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「Be yourself~立命の記憶~Ⅱ」第12話

仕事の壁

3回目のバンコクから、帰国した私は、怒りと共に更に執筆し続けた。

主人に言えないような事しやがってー、くそー。
これは仕事。これは仕事。仕事だって事で許してもらおう。

相変わらず睡眠は細切れだったから、オフィスに寝泊まりする日も増えた。

子供の送り迎えと、家の事は、主人が中心になってやってもらう事に決めて、3月までに続きの執筆を終える事を約束した。
長男の卒園式や入学式が控えているので、子供のイベントに穴をあけるような事はしないとも約束をした。

主人とは、家族を大切にする事を忘れない、一番優先するべきなのは家族の事、と話をして、仕事と家庭のバランスを取ることを目標にした。
向かい合って話をするのではなく、同じ目標に向かって横に並んで同じ方角を見よう、と決めた私たち。

そうやって、続きを3月頭に執筆し終えた私は、Y氏に、喜び勇んで連絡をした。

「続き、出来ました!お会いしてお話できますでしょうかー??」
「おぉ、ちょっと忙しいから3月末頃まで待ってくれる?」
「分かりましたー!では、それまでに出来る事を進めておきます!」

そう言って、私は、企画書の制作にも取り掛かった。
とにかく、使える時間の全てを、映画化の為に必要になるであろうものに注いだ。
プロモーションの時に必要になるだろう、と、SNSでの投稿を頻繁にし始めたのもこの頃。
気付くと、知らない人や外国人まで、フォロワーが5000人を超えていた。

身近な友達には、最初に主人に見せたのと同じ初稿を読んでもらい、レビューをもらった。
そのレビューを企画書にコピペして、ポジショニングマップ(※)までつけた。

※ポジショニングマップ:タテ・ヨコの2軸で作られたマトリクス上に自社・競合他社の製品・サービスを配置した2次元の図表。

更に、脚本を書く練習に、と、その時オフィスに置いてあった漫画の「透明なゆりかご」の第1話を脚本に書き起こしてみた。
それを、せっかく書いたのだから、と思って、知り合いづてに、作者の沖田先生にお送りした。
イメージは現実になるので、ドラマ化などを期待してファンレターとしてお送りします、と添えて。
その1年後に、NHKで本当にドラマになって放送された。

そして、自分の作品も、脚本を書き始め、バンコクの天空のバーをニノと一緒に出ようとしているあたりまで書いた頃、Y氏とのアポイントの日を迎えた。

***

「長い!」

山手通り沿いのデザイナーズマンションの1室、荷物が沢山詰め込まれたスタジオで、226ページに及ぶ脚本を読み終わった後、Y氏は言った。

「2時間の映画にするなら、120枚に抑えなきゃダメ。」
「えー、これまだ3分の2くらいなんですけど・・・。」
「そんな映画は長すぎて誰も観ないでしょ?」
「ですね・・・でもこれどこを端折ったらいいのか、私、分からなくてですね。」
「それは、プロの仕事だからアイちゃんはやらなくていいよ。原作は?」
「653ページになってしまいました。」
「長い!」
「これもどうやって編集したら良いのか困ってまして・・・。」
「とりあえず出版社を探さないとダメだね。」
「うーん、こんな長いの読んでもらえるんですかね。」
「みんな、そんなに暇じゃないからなぁ。」

うーん、と二人で考え込んでいた時に、Y氏が閃いたように言った。

「あっ、編プロだ!」
「編集プロダクションですか。」
「編プロに連絡してみなよ。それだそれだ。」
「分かりました!ママ友達が一人勤めてるって言ってましたんで、聞いてみます。」
「それだそれだ!頑張って。」

私は、そう言われて、頷き、マンションを後にした。
神田川沿いには、桜が咲き始めていた。

***

4月になって、私はオフィスで頭を抱えていた。

編集プロダクションに勤めるママの友達には、「ウチは出版社からの依頼しか受けてないんだよね。」と言われ、結局は出版社か、と様々な出版社に連絡をし続けた私。

映画用の企画書を、出版社用に作り直し、片っ端から大手と中堅どころに連絡をするものの、まず、企画書を受け付けてくれないのがほとんど。
やっと担当者の名前を聞き出した数カ所に、メールで送ったり、郵送したりしたものの、どこも話が進まなかった。

私は耐えかねて、K氏に電話をした。

「おぉ、あれからどうなった?」
「Yさんと編プロあたって、って話になりましたが、編プロも出版社も全然進まないんです。どうしたら良いんでしょう・・・。」
「お前、Yさんにアポイント取れよ。俺も行くから。」
「あっ、ありがとうございます!そしたら、決まったらすぐに連絡します。」
「おう、Yさんによろしく言っといて。」

私はすぐにY氏に電話をして、「Kさんがアポ取れって言ってるので、予定空けてください」とお願いをした。

***

沢山の荷物が少し片付いて綺麗になった、山手通り沿いのデザイナーズマンションの一室で、私が企画書を取り出したところで、K氏がやって来た。

「やぁやぁ、Yさん、久しぶり!」
「どうもどうも、Kさん、なんか目の病気だったんだって?」

薄い色のサングラスのような眼鏡をかけた、Y氏は、明るく言った。

「そうなのよ。俺、もうハーレー乗れないのかよー、って一時期スゲー落ち込んだんだけどさ。」
「もう大丈夫なの?」
「良い医者見つかって良かったよ。黄斑変性症って下手すると失明するからさ。」

Y氏が、ゾっとした顔をしたのを見て、K氏が言う。

「目が見えない人向けのコンテンツが少ないって事にも気付いたよ。探すの苦労するな、あれ。」

それを聞いて私が言った。

「ウチの主人の両親、盲目ですけどラジオ聞いてますもんね。」
「だよな!年取ってると、ラジオくらいしか無いよな!」
「映画にはナレーション付けたいですね。盲人用の。」

私がそう言って企画書を出すと、K氏とY氏がそれを受け取って、私に言った。

Y氏「で、編プロはどうだった?」
私「ダメでした。出版社も全然信じてくれないんですー。」
Y氏「だろうなぁ。」
K氏「こんな企画書なんてゴマンとあるからな。」
私「クラウドファンディングから映画スタートするんじゃダメですか?」

そう言って、私が企画書の添付資料を差し出すと、K氏とY氏が覗き込んだ。
以前、クラウドファンディングで集めた資金で制作した映画が公開された事例と、その時のニュース記事の抜粋だ。

私「まぁ、これは予算的に数千万円程度のレベルなんで、今回の企画には足りないとは思いますけど。」
K氏「何、予算いくらくらいって踏んでるの?」
Y氏「それは俺が教えたんだけど、3億から6億あればいけそうな内容。」
K氏「先に誰が金出すかって話だぞ、結局は。」
私「主演と助演のキャストは、絶対外せないので、この二人のギャラだけでもかき集めるんじゃダメですか?」
Y氏「いやいや、それは、あっちがやるって言ってくれなきゃ無理だよ。」
K氏「そうそう。あっちの知名度利用してちゃダメなのよ。」
私「相手にもお金以外のメリットが必要って事ですか。」
K氏「まず、本を気に入るかどうかだしな。」
私「うーん、であれば、やっぱり本が先って事ですか。」
K氏「まぁ、お前のこの企画書の通り、ニワトリ卵な話にはなるんだけど、やっぱり本が先なのよ。」

私は、散々連絡しているのに、ほとんど無視されて返事の無い出版社に、まだなんとかチャレンジしないといけない事に、嫌気が差しながら言った。

私「出版したら、本当に映画にしてもらえます?」
K氏「当たり前じゃないかよ!俺らは頭下げてお願いする立場だぞ?」
Y氏「先生、映画を作らせてください、って言うのは俺たちなんだから。」
K氏「そうだぞ、お前が出版できたら、俺らはお前の事『先生』って呼ぶ事にになるんだぞ?」

二人に畳みかけるように言われて、諦めかけていた私の心に火が付いた。

私「分かりました!じゃぁ、もう一回出版あたってみます!」
K氏「おう!頑張れよ!」
Y氏「アイちゃん、ホント頑張って。俺、16歳の頃から応援してるんだから。」
K氏「あれ、Yさん、そんな前から知ってるの?」
Y氏「最初にテレビで取り上げた時のディレクターよ、俺。」
K氏「お前、やっぱ持ってるなぁ!あれから何年経った?」
私「20年ですね。」
K氏「俺らも歳取るはずだよなぁ。」
私「いやぁ、お二人とも、更に偉くなってくださっていて有難いです。ははは。」
Y氏「アイちゃん、大人になったねぇ。」

そう言いながら、マンションを出ようとした時、K氏が振り返って私に言った。

「これが出版できたら、お前、本物だよ、本物。」

私は「はい!」と元気よく返事をした。

異変

それから、もう一度、出版社をあたり始めた私は、SNSでも大々的に出版してくれる人を探していると伝え始めた。

その流れで、クラウドファンディングの担当者と電話をした時に言われた。

「僕、元々出版社にいたんですけど、編集者のほうが企画を探しているはずなんで、あっちから声がかかるんじゃありませんか?」

「ですよね!普通そうですよね!」と相槌を打ったものの、連絡が来るのは、先に金を払え、という話ばかり。
しまいには、詐欺師のような出版プロデューサーが現れ、企画書のブラッシュアップに月3万円のコンサルティング費用を請求された。9万円払ったところで、企画が通るのはいつだ、と詰め寄ると、一方的に契約を破棄されて逃げられた。

業を煮やした私は、自分の知名度の無さが原因だと悟り、音楽活動を再開した。そして、それをSNSに投稿していった。
作詞作曲家としてはメジャーデビューした事があるから、JASRACに連絡すると「先生」と呼ばれた。
でも、今欲しいのは、そっちの先生じゃない・・・。

朝から晩まで、あちこちに連絡をして、呼ばれるところにはノーと言わずに全て行くようにした。どこにどんな出会いがあるか分からないから。

SNSにアップする為に、なるべく写真や動画を撮るようにもした。
家族と一緒に居られる時は、子供たちの写真や動画を撮り、移動中にそれを眺めた。

今の私の生活の仕方だと、いつ倒れるか分からないくらい忙しかった。そして、自分の身体の事が一番後回しになっていった。

そして、とうとう限界が来た私は、2017年6月5日、入院する事になった。

【入院になりました】 【I was hospitalized】 金曜日の夕方から熱が40度以上になり、 週末ずっと続くからおかしいな、と病院へ来たら、 即入院になりました… The heat got over 40 degrees...

Posted by 森川 愛 on Monday, June 5, 2017

第13話へ続く
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