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第六話「前に進まないとゴールには決して辿り着けない。そして、なぜ、僕は走るのだろうか?」

時折、誤解を受けていると思うのは、僕の趣味が走ることだと思われていることである。確かに、日々、走っているし、コロナの最中では、ほとんどの大会が中止か延期になったが、それまでは年に何回も、ロングトレイルやウルトラマラソンの大会に出てきたのだが。


2018年4月、僕は「UTMF(Ultra Trail Mt. Fuji)」のスタート会場にいた。富士山一周、100マイル、170キロの挑戦だった。その2ヶ月半前に、「胸腺腫」と言う腫瘍切除の手術をしての挑戦であり、あえなく50キロでリタイアしてしまった。「もう少し長く走れたのかもしれない」とリタイアしたレース後、❌のついたゼッケンをみて悔やんだものである。


2020年、2021年の開催中止を経て、2022年4月に漸く開催される「UTMF」の会場に立つことになった。コロナで多くの大会が中止もしくは延期される中で、弱ってしまった足腰を鍛え直したのだが、100マイルを走り切る自信も無く、「KAI」と言う69.4キロ、獲得標高+3,675m−3,668mのレースに参加することとして、抽選で当選し、再び参加することになったのである。


前日に行われる受付では、ワクチンを接種していても、会場に入る前に入り口で抗原検査を受ける必要がある。更にその前に、体調のチェックと毎日の体温を、2週間前からシートに記入する。

富士山麓入りする日の昼ごろから喉がイガイガしはじめる。そう考え始めると、何となく体がだるい気もしてきて、もしかしてコロナか?抗原検査で引っかかるかも…などと妄想が始まる。上京してきたのが、一週間前、その間の行動を考えても、うつる要素が見つからないのだが、急に心配になりドキドキし始め、行きの車の中で、もし走れなければ、それは「無理をするな」と言うことなのだろう…と自分に言い聞かせていた。

ホテルから、スタート地点でありゴール地点でもある、受付会場までの2キロの道を歩いて向かう。入り口に抗原検査の最初のゲートがある。ここを突破しないと、会場にすら入れないのか…と思う。キットを受け取り、左手の鼻に綿棒を入れて10回転して、右の鼻にも入れて10回転。その綿棒を液に入れて、判定キットに3滴垂らす。すると白い判定の部分がどんどんピンクに染まっていく。最初の判定ラインを超えて、陽性の判定ラインの部分もピンクに染まっていき、「アウトか?」と思って見ていると、最初のCの部分に一本の赤い線が浮かんできて、Tの部分には何も出てこない。10分経って、判定係の人にキットを見せて、腕に白いテープを巻いて、漸く会場に入ることができたのである。

その後、ゼッケンを貰い、ヘッドライト、緊急避難時の安全キット他、必携品の手荷物検査を完了して、腕に参加者のバンドを巻いて貰い受付を完了。会場内に出店している、多くのトレイルランに関連しているスポーツショップを覗いて、少し買い物をしてホテルにもどったのである。

さて、当日は、晴天、寧ろ気温の上がりすぎが心配になるが、長袖で。会場の多くの人は半袖であるが、ゴール時の気温は10度を切るだろうし、20時間の長丁場と考えると長袖で走ることとした。日が暮れるまでの40キロは、富士山の景色を楽しみながらも、あまりに登り降りが続くキツい坂道では、一体あといくつ山を登れば良いのだろうか?と思う一方で、いつかは次のエイドに辿り着くはずと前に進み続けるのだ。結局、その繰り返しなのである。前に進まなければ、決してゴールに辿り着けない。どんなにカメのようにゆっくりでも前に進んでいる限り、ゴールに辿り着けるのである。

夜になり、杓子山に向かう。ここが1番の難所であり、救いは暗闇で前が見えないことだ。暗闇の中をヘッドランプの頼りない光で照らしながら、いつ辿り着けるかも分からぬまま、ひたすら急登を登る。あまりにも急な斜面のため、鎖を辿り、四つん這いになり両手両足を使い這いながら登る。高度800mから1,600mまで一気に登るのである。

悪夢の中のようだ。真っ暗な闇の中を登っていくのだけど、いくら登っても登っても終わりが来ない。しかしいつかは頂上に着くのだ。登り切ったところで、振り返ると街の灯りが見える。これからは、急坂を降っていくのであるが、一つ遠くまできたというか、まさしく大きな山を越えた感がある。

長距離を走ることで、一番辛いのは、脚が悲鳴を上げることより、胃腸がやられてしまうことである。人間は、車と同様にエネルギーが無くなると途端に動けなくなる。「脂肪がついているではないか」と思われるかも知れないが、1日に消費できる脂肪の量は限られており、1時間ごとに補給が必要となるのだが、胃がやられてしまうと口に入れても体が受け付けず、吐いてしまうのだ。更に、吐き気で水分も取れなくなってしまうのである。そして今回も55キロを過ぎて、「ハンガーノック」になってしまったのである。

2018年の「上州武尊スカイビュートレイル」の時は、残り20キロのエイドで、気持ち悪さのため休んでしまい、そして十分な時間があったのにリタイアしてしまった。そして、自分の意志の弱さに自己嫌悪したのである。

今回は、最後の富士吉田のエイドで楽しみにしていた「富士うどん」を食べることはできず、辛うじてコーラでバナナ一本を体に吸い込ませて、前に進むことにした。吐き気は治らず、「口に水を含んでは、吐いて」を繰り返し、わずかな水分を吸収しながら残り15キロのゴールを目指したのである。
足は元気なのに、エネルギーと水分を補給出来ず、それでも暗闇の中を前へ前へと進み、そして、どうにかゴールに辿り着いたのである。

さらに3週間後には、奈良の吉野山の金峯山寺から和歌山の高野山の金剛峯寺まで、弘法大師さまが1200年以上前に、南に一日、西に二日をかけて高野山を見つけ開山された道を走る「Kobo Trail~弘法大師の道~」に参加したのであるが、その1週間前には梯子から落ちて脇腹の骨2本にヒビを入れてしまっていた。途中でリタイアすることも覚悟で、テーピングで押さえて参加した。

ひたすら苦しさを感謝の気持ちで乗り越えながら、走ったというか歩き続けたのである。ここに参加できていること、走れること、生きていること、多くの人に助けられていること、自然に生かされていることなど、感謝することにはこと欠かない。そして、金剛峯寺の根本大塔に辿り着き、お賽銭を入れて完走したのである。

そして、今週、「いわて銀河ウルトラマラソン」の50kmの部を走って、疲れた足や体を玉川温泉で湯治しながら本文を書いている。玉川温泉と湯治については、改めて、皆さんにお伝えしたい。死を意識し、それでも生きる希望を捨てずに、御座を敷き、体を岩の上に横たえている人のことを語るには、旅人の僕の心は、まだ十分な勇気も覚悟も無いからだ。

さて、「人は、何故走るのか」である。

深夜の真っ暗な森の中を一人進んでいると、まるで修験者になった様な気持ちになる。最初は、熊に襲われないか、道を見失わないか、いつゴールにたどり着けるのか、体が痛い…などの邪念が襲うが、ひたすら一歩を繰り出すことで、自己に対峙して、途中から心が無になって前に進んでいく。

そして、ゴールに着いた時に、どうにかたどり着いたと言うか、一つの仕事をしっかりやり切った後の、安心感と充足感が心を満たす。
何か心がぽかぽかと温かなものに包まれて、「家に帰ろう」と思うのだ。

そして、それから暫くは、「限界は無くなんでもできるのでは無いか」という自信の様な気持ちや挑戦する気力が湧いてくるのである。

「BORN TO RUN」という本によると、人類は動物の中で最も長い距離を走れる動物であり、走ること、即ち走り続けて動物を追い詰め、狩をすることで生き抜いてきたDNAを持っているのだそうだ。

さて、僕は、そして人は一体何のために走るのだろう。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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