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第40話「出羽三山の旅」

いつか行ってみたい場所の一つが
出羽三山であった。

月山神社本宮は、
7月1日から8月末までの
夏の時期にしか開いていないので、
屋久島の宿を休んで行くことも憚られ
行けなかったのであるが、
とうとう出羽三山の旅に出た。

月山の神の遣いは「うさぎ」であり、
今年は卯年の御縁歳のため
12年ぶりのご利益があると言う。

果たして、12年後に三山を
踏破する体力が残っているか分からず、
お参りする覚悟を決めたのである。

羽田からおいしい庄内空港まで1時間弱、
バスに乗って鶴岡駅で乗り換えて、
羽黒山に向かう。

どこまで見ても広がる庄内平野の先に
月山がある。

月山から来る雪解け水が一面の平野を潤し、
米や野菜そして多様なフルーツを育む。
とても実り豊かな土地だ。

さて、三関三度、
羽黒山で現世、
月山で過去(死後の世界)
そして湯殿山で生まれ変わり(未来)
を果たすのだが、
面白いのは、羽黒山山頂の出羽三山神社は、
月山、湯殿山、羽黒山の
三つの神さまの合祭なのである。

これは、冬の間、月山、湯殿山が
雪に閉ざされてしまうかららしい。

出羽三山神社

羽黒山の参道の入り口の隋神門から
出羽山神社を目指して
山頂に登って行くのであるが、
途中にとても沢山の神社の社があり、
多くの神様が祀られている。

一つの社に、いく人もの神様が
祀られているものもあり、
日本中のあらゆる神様が
祀られているようである。

今年は、地元の人にとっても
記憶に無いほどの日照りで、
月山の頂上にある
月山神社本宮では水不足のため、
人を減らしており
お祓いができない。

更に毎日の晴天と
36度以上の猛暑が続く中ではあるが、
偶々僕らが月山を登り、
湯殿山に向かうその日だけ
山は真っ白な霧に覆われ、
時折雨が降るのであった。

月山からの庄内平野を見る風景は
さぞかし素晴らしいだろうと思いながら、
五里霧中の中をひたすら進む。

その分、涼しいと言うか
頂上では震えがくるほど
寒かったのである。

月山の八号目からの登りは、
比較的なだらかなのだが、
湯殿山に向かう降り道は急勾配で
かつガレているため歩き難い。

これも修行の一環の様な気持ちで
湯殿山を目指す。

湯殿山本宮に近づくと
最後の難関として長い鎖場が続く。

鎖場

そして、湯殿山神社本宮が見えてくる。

湯殿山本宮は、
温泉が湧き出る小さな山が御神体であり、
お祓いを受けて、裸足で御神体を登り
生まれ変わるのである。

さて、塾生の課題として、先日、
「大切なことば一つを教えてください」とあげたのだが、
高橋洋史さんから一週間考えた上で、
「いただきます」「ごちそうさま」
の言葉に行き着いたと言う
回答を受け取った。

この言葉がとても腹落ちしたのである。

修験者とともに宿坊で、
精進料理を頂くのであるが、
高野山の宿坊の
非常に趣向を凝らした精進料理と比べて、
出羽三山の精進料理は山菜が中心の
いたって質素な料理であったが、
その一つ一つに相当の手間が
かかっていることを感じることができる。

出羽三山の精進料理

蕨を春に摘み、煮て灰汁を取り、
乾かして塩漬けにしたものを、
もう一度水に浸して余分な塩分を取り
煮て味付けをして出すのである。

栃餅などは、栃の実から作るのに
30以上の工程がかかるらしい。
それらの料理を一口ひとくち味わいながら、
自然の恵み、人の営み、
そしていま生きていること、
生かされていることに感謝して、
日々発せられる
「いただきます」と「ごちそうさま」
の言葉に込められた意味を
改めて肌で感じたのである。

最近、一人で外食することも多く、
食事の際に「いただきます」は言わなくなった。

お店を出る時に、
「ごちそうさま、美味しかった」とは言うのだが、
それはお店の人への感謝の言葉であり、
自然恵み、人の営み、食べて生きていることの
幸せへの感謝とは違うのである。

これからは
「いただきます」と「ごちそうさま」を、
感謝を込めて言うことにしようと
思うのであるが、
つい忘れがちになってしまう。

習慣とは恐ろしいものだ。
それでも、いつか手を合わせて、
「いただきます」
「ごちそうさま」
を、ふたたび習慣化して、

生きていることを食べる度に、
感謝できるようになりたいと思いながら、
「おいしい庄内空港」より
帰路に着いたのである。 



おまけ:

山を降りて加茂水族館にも寄ってきた。
クラゲで有名な水族館であり、
学芸員さんからのクラゲの講義を直接聞く時間があり、
クラゲの生態について少し学ぶことができた。

クラゲは、ひらひらしているが、
自ら移動することはできず、
また脳も無いため考えたりすることもなく、
波に任して、なすがままに生きて
約一年で成長して死んで行くとのこと。

その間にプランクトン、
小魚やクラゲをバクバク食べて大きくなる。
テレビでピカピカと光っているクラゲを
見ることがあるが、
実は自らは光ることができず、
撮影の光を反射しているらしい。

加茂水族館のクラゲ


さて、自分も考えている様で考えておらず、
人の波間にのまれて、
時に周りの光に反射することもあるが、
ひらひらと生きている様なもので、
クラゲの様なものかも知れないというか
何も考えないで生きる
クラゲの様に生きたいとふと思った。

それは、単に怠惰な心の声なのかも知れないが。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

 

 

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