マガジンのカバー画像

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと

9
一日一組しか受け入れない「森の黒ひげBar」と呼ばれる宿での、旅人と黒ひげ親父との語らいをお送りします。
運営しているクリエイター

記事一覧

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第八夜

「最近、仕事はどうだ?」 私は、思わず黙ってしまった。黒ひげBarに入るなりマスターにこう聞かれ、しばし返す言葉が見つからなかった。 事業構想大学院を卒業して以降、従来勤務している職場での業務はむしろ充実感を増していた。部下のマネジメントやモチベーションの維持も以前よりはできるようになり、また、自分が関わる各プロジェクトの形成では、大学院で学んだことも(部分的にではあるにせよ)活かして、少しずつではあるが、従来できていなかったこと、こういうことをやってみたいと思っていたこ

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第七夜

森の黒ひげBarは、深い樹々の香りと、虫の声に包まれていた。 それだけで、心が鎮まる。 僕は、森の黒ひげBarのおやじを訪問することを決めてから、その前は海に潜りに行こうと計画していた。屋久島の海は二回目、珊瑚も魚たちも大きく育っていて、われわれダイバーがじっと見ていると、好奇心の強い魚たちが寄ってきて、やはりじっと見てくる。別の世界からきた生き物に、彼らは寛大だ。 おやじとの語らいは、そんな雑談から入る。渡嘉敷島で仲間たちとすっぽんぽんで泳いだ記憶などを話してくれる。ま

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第六夜

六人目の旅人の話:秋のある夜 ガサガサガサッ。 背の高い草をかき分けると、その向こうにぼんやりと小さなオレンジ色の炎が燃えていた。真っ暗な空には、月が、冴え冴えとした光を放っている。少し肌寒い秋の夜、小さなたき火の放つあたたかさに引かれるようにして、あたしは一歩一歩近づいていった。が、途中でぎょっとして立ち止まった。 たき火の傍らに置かれた大きな丸太に、ひとりの人間が腰かけていた。 髭面の男だった。彼は、文字通り藪から棒に(もちろんあたしは棒じゃないけど)突然現れたあた

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第五夜

五人目の旅人の話:2022年5月30日 『心に響く、五つのドスン』 マスターと差しで飲む楽しみの一つは、どんな球を投げようが、キャッチ&すかさずドスンと重い球が返ってくるところにある。一刀両断!痛快!これが私に効くのだ。その時湧いてきた球を取りだして時間の許す限りキャッチボールにお付き合い頂いたので、備忘録を記す。 ドスン1「誠実たれ!」  モノゴトの本質を捉えて、かくあるべきが、「それは変です。道理が通らないのでは?」と不信が湧いたとき、「ここがおかしい。私はこう考え

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第四夜

四人目の旅人の話:2022年5月10日 黒ひげ先生は森の中。 コーヒー持ってお邪魔しました。 その日、私はいつも以上にバタバタしていて、約束の時間に遅れてしまいそうで、慌てて森の中を進んだ。森の闇の様子を見たり、音を聞いたりする余裕はなく。 黒ひげ先生はゆったりと現れて、流れている空気や時間が、いつも慌て気味の私とは明らかに違う。それで、私は自分がかなりのせっかちで、毎日時間に勝手に追われていて、何のために生きるのか考えたことがないし、遠い先の目標が持てないということを

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第三夜

三人目の旅人の話:2022年5月2日 生きることは、旅すること。確か、美空ひばりが歌っていた。 人生を旅や道のりに例える人は多い。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と力強い宣言に至るものもあるが、その大半は長く曲がりくねった旅路の迷いや悩み、また、それを乗り越えるための勇気を伝えようとするものだ。 屋久島の深い静かな森の宿にあるこのバーは、いつの頃か「黒ひげ先生」と呼ばれるようになった還暦間近のオーナーが一人で営んでいる。客の大半は一人で訪れ、ロッジの横の焚き火

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第二夜

二人目の旅人の話:2022年4月某日 今年はどのような新しいトピックをもって黒ひげ先生に会いにいくべきか。黒ひげBarという宿に通い始めて今年で5年目、訪れる前に毎回頭を悩ませる。 1年目、夢叶って海外留学から帰国した私は、風を切って細い道をずんずん歩き、黒ひげBarのドアを勢いよく開けるなり、焚火にあたりもしないうちに先生に話し始めた。異国の地で見聞きし、考えたこと。刺激と内なる変化。その頃の写真は今でも手元にあって、自信満々でそのギラギラとした眼差しが恋しくなる。人間

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第一夜

一人目の旅人の話:2022年4月10日 黒ひげ先生との出会いは、自分の会社の講演会に来ていただいたことがきっかけ。その縁もあり、今日は屋久島の深い静かな森に旅人として訪れている。 ロッジの横にある焚き火の前に座り、買ってきた缶のハイボールに口をつけると、黒ひげ先生は「最近、仕事はどう?」と話題をどうしようか困っている私に話しかけてくれた。 自分は某自動車メーカーのグループ企業に技術系で就職し、途中で8年間労組専従を経験し、現在はTQM(Total Quality Mana

屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:プロローグ

鹿児島から船で屋久島に向かうと 見える景色がある。 船から見える屋久島は、 島全体が緑の山々に囲まれた要塞の様なのだ。 「もののけ姫」を観た人は、 右手に見える屋久島電工の工場がたたら場に、 そして左の山々が、 もののけの森に見えるかも知れない。 実は、ここに見える山々は、 前岳と呼ばれる1,000メートル程度の低山であり、 その奥に九州最高峰の宮之浦岳をはじめとして、 永田岳、栗尾岳などの奥岳と呼ばれる高山が控えている。 さて、宮之浦の街から、 白谷雲水峡に向かって