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愛さえあれば、は本当か(親子編)

うちは三人姉弟だ。私が長女で弟2人。

そのうち末の弟は8つ離れていたこともあり、小学生だった私に新しく生まれてきた弟は目に入れても痛くないレベルに可愛く、リアル赤ちゃん人形を手に入れたくらいにせっせと可愛がった。

おむつはもちろん変えたし、近所の友達と井戸端で話すときには弟を腰骨の上に乗せ、市場で子育てしながら働くおばちゃんよろしく5人の子供を産んだ手練れみたいだった。ご想像の通り、体格もなかなかしっかりしていた。太ってはいない。その頃は。(たぶん)

近所の友達に初めて末っ子の弟を紹介するとき、

「見て見て〜、これ私の弟♡」と集まった友達に発表した目線の先に2つ下の弟がおり、それを見て「あ、これも」と言ったらしい。と大人になって母に聞かされた。ごめん弟1号。

そんな末っ子に、昨年子供が生まれた。

信じられない。

父も母も末っ子には異常に甘く、うちの家庭で育った後に、東京で一人暮らしするには相当の苦労があったと思う。社会の厳しさを1つも知らない状態で上京したからだ。純粋で頑固で、優しくて、現実的にも精神的にも汚いことが苦手な弟は、いろんな人に傷つけられたんじゃないだろうか。

あまりにも家族みんなに甘やかされ、転ぶ前に手を差し伸べられ、浮世離れした弟は、東京に1人で出た後に自分が世間を知らないことを嫌というほど思い知らされ、少しずつ少しずつ努力し、人間らしくなっていった。それでも、いや、それだからか、親や姉、兄、自分よりも目上の人間から差し伸べられる「助け」のようなものに酷く敏感である。自分だけでやりたい、助けて欲しくない、というように見える。

私と末っ子には共通点があって、人との付き合いにあたり距離感がすごく重要な人間であることだ。いわゆる「水くさい」方が気が楽なのだ。都会が居心地よく、結果そこに居つく人間はおそらくそうであろうと思う。

世の中のことをよくよく知ると、みずくさい方が生きやすい。余計な苦労をすることが少なくなり、結果として実はそのほうが他人との関係も深く、大切なものになる。精神が敏感な人ほどそうだと思う。図々しい人はそもそも傷つくことが少ないので生まれつき生きやすい。うらやましくない。

大人になると教育というものは「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」ということになるが、子供の頃は意外と魚を与えられがちである気がする。特に昭和生まれの私たちの親はだいたいが若く、日本の教育全体も未熟でインターネットもなければ情報も少なかった。苦労して得た情報も、それが間違いであることもすごく多かった。病気の治療法や、体にいいことと言われてる情報なんて30年前と今の話は真逆だったりするくらいだよ。でも日本は豊かだった。だから若くて愛情ある親なら与えられるものは全部与えたかもしれない。

食べきれないほど魚を与えられ続けた弟は、周りに落ちている魚が腐って酷い臭いになり、もうここには居られない!と思ったのかもしれない。そんなに明確じゃなくても、なんだかこのままでは自分はマズい気がする、と何かしら感じたんだろう。


生まれた子供と彼の接し方を見て、いっぱい魚の釣り方を教えてあげようとしてるように思えた。可愛くて仕方ないみたいで、甘やかし過ぎてしまう自分を制して頑張ってるように見えた。

ちゃんと教育してるなぁと思って嬉しかった。

自分を甘やかした家族のことはどう思ってるんだろうな、と思ったけど、特にそんな話をするでもなく、弟が子供と遊んでる時にポツッと言った。


お母さんが育ててくれたように自分の子供も育てたい、と。


少し極端な話ではあるけど、表面的に甘やかすとかそんなことは精神的には意外と大したことではないのかもしれない。社会に出てから本人も周りも苦労するけど。でも結果的に、そこまでの愛情を受けた子供はどんなことがあっても生きていけるのだ。

三つ子の魂100まで、というのは本当の話だ。親に恵まれなかった人もいると思うし、虐待は繰り返されるというけど、どこかで勇気を持って憎しみを愛情に変えたい。自分が渡すバトンの色を変えるとそこから先はそのバトンで受け継がれるのだ。3歳までに、一生分の愛情をあげたい。

こんなに情報がたくさんある時代、入るべき入口を見極めてそこから勉強したら、した分のリターンは必ずある。こんな簡単な数式が通用した時代がこれまであったかというくらいだ。だから私が読んでそう思えた本はいつかまとめてここに追記したいと思います。自分も忘れないようにね!

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