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【続超訳・深読み歌詞考察】フリースタイルピアニストけいちゃんの幻想即興曲アレンジ動画考察と感想と想像の世界

けいちゃんがショパンの幻想即興曲に英詩をつけてアレンジした曲が好きすぎて動画の考察と感想と想像が止まらないので続編なのである。


〈けいちゃんの元動画コチラ↓〉


〈英詩の超訳と歌詞考察の第一弾コチラ↓〉


〈やっぱりどういうシチュエーション?〉

動画の始まりはというと…
住宅街の道端で唐突にピアノ弾いている
いかにもストリートミュージシャン
売り物のCDとかも置いてない
チップを入れる帽子とかトランクとかもない
お代を手渡しするしかない女子高生(前払い)
ピラっと万札を出す
風に揺れる諭吉の顔
しかし「要らない」とそっけないお答え
ショックで固まる女子高生

やっぱりそのなんだ?
ピラっとした万札の出し方がお気に召さない?
「私の為だけに」て他に観客いないのに
なんか"ほら私をよく見て?"の圧が…

アレぇぇぇ!?
ほら見て」(JKだよ)
ここにいるよ」(諭吉だよ)
あ、そう?
そう繋がるぅ?

私の中で何と繋がったかというと只今絶賛発売中のけいちゃんの3rdアルバム"円人"に収められている『愛葬feat.majiko』の中の印象的な歌詞
「ほら見てここにいるよ」とリンクしてしまっ…

今はそれはいい。本題に戻ろう。

諭吉を要らないと言ったがしかし!
結局は目の前の1人の観客に対しスペシャルな演奏をしてしまうのはピアニストの性なのか!
いきなり幻想の世界に引きずり込み背景まで真っ白に変換し…
いや元々この世は全て幻想なのだから幻想の世界のそのまた幻想の絵の中の絵の中の絵、劇中劇みたいな構造。

きっとそんなシチュエーション?

〈『愛葬feat.majiko』MVはコチラ↓〉


〈心臓の鼓動はもしかして…〉

象徴的に何度も出て来る心臓の鼓動
もしかしてこんな意味もあるのかと考えてみた。

動画の中では心臓が鼓動を刻み
やがて本棚のスキマのような場所が見えて
モノクロの森の中へ続く道が現れる。
樹々がハートの形を作っている。
道を辿るといつしか教会のような場所となる。

そういえばショパンはパリの墓地に埋葬されたけど遺志により心臓だけが祖国ポーランドの聖十字架教会に保管されている。

教会に保管されているショパンの心臓はコニャックに漬けられ密封されている。
つまりパリの墓地の身体は土に還っただろうが
故郷に帰った心臓だけは未だ形を保っている。
心臓の鼓動が‪リズムを刻んでるのは死後175年を
経てもショパンの音楽は世界中で愛され多くの人の耳でリズムを刻んで息づいているという意味も含んでいるのではないか?

〈愛葬ちゃんとジョルジュ・サンド〉

さらに想像を広げてショパンの恋人だったジョルジュ・サンドと『愛葬feat.majiko』の世界観との繋がりを考えてみた。

ジョルジュ・サンドはショパンより6歳年上の女性。貴族と結婚し2人子供を授かりながらも別居して(カトリック教徒なので離婚は出来なかった)当時のパリの社交界に男装をして乗り込み、"ジョルジュ・サンド"という男性名のペンネームで小説を書き様々な人々と交流した人気者。
錚々たる人物達と恋愛模様も繰り広げていた。

そんな中ショパンと出会い10年もの間恋人として一緒に暮らした。
恋人ジョルジュ・サンドとの別離から2年後
ショパンは39歳で亡くなった。
サンドは葬儀に来なかったのは有名な話。

もしかしてショパンが死んだ事を受け入れていなかった?信じてなかった?
葬儀に参列したら死を認めることになるから。

これって『愛葬feat.majiko』の主人公の女性(以後"愛葬ちゃん"と呼ぶ)にイメージが重なる。
けいちゃんご本人がこの女性はわがままなタイプで恋人の死を受け入れる事が出来ていないという設定をしたと語っていた。

サンドがショパンの葬儀に来なかった話がずっと腑に落ちなかったのだが愛葬ちゃんのように相手の死を認めず受け入れていなかったとしたら?
と考えてみた。だとすれば納得がいく。

死んだなどと信じていないのだ。
生きていてまた美しい音楽を奏でるはずなのだ。
或いはその音楽の中に彼は生き続けているのだ。
葬儀?そんなものあるわけない。
わがままというより我が道を行く勝気な女性。
色々あって疲れ果て別れたのだとしてもショパンの音楽までイヤになるなんて考えにくい。
真相はもう誰にも分からないがそんな風に考えてみるのも面白い。

〈引っかかっていた"a bit"の表現〉

けいちゃんアレンジの幻想即興曲の英詩
曲の最後の2行で出てくる"a bit"という表現が引っかかっていた。何か仕掛けがあるのではと。

「Let's rest a bit,then move on.」
ちょっぴり眠ったらまた先へ進もう

「We can find a bit hope in our fantasy.」
ボクらの幻想にもわずかな希望は宿ってるんだ

少しという意味合いにわざわざ"a bit"
という言葉を使ったのには意味があると思う。
女子高生の瞳の周りのカタカナや数字羅列が映画マトリックスシリーズの AIが作ったコード表示に似ていると第一弾で語った。
つまりこの世は幻想、仮想現実という前提条件。

パソコンの32bitとか64bitとか言えばピンとくると思うのだが"a bit"は元々"少し"という意味の言葉であると共に情報データ処理数の最小単位
"a bit"=1bitでもある。
そこに2重の意味を掛けているのではないか?

映画マトリックスのように考えてみると…

"人間は眠らされている"
"この世という幻想の夢を見せられている"
"この世はAIがコードで作った仮想現実世界"
"a bitは仮想世界を作る情報コードの最小単位"

ここら辺が何を言ってるかさっぱり意味不明
という方は是非映画マトリックスをご覧いただきたいと強くオススメする。
私の個人的趣味全開で本当はけいちゃんがマトリックスシリーズを見ているかそれを意識したのかすらも分からない。
でも是非お伝えしたいのだ!(突然の情熱)
黒の背景に緑の反転したカタカナや数字の羅列が明滅しながら縦に上から下に流れていくイメージ画像を見た事がないだろうか?
アレの元々は映画マトリックスですよという事を声を大にして言いたい!(マトリックスの大ファンもはやマニアあるいはオタクより)

そんなわけで

「Let's rest a bit,then move on.」
ちょっぴり眠ったらまた先へ進もう

rest a bit=ちょっぴり眠る
と訳してみたのは
・輪廻転生の生と生との間の休憩時間
・restに安らかに眠るなど遺体が横たわるの意味もある
という理由から。
だが待てよ?restには置くという意味もある。

「Let's rest a bit,then move on.」
情報コードは脇に置いておこう(仮想現実の夢を見るのはやめて)もっと先へ進もう

という解釈も出来るか?
そうなると最後の1行の深読みの辻褄が合ってくるので聞いて欲しい。

「We can find a bit hope in our fantasy.」
ボクらの幻想にもわずかな希望は宿ってるんだ
↑これが第一弾で訳したもの。

a bit hope=わずかな希望と訳したけれど
こちらもAIが作った仮想現実を形作る情報コードの"a bit"だと考えると少し趣きが違ってこないか?

"ボクらの仮想現実の幻想にわずかな希望がある=わずかだけれどコードを変えて幻想から目醒める突破口がある"

というように!(鳥肌)

「先生!質問です!」
「ハイぴいちゃん、鳥肌に反応して出てきたんですか?どうしましたか?」
「コードを変えて突破口を破り幻想から目醒めて仮想現実を抜け出たとします!」
「抜け出たとします。で、そのココロは?」
「輪廻転生から抜け出て…つまり輪廻転生が無くなっちゃうと…つまり円のように→EntranceからExit→を輪廻転生のようにリピートする"円人"の世界観のコンセプトはどうなりますか?」
「…ぴいちゃんその答えはきっと」
「きっと?」
「円人ライブを見ればわかる!」
「ぴい!!」

この幻想即興曲の世界が"円人"以前か以後か
そんな2択ではなくて答えは無数に分岐して広がる。きっとけいちゃんは色んな答え色んな可能性
様々なストーリーを込めているのだ。

果たして輪廻転生から抜け出す説のその後はどうなるのだろう?
希望の光に向かって指揮する後ろ姿を見ると明るく新しい未知の世界のようなものが感じられる。
だが突如ギターを持ち出した後に指揮せずにちょっと止まっていたり?
Let's rest a bitを自ら体現しているのか?

これが壮大な伏線でフラグだったとしたら
けいちゃんは"円人"ライブで回収してくれるだろうか?

期待で心臓の鼓動が鳴り止まない!

というわけでつまりはコチラ↓



長々読んで下さりありがとうございました♪

けいちゃんの幻想即興曲アレンジ
もう1回聴きたくなった方はハイこちら↓





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