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屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第五夜

五人目の旅人の話:2022年5月30日

『心に響く、五つのドスン』

マスターと差しで飲む楽しみの一つは、どんな球を投げようが、キャッチ&すかさずドスンと重い球が返ってくるところにある。一刀両断!痛快!これが私に効くのだ。その時湧いてきた球を取りだして時間の許す限りキャッチボールにお付き合い頂いたので、備忘録を記す。

ドスン1「誠実たれ!」
 モノゴトの本質を捉えて、かくあるべきが、「それは変です。道理が通らないのでは?」と不信が湧いたとき、「ここがおかしい。私はこう考える。」と権力を持つリーダーや組織の中で異論を呈するにあたっての返球だった。

リーダーに、組織のために、そして己に誠実であれば、摩擦を避けて腑に落ちないままやり過ごすことはできない。「言い過ぎるから控えるべきかなぁ」と多少迷いがあった。「感情をぶつけても深化はない。誠実に想いを伝える術は?」確かに、そこを磨くべきだなと肝に銘じた。


ドスン2「そんな組織は無くせばいい!社会のためにならない」

 16年継続している、今はNPO法人になっている事業がある。全国規模で学校に出向く仕事を請け負っている。その時々の代表の経営方針に従えない者は何も言わずに去り、残る心優しい人たちが活動してきた。

 全国展開前に市の委託を請け負った私は、その責任を果たすことと子どもたちの成長の一助となるために、講師資格を得た後進の道を拓き繋がりながらサポートしてきたが、今となって組織運営陣の発展の見えないルール作りに辟易し、腑に落ちない事柄が多くなってしまった。苦言も無駄だし「現場と実施メンバーを守る!」と決めて継続していた。確かに執着は手放せばいい。社会のためにならないは効いたなぁ。仕舞い方を考えてみるかと思った。

「もしくは覚悟を決めて、儲けはなくても本質に沿った事業を新たに信頼できる仲間と構築する手段もある」と提示があったが、他にやりたいことを投げ打ってまでの意欲は湧かない。


ドスン3「失っただけで終わらない」

 不本意な環境にストレスを抱えながら身を置き働いて、未来の自分はそれでいいのか?飛び出した時、収入はなくなり後ろ盾もなくなる。しかし、捨てたからこそ手に入ることが多大にあるというマスターの実体験は説得力がある。自分が身を置く所は決めることができるのだ。その先には想像以上の世界が拡がる可能性がある。変化を怖れないことは重要だ。
 

ドスン4「パートナーの存在は生きる力になる」
 私の強みは、人とのコミュニケーションの多様性。特に影響力のある個性的かつ尊敬に値する才能ある人物たちに興味関心を持ち、理解と共感を味わい、信頼の構築の仕方を経験し、活動の場を展開してきたところにある。

英雄色を好むとはよく言ったもので、色気のある人は活力がある(一種の愛なのでわかりやすい)。平和な家族の存在がある、尊敬し合えるパートナーや理解者を得ている場合もあるが、そういう人は、どこかに余裕を感じさせながらさらなるチャレンジを続けている。趣味を楽しむ時間まで惜しみ仕事や理想に向かう人は、他者から「すごい!けれどモデルか?といえばそうなりたいと思わないな。」と見られていないだろうか?もちろん非愛情体質のケースも認めるところで、その人が納得して満足そうであればモデルとなって然り。

動物愛、人類愛、二次元の愛等、満たされているのであれば、愛が存在する。ここに結論はない。人にはどんな形であれ「愛」が必要だと思う、私には大切な個人的興味の話をマスターとしてみたかっただけである。


ドスン5「スタートアップは9割失敗を経るか継続しない」

 シリコンバレーの活性と成長に触発されて、昨今世界のスタートアップ支援事業に視線が集まる。愛知県も乗りだして、場づくり人材育成が始まっている。場所をつくればいいのか?エンジェル投資家とは?チャレンジャーな事業で資金回収できるのか?身をもって触れていないので、多くの疑問が湧きマスターに尋ねてみた。

「流行のように行政もサポートの機会を立ち上げるが、スタートアップで継続できる事業は、小さなお店も含めほんの一握り。でも何もしないより動く方がいい。失敗して次が見えてくる」新しい事業を生み出すには講釈不要。チャンスを掴んでとにかく動くしかないのだ。


疑問には体験談や現実を、モヤモヤには本質をちりばめてくれるマスター。すかさずのドスンはどうして瞬時にひねり出されるのか?
それは彼が、どんな仕事に取り組んでいるときも(大きくても小口でも)、ゴルフ、走ること、ボランティア、行動を決めれば文字通りの全力を注ぐ体質であり、だからこそ物事の真実、道理にたどり着くのだと感じ得た。

頑固なほどメンターは限られるので貴重な時間がありがたい。屋久島の静かな夜が漆黒に包まれる中、私の進む道は視界も心もクリアになった。「楽しく行こう!」背中を力強く押してもらって、黒ひげBarを後にした。


2022年5月30日(月)
ストイックじゃないけど動くX

「愛があったらいい」

人のエネルギーは、どこから湧いてくるのだろう。

彼女は、エネルギーの塊のような人であり、
僕からみても周りに人を巻き込みながら、
人生をとても自由に、
楽しく生きているように見える。
僕の中のエネルギーの何倍も持っているのである。

そんな彼女でも、
もやもやと悩みを抱えていることに
驚きを感じながらも、
「当然のことであるか」と思い直した。

多くのことを話したのだが、
愛について語れたのが楽しかった。

愛というより、信じ合える人がいること、
心を吐露でき語れる人がいること、
側にいてくれる人がいること、
要は人は一人では寂しく孤独だということであり、
側に人がいることで救われるのであるということについて。

会社で、新しい事業を創るために
戦って孤独を感じている時に、
そして多くの誤解や中傷を受けた時に、
よく会社の先輩に声をかけて
飲みに連れていってもらった。

飲んで、話を聞いてくれることで、
心が救われたのだ。
そんな先輩がいることが
とても幸せなことだったと、今は思える。

その一人にいつも言われたことは、
「サラリーマンと言うのは、
如何に楽をして給料をもらうかの職業で、
そんなに一所懸命、真面目に働いたらダメだ。
サラリーマン失格だ」
と笑われながら怒られたものである。
要は、そんなに突っ張らないで
「肩の力をもう少し抜いたらどうだ」と
伝えたかったのだろう。

今もお会いすると、
「働いている暇があったら、もっと遊べ」
と諭される。
自分のために使える時間は、限りがあるんだよ
と言うことなのだろう。

今は、ボランティア的なことも含めた仕事と
自分のための時間が、いい按配で使えて、
肩の力が少しは抜けていると
自分では思っているのだが、
会う度に「まだまだ」と諭されるものだ。

落ち込んだ時、
そして行き詰まった時に、
側にいる人に感謝しつつ、
また、嬉しい時にも一緒に喜んでくれる人が
一人でもいることに感謝しつつ、
今日もふらふらと旅をしている。

側にいてくれて、ありがとう。

森の黒ひげBarより



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