思いもするこの頃だ。
この歌の続きも、心に染みる。
子供も成人し、背負う荷物も減ったのかもしれない。自由に心の欲するままに生きていけばいいのかもしれない。しかし、これから何年生きられるのか考えた時、何もしなくても食っていけるだけの蓄えがあるわけでもなく、それ以上に何もしなければ、あっという間に認知症になり、人の世話にばかりなってしまうのは目に見えている。
何もしなくても明日は来るけど、明日、明日と日を延ばさず、心のままにやりたいと思ったら、すぐにやるべきなのかとも思った。しかし、本当にやりたいことは何なのか?しがらみばかりに囚われて、何も言い出せないで、どうしようと思っている自分がいる。
孔子の教えをもっと若くして座右の銘にして生きてきていたらとも思うが、まだまだ先は長いのかとも思う。
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